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歴史認識を考えてみる(9)

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北京の55日から日露戦争への道 明治31年~
国内では自由民権運動から労働争議へ、ストライキ始まる

豪奢な上海・北京の租界地と義和団の乱、ロシアの台頭、崩れゆく帝国清

上海の日本総領事館   租界とは
http://meiji.sakanouenokumo.jp/1898.html

朝鮮併合から日露戦争へ至った真の理由
1900年(明治33年)、中国で義和団が列強の利権奪取に反対してたちあがると、列強は共同で出兵、鎮圧したが、満州を占領したロシア軍だけは、そのまま満州にいすわってしまった。

このロシアの満州占領をどうしてもやめさせようとするところから、日露戦争が始まるのである。
1901年(明治34年)3月12日、ときの外相加藤高明は、伊藤博文首相に対して、閣議での討議を求めるため一つの意見書を提出した。加藤はロシアの満州政策に対して日本はどう出たらよいか、この点を早く決定しておきたいと考えたのであった。

彼は、まず、ロシア軍が満州から撤退しないばかりでなく、ロシアは清国に秘密の条約(露清密約)を押しつけて満州を実質的に領土にしようとしている状況を指摘する。そして、このロシアの満州侵略への反対を列国に呼びかけてみたが、南阿戦争で疲れているイギリスをはじめ各国 とも抗議はするけれども、積極的に効果ある行動をとろうとしない、そこで日本政府としては、列国をたのみとしないで、ひとりでこの問題にあたるほかはないが、そのさいの大方針を決めておく必要にせまられている、というのが加藤の閣議請求の趣旨であった。

  さらに彼は、その方針はつぎの三つ以外にはあり得ないと強調した(『外交文書』34)。  
第一は、ロシアの満州侵略に抗議し、ロシアがそれに応じないときには
「直接ニ勝敗ヲ干戈ノ上ニ決スル事」、つまり日露戦争を開始することだとした。
ではなぜ、ロシアの満州支配を戦争に訴えてまで阻止しなくてはならないのか。

  この疑問に彼はつぎのように答える。
「抑モ露ノ満州占領ハ其モノ自身二於テ直接二我利益ト大衝突ヲ来サズ、然レドモ其結果露ノ勢カハ朝鮮半島ヲ支配シ延テ帝国ノ自衛上二危険ヲ及ボスノ恐レアリ」―
ロシアの満州支配はさらに、朝鮮に拡大し、日本の「自衛」まで危うくなるというのである。

当時まだ朝鮮を支配下におくのに手こずっており、満州まで手をのばすことを考えていなかった日本としては、ロシアの満州占領によって、直接に利益がおかされたとはいえない、しかし、ロシアの満州支配が確立されると、日本がその隣りの朝鮮を支配することが非常に困難になる―加藤の言わんとするのはこういうことであった。

だから第二策として朝鮮占領論がとび出してくることになる。
その第二策は、
「露国ニ向ッテ平衡上且自衛上帝国ニ於テ適宜ノ手段ヲ執ルベキ事ヲ宣言シ韓国ニ関スル日露協商ヲ無視スルノ行為二出ヅル事」だと加藤はいう。

  日露協商というのは、1898年(明治31年)調印された、西・ローゼン協定を指しており、日露両国はこのなかで、韓国の独立を確認し、直接の内政干渉をしないと約束していた。

  そこで、この協定を無視することにはなるけれども、韓国は遅かれ早かれ独立を失う運命にあるのだから、
「此際ニ於テ同国ヲ占領スルカ又ハ保護国トナスカ、其他適宜ノ方法ヲ以テ同国ヲ我勢カノ下ニ置」
こうというのであった。しかしこれは協定違反でもあるし、場合によっては日露戟争になることも覚悟しなくてはならないことは加藤もみとめていた。

 ロシアが満州を占領するなら、こちらは朝鮮を占領して「平衡」を保つことが自衛上の措置だということになると、「自衛」といっても身にせまっている「急迫した」危険をはらいのけるというのとはだいぶ意味がちがっている。
それだからこそ、第三策として
「露国ノ行為ニ対シテハ一応ノ抗議カ、権利ノ留保二止メ後日ヲ俟チテ臨機ノ処置ヲ講ズルコト」
が可能なのである。つまり、ロシアの満州占領が日本の自衛上危険だとしても、
「其危害ノ迫リ来ルハ数年ノ後ナルカ数十年ノ後ナルカ予言シ難」
いのだから、いますぐ、行動を起こさないというやり方もあり得るということになる。

しかし加藤はこの第三策でゆくと、いざ行動を起こそうというときにはロシアの勢力が強固になっていてどうにもならないかもしれないし、また、戦争を覚悟して強硬な態度に出れば、列強の同情をうけていないロシアがひきさがることも考えられないではない。したがって国内から軟弱外交との非難をうけることはまぬがれないと付記している。加藤としては第三策は気乗りうすだったようである。

中国への利権争い
日清戦争の敗北で、清国がいっそう弱体になったこ とと、ロシア・ドイツ・フランスの日本に対する三国干渉が成功し、これらの国の清国に対する発言権が強まったことが、このような情勢を生み出すきっかけとなっていた。三国干渉は極東への進出を望むロシアが、日本に先に満州に進出されては不利とみて、ドイツ、フランスをさそったものであった。三国干渉の3年後の1898年(明治31年)には租借という形で中国沿岸に根拠地を獲得することが始められた。この3月6日、ドイツが清国に山東半島の膠州湾租借条約をみとめさせると、同じ月の27日には、ロシアが旅順、大連湾を租借した。三国干渉で日本からとりあげた場所をこんどはロシアが自分のものにしてしまった。これに対抗してイギリスも、6月9日に九竜半島、7月1日に威海衛の租借条約を成立させた。翌年11月16日には、フランスが広州湾を租借した。

  しかもこの派手な租借競争は、利権を奪い合う大きな抗争の一角をあらわしたにすぎなかった。 借款の貸付けによる金融的、政治的支配と、鉄道、鉱山などの利権獲得とを軸にした清国における列強の活動も、日清戦争ののち激化するばかりであった。そして列強相互の対立抗争が深まっていった。その対立の中心は、すでに中国経済に支配的な地位を得ていたイギリスに対して、ロシアが急迫な進出ぶりをみせ始めたところにあった。

  。
三国干渉に成功したロシアは、ついで、清国に対する金融的援助を申し入れた。その背後には フラソスの資本家がいた。三国干渉の翌々月、1895年(明治28年)6月には、ロシア政府保証のもとに、露仏共同の4億フランの対清借款(期限36ヵ年4分利付)が成立した。そしてま たこれ以後、清国に対する借款押しつけ競争が激化することにもなった。さらにこの対清借款での露仏共同は、3ヵ月後の9月には恒常的な共同―露清銀行の設立へと発展した。資本金600万ルーブル、その8分の5がフランス、8分の3がロシアの出資というこの銀行は、清国国庫業務へのくい込みをはじめ、鉄道を中心にあらゆる利権獲得活動を目的とした。

  翌96年(明治29年)ロシアは、東清鉄道敷設権を得て、中国人陸に対する第一歩を踏み出 した。すでに1891年(明治24年)からシベリア鉄道建設が進められていたが、東清鉄道はシベリア鉄道が黒竜江を迂回して大きな弧を描くのに対して、満州北部を貫いてチタとウラジオストックを直線でつなぐものであった。さらに、さきの旅順、大運租借にともなって、東清鉄道のハルビンから旅順にいたる鉄道利権を獲得した。そしてロシアはその完成に力を入れた。満州がロシアの勢力範囲に繰り込まれつつあることは確実であった。

  こうしたロシアの精力的な活動が、満州から中国全休に拡大することは明らかだと考えられた。 シベリア鉄道を推進したウィッテは、ヨーロッパと中国市場をつなぐ海上航路を支配するイギリスに対して、シベリア鉄道による陸のルートで競争をいどもうという遠大な夢を描いていた。イギリスは99年(明治32年)ロシアと鉄道協定を結び、ロシアの鉄道が南下するのを防ごうとし、その前年には、清国に揚子江沿岸の不割譲を約束させて、その勢力範囲を固めようとした。

  このような英露の対立を中心にしながら、中国全土は各国の勢力範囲に分割され始めていた。 租借は同時にその周辺の欽道や鉱山利権獲得の要求と結びついており、租借地を中心とする勢力範囲が形成され拡大されることでもあった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/15_nitirosenso/1/01.html


1898年(明治31年)

1898年(明治31年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月12日伊藤博文、第三次内閣成立
1月20日元帥府を設置
1月20日九州佐世保線、鉄道開通
2月1日奈良県市制実施
2月12日「日本」に正岡子規「歌よみに与ふる書」連載開始
2月24日日本鉄道会社で初めての鉄道スト(上野青森間の列車2日間運転休止、待遇改善で翌日解決)
2月26日台湾総督に児玉源太郎任命
3月6日清、独間で膠州湾租借条約調印
3月15日第5回総選挙
3月25日初の装甲巡洋艦「浅間」、英国アームストロング造船所にて進水
イメージ 1
http://blogs.yahoo.co.jp/yamauti_kuturoku/37865944.html
3月27日ロシア、大連、旅順両港租借権と南満州鉄道敷設権を獲得
4月5日日本鉄道矯正会結成
4月10日フランス・清、広東・広西・雲南の不割譲協定
4月10日東京奠都三十年祭の祝賀会、盛大に行われる
4月22日福建不割譲条約
4月24日米西戦争米はキューバをめぐりスペインと戦いフィリピングアム島を獲得
4月25日西・ローゼン協定  日・英・露の朝鮮をめぐる駆引き
4月26日石川理紀之助、秋田県内救荒のため出発
4月30日トラピスト女子修道院修道院、北海道亀田郡上湯川に創立
6月1日最初の勧業債券100万円発行される
6月1日警視庁、自転車取締規則制定  当時の自転車価格は公務員初任給の4倍
6月5日直江津の大火(約1600戸焼失)
6月6日九龍半島及び附近の租借条約調印
6月9日イギリス、九龍半島租借
6月15日万国郵便条約締結調印式
6月22日自由・進歩両党合同し、憲政党結党式(板垣退助総理)
6月25日京都御苑内にわが国初の公立図書館・京都府立図書館が開館
6月30日最初の政党内閣成立(大隈重信、憲政党内閣の首相として組閣)
7月1日イギリス、威海衛租借
7月10日清国沙市暴動事件落着し、清国政府は日本政府へ9万円の賠償金を支払う
7月16日
8月10日
民法全編施行 女性が苗字をもち戸主にもなれるようになった
第6回総選挙
8月13日初の国際水泳競技会
8月20日尾崎文相の共和演説事件
8月21日北海道旭川鉄道開通式    今の特急(旭川~札幌)は90分で完全に通勤圏
9月22日山陽線にて列車ボーイの始
10月1日東京、特別市から一般市へ 都民の日の由来
10月1日滋賀県大津に市制実施される
10月6日
10月7日
東京市長選出
アメリカの電話発明家ベルが来朝
10月11日漢口の日本領事館開庁 帝国時代歴史建造物保存の中国(北京上海)、破壊する韓国。
10月15日岡倉天心らの日本美術院創立
10月18日社会主義研究会設立(村井・片山・安倍・幸徳)
10月22日電話の発明者ベル参内謁見
10月29日板垣ら旧自由党系閣僚、辞表を提出
10月31日大隈重信内閣、総辞職
11月2日上海に東亜同文書院創立する
11月3日憲政本党成り結党式を挙ぐ
11月8日第二次山県有朋内閣成立
11月13日東京市役所の開庁式挙行される
11月17日フランス、広州湾租借
11月20日衆議院、地租増徴・地価修正法案を可決
11月20日東京築地本願寺の起工式
11月27日門司・長崎間鉄道全機開通する
11月29日徳富蘆花の『不如帰』、連載始まる
12月8日地租増徴反対同盟結成
12月9日 アメリカに 5区からなるニューヨーク市が形成された
自由の女神像は1886年、仏フリーメーソンリーより寄贈
12月10日アメリカ、フィリピン植民地化
12月18日西郷隆盛銅像除幕式
内閣総理大臣
松方正義 (明治29年9月18日~明治31年1月12日)
伊藤博文 (明治31年1月12日~明治31年6月30日) 
大隈重信 (明治31年6月30日~明治31年11月8日) 
山県有朋 (明治31年11月8日~明治33年10月19日) 

生活 この年 衣 食 住 その他
  • 大阪・歌舞伎座が開場
  • 深川印刷会社に同盟罷業
  • 貧民研究会設立
  • 名古屋市電開通
  • 本土・九州間の汽車・汽船連絡を開業
  • 神田綿輝館に活版工組合発会
  • 城泉太郎、神戸に労働組合研究会を起す
  • 『日本の下層社会』成る・翌32年発刊
  • 鉄工組合附属の徒弟夜学会設立
  • 留岡幸助、不良感化の家庭学校を起す
  • 東京砲兵工廠職工、共働店を設立

1899年(明治32年)

1899年(明治32年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月5日乃木希典、琴平宮の鎮座する雪深い象頭山上で新年宴会を催す
イメージ 1http://blogs.yahoo.co.jp/shiraty5027/48077826.html
1月19日イギリス、エジプトとスーダン共同統治協定
1月19日勝海舟、77歳でこの世を去る
勝海舟
2月1日東京、大阪、神戸間に最初の長距離電話開通(工費総額約40万円)
2月7日中学校令・実業学校令・高等女学校令公布
2月24日不動産登記法公布
3月4日著作権法公布
3月14日正岡子規、根岸短歌会を始める
3月28日文官任用令改正(政党の猟官を阻止)
4月4日東京に音楽、外国語学校開校
4月7日八幡製鉄大冶鉄鉱輸入契約締結
5月4日京都武徳殿、新築落成
5月11日参謀総長川上操六没(享年52歳)
5月16日参謀総長川上操六(11日没)の後任に大山巌を任命する
5月18日第1回万国平和会議ハーグで開催
5月24日陸海軍大臣現役武官制確立
5月25日食堂車初めて山陽鉄道に連結され、これより各線に及ぶ
6月9日農合法公布
6月12日台北の台湾銀行開業する ⇒恐慌で倒産
7月4日ビヤホール初めてあらわれる
7月13日新たに22港を貿易港として開港
(清水、武豊、下関、四日市、門司、博多、口津、三角、巌原、佐須奈、鹿児島、那覇、浜田、境、宮津、敦賀、七尾、伏木、小樽、釧路、室蘭、唐津の諸港)
7月15日軍機保護法公布
7月17日治外法権撤廃に依り、諸外国人の内地雑居許される
7月17日日英通商航海条約をはじめ、以後成立の改正条約実施の第一日、横浜で米船員の殺人事件
7月18日要塞地帯法公布
7月27日オランダの首都ヘーグに於て、16カ国の国際仲裁裁判所説立 ドコモ、インド撤退交渉中
8月3日私立学校令
8月4日東京初のビアホール、新橋にオープン サッポロビール(株)の前身、日本麦酒(株)経営
恵比寿ビヤホール外観
8月4日悪疫防止に海港検疫法実施
8月5日樟脳(しょうのう)の専売制、台湾にて実施
8月12日富山市の大火(約5000戸焼失)
8月12日横浜開港以来の大火(約3200戸焼失)
9月6日ヘイ米国務長官、中国の門戸解放を各国に通告
9月15日函館の大火(約2000戸焼失)
9月17日最初の内外人合同劇開演(伊井容峰一派とイギリス俳優ゴーフら合同)
9月18日朝鮮に初めて鉄道敷設される(仁川・鷺梁間20哩)
9月27日台湾銀行開業

1927年昭和金融恐慌で休業に陥る。モラトリアムの実施と政府の支援措置によって再建
1945年(昭和20年)第二次世界大戦の敗戦に伴い、連合軍総司令部により閉鎖機関に指定され、清算され解散した
10月2日木下尚江・河野広中・片山潜ら、「普通選挙期成同盟会」結成
10月28日条約改正実施祝賀式典、宮中豊明殿で挙行(大臣以下100官を招待)
11月9日赤坂離宮の観菊御宴
11月9日憲政党、山県首相に提携をもとむ
11月26日東京商業会議所の新築竣工する
12月16日年賀郵便特別扱い始まる
12月17日東京市の水道工事完成
12月18日淀橋にて東京水道工事落成式
12月26日アメリカの門戸開放に同意 米国は他国と同等の特権を得るべく主要国(仏、独、英、伊、日、露)に対し中国の主権の尊重と中国内の港湾の自由使用を求める通牒を発した。
12月31日政府発行の従来の紙幣を廃し、国立銀行発行の新紙幣に代える
内閣総理大臣
山県有朋 (明治31年11月8日~明治33年10月19日) 
生活 この年 衣 食 住 その他
 
  • 西洋料理人の組合進徳会設立
  • 森永太一郎、赤坂に洋菓子店を開業 (森永製菓)
  • 家屋税等に反対運動起こる
  • 東京で水道による給水開始
  • 川崎・大師間の大師電気鉄道開通
  • 高等女学校令・実業学校令公布
  • 東京・大阪間長距離電話開通
  • 大阪・門司直通電信開通
  • 府県税・家屋税に関する件公布
  • 私立学校令公布
  • 図書館令公布
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 北海道旧土人保護法を公布し、アイヌに無償で土地を交付する
  • 小樽・釧路・室蘭が新開港地として指定される
  • 岩手県の田代・種山に軍馬育成所の出張所を新設する
  • 星亨が青森で壮士たちに襲われる
  • 福島に羽二重生糸市が開かれる
  • 東京市の水道落成式
  • 河北郡八田村の用水紛争で裁判所と警察署が対立する(石川)
  • 三重県の御木本幸吉が養殖真珠を献納する(ミキモトパール)
  • 姫路に第十師団司令部を設置する
  • 岡山の黒住教本社工事が落成し、遷宮祭をおこなう
  • 下関・浜田・境が新開港場として指定される
  • 谷干城・大石正巳らが四国地租増徴反対同盟会を結成(高知)
  • 愛媛県下の旧自由・進歩党員が海南政友会を結成する
  • 福岡県立工業学校を設立し、久留米・小倉に分校をおく
1900年(明治33年)

1900年(明治33年)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89#.E9.81.A0.E5.9B.A0.E3.83.BB.E8.83.8C.E6.99.AF
清の敗退によって中国で「扶清滅洋」を叫ぶ宗教的秘密結社義和拳教が、排外主義の運動を展開した(義和団の乱北清事変[24])[22]
北京の公使館員や居留民保護のため8ヶ国連合軍が北京に進出し、日本軍が中でも最大の兵力8000人を投入した[22]
北京は連合軍に占領され、北京議定書によって清は賠償金と、北京周辺の護衛は外国部隊が任務にあたることになった[22]

柴五郎は義和団の乱の功績で欧米各国から叙勲された。

日本は北京と天津に三個中隊清国駐屯軍(支那駐屯軍)を設置した[25]。これはのちの日中戦争初期の主力部隊となる[24]。またロシアは満州を事実上占領する。


月日 出来事・事物起源・話題
1月16日長距離電信電話開始
1月28日社会主義研究会、社会主義協会となる
3月7日「未成年者喫煙禁止法」、「産業組合法」、「重要物産組合法」など公布
3月10日治安警察法公布
3月23日日本興業銀行法公布
3月24日アメリカ最初の地下鉄道ニューヨークに開通
3月29日衆議院議員選挙法改正(選挙権を直接国税10円以上に引上げる)
4月1日東海道線列車に乗客専務車掌を乗務させる(乗務車掌の始まり)
4月8日寝台列車初めて山陽鉄道に開設(当初は一等寝台車に限る)
4月19日福井の大火(約1700戸焼失)
4月30日『軍艦マーチ』演奏される
5月10日大和田建樹作詞「地理教育鉄道唱歌」第一集発行
5月10日日本初の電気自動車お目見え
5月12日ナイチンゲールの80歳の誕生日を祝い、日本赤十字社総裁小松宮殿下より記念品を贈与
5月15日北京附近において義和団匪徒蜂起し、耶蘇教徒72名を殺害する
5月19日陸軍省・海軍省官制改正され、軍部大臣の現役大・中将制確立
5月24日12歳以上の男女の混浴を禁止する布達が内務省より出される
5月26日軍艦の造船を外国に注文せず、初めて千早艦横須賀にて進水
5月28日義和団暴徒に対し、北京の各国公使対策協議決し出兵を宣言
5月30日義和団事件に「笠置」艦派遣
5月31日義和団に備え、各国兵北京に入る
6月2日行政執行法公布される
6月5日内務省、清涼飲料水営業取締規則公布(ラムネ・リモナーデ・ソーダ水等)
6月6日義和団、天津郊外で各国連合軍と戦闘
6月11日北京において日本公使館員杉山書記、義和団匪のため殺害される
6月14日ハワイ・アメリカ合併
6月15日閣議、義和団鎮圧のため陸軍派遣を決定
6月17日北清事変に連合艦隊、大沽砲台を占領(海軍中佐服部雄吉戦死)
6月20日義和団、北京各国公使館を包囲(義和団の乱)~9月7日
6月20日各国連合軍協力、天津砲撃
映画「北京の55日」 予告編

6月21日清国皇帝、列強(北京出兵8国)に対し宣戦布告
6月22日北清事変応援のため、福島安正少将、混成旅団三大隊を率いて宇品を出発
6月30日各国連合軍、天津総攻撃
7月1日台湾における最初の電話、台北・台南間に開通
7月2日ツェッペリン飛行船試験飛行
7月11日北清事変、天津の激戦
7月13日日英仏などの連合軍、天津総攻撃
7月14日北清事変、連合軍天津城占領
7月26日津田梅子、女子英学塾を創立
7月26日清の孫文、日本に亡命
8月1日救世軍大尉矢吹幸太郎、東京新宿遊郭附近にて人身売買反対運動を起す
8月5日各国連合軍、北倉付近に清兵を撃破(歩兵大尉木内末男以下12名戦死)
8月7日『萬朝報』紙上で、高徳秋水、非戦論を展開
8月12日日本軍通州を占領
8月14日日本軍を主力とする各国連合軍、北京の砲撃を開始
8月15日連合軍、北京公使館を奪回(北京占領)
8月17日樺太豊原町に樺太神社設立
8月17日東京府下の水害(浸水家屋約19万戸)
8月24日厦門(アモイ)の大谷派本願寺布教所、清国暴民のために焼かれる(海兵これを鎮圧する)
8月30日幸徳秋水「自由党を祭る文」を「萬朝報」に発表
9月11日上野・新橋両駅構内に初めて自働電話(公衆電話)開設される
9月13日台北に台湾神社創立
9月14日女子英学塾(津田塾大学)開校
9月15日立憲政友会発会式挙行(伊藤博文を総裁とする)
9月15日岡山第六高等学校(岡山大学)の開校式
9月23日第2インター第5回大会(パリ)
9月26日山県内閣総辞職
9月28日古川市兵衛、ちょん髷を切る
9月29日連合軍、山海関砲台を占領
10月1日官営鉄道に初めて寝台車連結
10月2日娼妓の自由廃業制度発令される
10月11日シャム国王より皇太子嘉仁親王へ最高勲章を贈進
10月15日三井呉服店新装開店
10月19日第四次伊藤内閣成立
10月26日日本を初め在北京公使は北清事変講和会議を開く(第一回対清要求を議す)
11月8日イギリスにて建造の戦艦「三笠」、進水式挙行
11月10日東京帝国大学運動会、ヤード制廃しメートル制に
11月11日ロシア、清国と密約、満州占領地の権益独占(露清協定)
11月12日漢城(現ソウル)―仁川間に、朝鮮初の京仁鉄道が開業
11月12日観菊御宴開かれる
11月14日静岡市の旧徳川邸を葵ホテルに改築と新聞に発表される
12月1日暖房車初めて東海道線に装備
12月14日ドイツの物理学者ブランクによりベルリン物理学会にて量子の新学説発表
12月15日年賀郵便特別取扱開設(これより例年恒例となる)
12月23日陸相桂太郎辞任、後任に児玉源太郎を任命
生活 この年 衣 食 住 文学 その他
  • 人造藍の輸入増加し、天然藍衰退するが、インド産藍の輸入は最高数量に達する
  • 全国屠牛場数1,396所・屠牛数233,385頭
  • 醤油をビール瓶に詰めて野田土産として旅行者に売って好評、瓶詰の因となる
  • 共同家屋建築会設立するが成功せず
  • 徳富蘆花著『不如帰』発行(2月)
  • 吉田東伍著『大日本地名辞書』刊行(3月)
  • 小田原電気鉄道開通
  • 汚物掃除法制定
  • 豊州電気鉄道開通
  • 東京・神戸間に初めて寝台車を設け列車ボーイをおく
  • 私製ハガキ発行
  • 東京に自転車流行し、女子嗜輪会発会
  • 日本鉄工共益社設立
  • 目白日本女子大学創立
  • 津田英学塾創立
内閣総理大臣
山県有朋 (明治31年11月8日~明治33年10月19日) 
伊藤博文 (明治33年10月19日~明治34年5月10日)





















歴史認識を考えてみる(10)

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北京の55日(2) 明治34年~日露戦争前夜

義和団事件エピソード

http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-98.html
義和団鎮圧のために列強8ヵ国による連合軍が出動しました。
イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、オーストリア(=ハンガリー)と日本です。
北清事変_義和団の乱_列強8ヵ国の兵士
北清事変_義和団の乱_列強8ヵ国の兵士

1899年(明治32年)、宗教的秘密結社である義和団が、「扶清滅洋(清国を助け、西洋を滅ぼす)」
というスローガンを掲げて、山東省で蜂起した。

義和団とは義和拳という武術をマスターすれば鉄砲も刀も怖くないという迷信を持った人々の集団で、
暴動は清国全体に広まった。(「義和団事変」「拳匪の乱」「ボクサー・レベリオン」ともいう)。

翌1900年(明治23年)になると、暴動集団はキリスト教徒を殺害し、教会、鉄道、電線など西洋伝来のものを
破壊し、北京にまで至った。乱はたちまち全土に広がり、外国人にとって、さながら地獄図のような光景が
眼前で繰り広げられていたのです。

この時、清国政府は何もせず、逆に彼らを応援していました。それどころか、義和団の勢いが良いと見るや、
当時、清国の実権を握っていた西大后は義和団の味方となり、清国軍を派遣して北京の公使館や
天津の租界を攻撃させました。そして清国は北京に公使館を置く列国に宣戦布告を行ないました。

これにより北京では
公使館のある区域が義和団に包囲され、そこにいた8ヶ国の人たちが皆殺しされる危険が迫りました。

そこで8ヶ国は団結して連合軍を作り、義和団の大軍に合同で立ち向かうこととなりました。

総司令官にはドイツ人のガスリーが就任しました。
約2ヵ月後、8ヵ国の連合軍は首都北京及び紫禁城を制圧し、乱を鎮圧しました。

日本はたった25人の軍人しかいなかったのですが、柴五郎中佐が率いて抜群の働きをしました。
他の国の兵士は怖がってなかなか戦わなかったのです。
※柴五郎は蒼穹の昴という歴史ドラマにも外国人として登場します。北京の55日では伊丹十三さんが柴五郎役。
                柴五郎 Osy_001           

                BALLAD(蒼穹の昴)浜崎あゆみ 大正琴 




日本は各国から地理的に最も近いという理由で本国から応援部隊を出すよう要請されたのですが、
野心があると思われるのを避けるためなかなか応じなかったのです。

しかし、再三イギリスなどから要請され、福島安正少将が混成三個大隊を率いて天津に来ました。
そして日本軍の活躍で連合軍は天津を占領することができました。

その後、連合軍は日本軍を主力として北京に進軍、8月14日に北京の公使館を包囲していた義和団と
清国兵を駆逐し、公使館区域の外交官や居留民を救出することに成功しました。
その後、連合軍は国ごとに分かれて北京を占領しました。

そしてロシアは義和団の乱が支那から満州にまで及んだときに増派してついには全満州を占領してしまった。
この乱につけ込んでロシアは満州をロシア領にしてしまったのでした。

しかし、清国はロシアを満州から追い払う努力は一切しませんでした。
(満州からロシアの勢力を追い払ったのはその後の日露戦争に勝利する日本である)。

もし日本が日露戦争で勝利しなかったら、(宣統帝溥儀の家庭教師だったレジナルド・ジョンストンが言うように)
遼東半島のみならず、満州全土も、その名前までも、ロシアの一部となっていたことはまったく疑う余地のない
ことだった。


※ちなみに北京を占領した連合軍は各所で略奪を開始し、頤和園も略奪と破壊の対象になりましたが、
日本軍だけは略奪に参加しなかった話は有名です。

当時の戦争では軍隊は市民から略奪、強姦するのが当たり前で、北京や上海でも列国による略奪が頻発していた。
白人で一番まともなイギリス兵ですら支那人から貴重品をかっぱらっていた。

ロシアの占領地区ではロシア兵が虐殺や放火、強姦をやりまくり、日本の占領地区に逃げ出す支那人が大勢いた。

北京とは遠く離れた所でもロシアは大虐殺を行なっていた。しかし日本軍だけはそういったことにいっさい手を染めなかった。日本の占領地域だけは軍規厳正で、治安維持が特に優れていた。

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『私たちの美しい日の丸・君が代』 石井公一郎・高橋史郎 著より引用

日の丸エピソード6 中国人が掲げた日本軍への感謝の「日の丸」

明治32年(1889年)の義和団事件。
1900年4月には北京へ入り、列国の外交官らが襲われ、4000人が包囲され脱出出来なくなった。

列国は日本軍を中心に8ヵ国連合軍を結成し、救出。
日本軍は勇敢に闘い、かつ、国際法を守り、捕虜や民間人を手厚く保護した。

他国の軍隊は、中国人に対して略奪や放火、殺人を繰り返したが日本軍は皆無。
北京市長はロシア区域の残虐行為にたまりかね、
英国公使にロシア地区を日本の管轄に変えて欲しいと訴えたほどだった。
このとき、天津の中国人は「大日本順民」と描いた日の丸を掲げて日本軍へ感謝した。
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◆以下重要◆
日本軍が中国に駐留していた理由は、『義和団の乱』後の戦闘事後処理の
『北京議定書』=『北清議定書』に基づいて駐留していた。

この乱の平定後の1901年9月7日に北京で調印された義和団の乱における
列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書の『北京議定書』に基づき、
列強各国に自国民の保護の為に中国への駐兵権が与えられました。

日本軍が中国に駐留していたのは、そういう理由からです。別に日本軍だけがいたわけではありません。
イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、オーストリア(=ハンガリー)など出兵した8ヵ国と、
ベルギー、スペイン、オランダを含めた11カ国の欧米列強は皆いました。

この後、辛亥革命で清国が滅びますと、中国は群雄割拠の時代となり、統一政府は無くなりました。
そうすると、軍閥があちこちで勝手な事をし、住民からは勝手に税を取り立て、
若者を勝手に兵にとり、あちこちで略奪、殺戮を繰り返すようになったのです。

そのような状況では、どこにも治安の維持は頼めません。
外国人は自国の居留民は自国の軍隊で護るしかなくなったのです。
中国では、昔から都市に軍隊が入ってくると、略奪、放火、強姦、殺戮が行われていましたので、
各国の駐留軍はそれを防ぎ、あわせて中国人をも保護していたわけです。
中国では租界の中だけが平和で、文化的な世界だったのです。

しかしこれは中国の各軍閥にとっては腹立たしいものでした。
なにしろそこに逃げ込んだ中国人からは税を徴収できませんし、
なによりそこは彼らの力の及ばない所だったからです。

彼らは、何とかして、外国人の支配する租界を破壊し、
彼らの好む治安の悪い世界へと引きずりおろそうと画策しました。
その為、彼らは外国人への悪宣伝を流し中国人が外国人を憎むように仕向けたのです。
その結果、租界などで反外国デモやストライキなどが頻発するようになります。

この為、各国駐留軍は自国民の安全を守るために余計にも警戒せざるを得なくなりました。
この外国人への悪宣伝は最初は欧米人が主でしたが、次第に、日本へとシフトして来ます。
白人と日本人との間を分断して、日本人だけを叩いた方が効率がいいからです。
日本人を攻撃しても、白人は知らん顔をするからです。
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天津租界地区付近 左は 馮国璋故居 右は 袁世凱故居   http://yuzitj.exblog.jp/5754259


http://meiji.sakanouenokumo.jp/1898.html
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1901年(明治34年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月16日正岡子規「墨汁一滴」、連載開始
1月26日言文一致会第1回公演演説会
2月3日福沢諭吉死去(享年68歳)
イメージ 2

http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J073.htm
2月3日黒竜会発会式(主幹内田良平)
2月5日官営八幡製鉄所、第一高炉火入れ
2月6日東京興信所創立
2月6日愛国婦人会創立が議決される(奥村五百子提唱、近衛貞子夫人の援助により議決)
2月28日正岡子規、初めて会席料理を食する
2月28日国史上の大文献集成「大日本史料」、東京帝国大学より刊行される
3月2日愛国婦人会創立
3月12日貴族院に勅語、16日、一旦否決した増税案可決
3月24日司法官棒案が貴族院で否決され判検事ら続々辞職
4月3日二六新報社、向島にて第一回日本労働者大懇親会を開催
4月16日第七十九銀行など支払停止で、大阪に金融恐慌、全国に波及
4月20日東京の日本女子大学開校式(校長成瀬仁蔵、来賓渋沢栄一、大隈重信、ケーベル等の祝辞あり)
4月29日裕仁親王誕生(昭和天皇)、当時皇太子だった大正天皇の第1皇子
5月2日伊藤首相、財政をめぐる閣内不統一により辞表提出
5月18日片山潜、幸徳秋水ら、社会民主党を結成したが、即刻禁止
5月20日片山潜ら社会民主党を結成(即日禁止)
5月27日山陽線、神戸・下関間が全通
5月29日列強、義和団賠償金額4億5000万両の要求決定
5月30日裸足にて外出の禁令下る
5月31日栃木、埼玉、千葉の各県に稀有の大雹(ひょう)降る(大なるもの一個約800グラムに及ぶ)
6月2日第一次桂太郎内閣成立
6月5日山川健次郎、東京大学長に任命
6月16日孫文亡命して来朝
孫文17歳        宮川東一氏(孫文の孫)
6月21日星亨、東京市参事会で伊庭想太郎に刺殺される
7月1日日本電報通信社、東京に創立
7月9日印刷局にて紙幣3万円盗難
7月15日久里浜にペリー上陸記念碑除幕
7月21日牛馬の虐使を禁止
9月7日北京にて北清事変(義和団事件)の講和最終議定書調印
10月1日舞鶴に海軍鎮守府開庁
10月1日呉に市制実施される
10月23日田中正造、足尾鉱毒事件で衆議院議員を辞職
10月25日鹿児島第七高等学校造士館開校
10月26日「二六新報」岩谷天狗攻撃のキャンペーンを始める
11月1日福島県伊達郡栗野村に五つ子誕生
11月6日イギリス外相、日英同盟草案を提出
11月18日アメリカ、パナマ運河地帯をパナマ国より永久租借
11月18日官営八幡製鉄所、作業開始
12月7日元老会議、日英同盟修正案可決
12月10日議会開院式還幸の御途、前代議士田中正造、足尾銅山鉱毒事件の直訴を行う
12月27日学生の鉱毒地視察、906名参加
12月29日食堂車が東海道線急行列車に登場
内閣総理大臣



伊藤博文 (明治33年10月19日~明治34年5月10日)
西園寺公望 (明治34年5月10日~明治34年6月2日   
臨時兼任   桂太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日)

生活 この年 衣 食 住 その他
  • 都市に各種の下駄行われる
  • 男物日傘として絹袖コーモリ傘流行る
  • 列車に食堂車始まる
  • 神戸ガス会社開業
  • 東京でガスが炊事用に使われるようになり始めた
  • 判検事増棒問題で同盟辞職
  • ビール税法公布
  • 砂糖消費税公布
  • 本所の私立第一無料宿泊所で職業紹介を始める
  • 山陽線鉄道全通
  • 動物虐待防止会創立
  • 田中正造、足尾銅山鉱毒事件で天皇に直訴
  • 横浜外国人商会自動車輸入
  • 石油輸入税引上げ
  • 大橋図書館創立
  • 『職工事情』の調査、翌年にかけて行われる
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 札幌の3新聞が合同して北海タイムスを創刊する

  • 田中正造が足尾鉱毒問題につき明治天皇に直訴を企てる(栃木)
  • 敦賀・ウラジオストク間に、定期航路をひらく(福井)
  • 舞鶴鎮守府の開庁式をおこなう
  • 山陽鉄道が下関まで全線開通する
  • 赤間関市を下関市と改称する
  • 旧松山藩の卆族500名が金録公債の問題で県庁におしかける
  • 鹿児島に第七高等学校造士館が開校
  • 八幡製鉄所が竣工し、作業開始式をおこなう(福岡)
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1902年(明治35年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月23日耐寒雪中行軍中の弘前歩兵第五連隊、八甲田山麓で遭難
1月27日八甲田山“死の行軍”事件が発覚
1月30日日英同盟条約調印(林大使と英外相ランスダウンとの間に調印)
2月6日愛国婦人会、最初の軍人遺族弔慰(八甲田山雪中行軍に斃れた遺族を弔慰)
2月12日桂首相、日英同盟条約締結の報告演説を貴族院にて行う
山本鼎 筆  貴族院
2月16日花井卓蔵・河野広中ら、最初の普通選挙法案を衆議院に提出(否決)
2月25日東京瓦斯新会社、ガス炊飯かまどの専売特許を取得
2月25日伊藤博文、欧米より帰国
3月25日商工会議所法公布
3月27日東京で少年の臀肉切取り殺害事件
3月30日愛国婦人会第一回総会、東京偕交社で開催
3月30日福井市で大火(約3000戸が焼失)
4月8日ロシア、清間で満州撤兵に関する協定調印なる
4月10日宮崎民蔵、「土地復権同志会」創立
4月18日奥村五百子、愛国婦人会設立後間もなく、京都を始め各地の遊説に出発
4月20日日本初の女子野球大会開催
4月27日国民同盟解散
5月5日正岡子規、「病牀六尺」連載開始
5月18日イギリスへ注文せる戦艦「三笠」竣工して、横須賀に到着する
5月28日第一銀行、韓国で銀行券発行
5月28日電柱広告が許可される
5月31日馬関を下関と改称
6月6日東京株式市場大暴落で立会停止
6月16日渋沢栄一、外遊中アメリカ大統領とホワイト・ハウスに会見(大統領、日本の発展を賞賛)
6月19日官製記念絵葉書初めて発行(万国郵便条約加盟25周年記念)
6月26日御木本幸吉、養殖真珠の特許
7月3日標準語選定発表される
7月6日山梨県笹子トンネル貫通
7月15日呉造兵廠の職工5000人がスト、鎮圧に軍隊が出動
7月15日この日発行の雑誌『文藝倶楽部』に初めて原色版印刷の口絵掲載される
7月16日特設電話初めて実施(電話加入者の設備費負担制に依る)
7月19日山梨県笹子トンネル開通
8月7日鳥島が大爆発、島にいた125人全員が死亡
8月10日第7回総選挙(初の任期満了選挙)
8月14日小石川砲兵工廠スト
8月15日大谷光瑞ら、ロンドンより中央アジア仏蹟探検に出発
9月2日東京専門学校を早稲田大学と改称
9月8日萬朝報社有志、「理想団」結成
9月19日正岡子規逝く
9月28日関東・東北地方に大暴風雨(足尾銅山の山崩れで死者34人、不明170人)
10月8日ロシア、満州第一期撤兵実行
10月21日赤十字社25周年総会(皇后行啓)
湯浅一郎 筆 東京上野公園
11月1日川上音二郎夫妻、俳優として初めて勲章を授与される
11月3日三井組本館落成(現・三井住友銀行)
11月12日観菊御宴開かれる
11月14日東大生・藤井実、陸上100メートルに10秒24の世界新記録
12月1日国勢調査法公布される
12月4日政友会、憲政本党、地租増徴継続反対を決議
12月11日政府、衆議院へ海軍拡張案提議
12月13日哲学館事件おこる
12月16日丸善で「大英百科全書」全25巻の予約開始、1250部を販売
12月17日教科書疑獄事件の検挙開始
12月29日松方正義を赤十字社社長に任命
内閣総理大臣
桂太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日)
生活 この年 衣 食 住 その他
  • インパネス流行し、冬より外套のごとく毛布をまとう事が流行する
  • 都市商人の間に、道行、モジリの角袖外套流行
  • パナマ帽流行、リンネル帽・ナポレオン帽も流行したが、郵便夫が後者を利用してから、その流行衰える
  • 毛布の襟巻始まる
  • 婦人庇髪流行し始める
  • 腕時計行われ始める
  • 関門製氷会社の人造氷北九州各地に進出
  • 有楽座椅子席となる
  • 江ノ島電気鉄道開業
  • アメリカ・ロシア大使館員自家用自動車を乗り回し始める
  • 万国郵便連合加盟25周年祝典記念絵はがきが出て、絵はがき流行の魁となる
  • エボナイト輸入、国産万年筆現れる
  • 東北地方大凶作
  • 台湾製糖・電力使用工場を開始
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州

  • 青森の歩兵第五連隊の雪中行軍で209名が八甲田山中で凍死する
  • 東北地方に冷害のため大飢饉がおこり、特に青森の被害が甚大
  • 鳥島が大爆発をおこし、住民125名が全滅する(東京)
  • 宝田石油会社が日之本石油以下の33会社を併合する(新潟)
  • 木戸次善が大阪府の妙見山上に私立測候所を設立する
    大阪砲兵工廠の火薬庫が爆発し、民家200戸を破壊
  • 山陽鉄道経営の山陽ホテルが下関駅に開業する
  • 高松で讃岐実業新聞を創刊する

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1903年(明治36年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月24日夏目金之助、イギリス留学より帰り東京着
2月11日翻訳劇沙翁(シェークスピア)の「オセロ」、川上音二郎一座により明治座で初演
2月18日五世尾上菊五郎死去
3月1日大阪で第5回内国勧業博覧会、イルミネーション初登場
3月1日第8回総選挙
3月27日専門学校令制定公布する
3月28日「職工事情」刊
3月28日日本初のビアガーデン隅田吾妻橋に開設
3月31日農商務省「職工事情」を刊行
4月1日東京に山手線(池袋―田端間)が開通
4月1日日本最初の商用車現る
4月8日ロシア、第二期満州撤兵不履行
4月10日小学校教科書国定となる
4月18日ロシア、清国に七項目の満州撤兵条件を提出
4月21日桂首相、小村外相ら、京都で会合し、対露策を協議
4月27日清国、ロシアの満州撤兵要求を拒絶
5月1日大阪に勧業博覧会開かれ、初めてイルミネーション点火
5月22日一高生・藤村操が『巌頭の感』を遺し、日光の華厳の滝に投身自殺
5月24日日本初のゴルフクラブ、神戸ゴルフ倶楽部開場
5月28日大日本地震史料編纂事業成る(関谷清景、大森房吉両博士ら10年の結晶、約2000項目を記録)
6月1日東京・日比谷公園開園
6月10日東京帝国大学教授戸水寛人ら七博士、政府へ対露強硬の建議書提出
6月12日露陸相クロパトキン、旅順への途次、東京に立寄る(桂首相らと会談)
6月15日ヘンリー・フォード、自動車会社を設立
6月22日参謀総長大山巌、朝鮮問題解決に関する意見書を内閣に提出
6月22日藤村操、投身自殺
6月23日御前会議、対露交渉開始を決定
6月24日東京帝大の七教授、対露強硬策の建議書を発表(七博士事件)
7月1日東支鉄道、営業開始
7月26日近衛篤麿・頭山満ら対外硬同志会組織
7月28日駐露公使に、対露訓令を発す
8月9日東京に対露同志会結成
8月12日栗野駐露公使から満韓問題についての協定案をロシア外相に提出
8月22日東京電車鉄道(馬車鉄)電化、東京に初の市街電車走る
http://lib.ruralnet.or.jp/edu/syasin/syasin51.html
路面電車
https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu146.php

8月25日
明治法律学校を明治大学と改称
8月26日韓露関係に対し公使林権助は、韓国朝廷に対し強硬なる抗議を発す
8月28日和仏法律学校を法政大学と改称
9月12日大阪市の電車初めて開業(築港・花園橋間、初めての二階電車)
9月30日京都祇園の芸妓おゆき、米財閥のモルガンが落籍(モルガンお雪)
10月1日浅草電気館開場(初の映画常設館)
10月3日ロシア公使ローゼン、小村外相を訪ね、ロシア政府の強硬なる回答書を提出
10月5日東京歌舞伎座に対露同志会大会開かれ、政府の軟弱外交を責め、討露の声高し
10月6日満韓問題について小村外相・ローゼン駐日ロシア大使、会談を実施
10月8日堺利彦ら神田青年館で非戦演説会
10月10日参謀本部の有栖川宮銅像除幕式
10月12日内村鑑三、幸徳秋水ら、「退社の辞」を「萬朝報」に発表し開戦論に転じた朝報社を退社
10月29日フランス、清国と雲南鉄道敷設協定
10月29日東海丸の遭難
10月30日小村寿太郎外相と駐日ロシア大使ローゼンの第5回会談
11月5日対露同志会、ロシアの満州侵略を慨嘆し、首相桂太郎へ警告覚書を呈す
11月15日幸徳秋水、堺らの設立した平民社、週刊「平民新聞」を創刊
11月16日新橋停車場で女子出札員を採用
11月21日第一回早慶対抗野球試合開催(11対9で慶応の勝)
11月22日バス運転始まる
11月24日ロシア兵さらに海城占領
11月25日東京品川、上野間の電車開通
12月3日政友会と憲政本党の提携声明
12月10日衆議院議長河野広中、議場にて内閣弾劾の上奏文を朗読、満場これを議決す
12月14日初めて東京大学名誉教授の称号(理学博士山川健次郎、医学博士宇野朗、工学博士辰野金吾)
12月14日ライト兄弟の飛行実験成功
12月17日ライト兄弟、人類初の公開飛行
12月18日華族会館にて日印協会発会式
12月21日ロシアの満州侵略に対し抗議提出
12月28日連合艦隊編制、司令長官は東郷平八郎
12月28日戦時大本営条例改正など開戦体制のための四緊急勅令を公布
12月28日京釜鉄道速成に関する緊急勅令公布(ロシアの極東政策が露骨になり、政府は自衛策を急ぐ)
内閣総理大臣
桂太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日)
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
  • シルクショール流行
  • 経木真田帽子、全国的に普及
  • シンガーミシンの輸入
  • 第5回内国勧業博覧会に冷蔵庫出品される、東京魚河岸でこれを使用

  • 「近時政局史論」(徳富猪一郎)
  • 「社会主義神髄」(幸徳秋水)
  • 「富の圧政」(西川光次郎)
  • 「日露戦争」(羽川六郎)
  • ポイント式活字できる
  • 阿部彦吉電気時計を発明
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 北海道全域に衆議院議員選挙法が施行される

  • 藤村操が日光華厳滝に投身自殺をする(栃木)
  • 尾崎行雄が東京市長就任
  • 早稲田・慶応の野球試合がはじめて行われる
  • 東京にゴム輪の人力車現る
  • 笹子トンネルが開通し、甲武鉄道が甲府まで開通する(山梨)
  • 広島高等師範学校が開校

  • 福岡医科大学が京都大学第二医科大学として開校




















韓国のデスパレートな海運事情

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最近の韓国経済で、外資が80%引き上げたというニュースを見ました。

いくら韓国通貨が切り上がっているからといって、おかしいと思っていたのですが、

原因らしき事情が分かりました。

それは。。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14129655869
ロイズ保険問題に加え、昨今の沈没事故の成り行きを見かねたのか

パナマ運河が「韓国の法律で結ばれた保険を使った船≒韓国船」について

運河の通行許可を出さなくなる。

しかも、マラッカ海峡に加え、スエズ運河の通行も禁止される模様!!!!

***************
ロイズが韓国の船舶の保険引き受けを拒否する切っ掛けになった事件がある。

もう数年前になるが、この事件はニュースにもなった。

台風を避けて、韓国の港に停泊していたタンカーに、
航行禁止エリアをタグボートが、港湾局の静止をを無視して、国のサムスンのクレーン船を曳航した。

タグボートとクレーン船を繋いでいたワイヤーが切れ、

クレーン船は風に煽られて停泊していたタンカーに衝突した。

タンカーからは積載していた油が流出した。

この事故の裁判が韓国で開かれ、

判決は被害を受けたタンカーのインド人船長に有罪の判決を出し勾留した。

一方、加害者であるサムスンのクレーン船にはお咎め無し。

さらにタンカーが加入していた保険で、衝突されて油が流出した損害を保証させようとしたいため、

元請けのロイズが激怒して、韓国船の保険の引き受け拒否と言う事態になった様だ。

既に世界中の保険会社も韓国に対しての保険を拒否し始めた。

韓国の船舶やあらゆる物に対して、

世界中の大手保険会社は、韓国の物の保険を引き受け拒否をしている。

現在韓国の船舶は無保険で、ロイズが保証しない船は、世界のどこに港にも寄港できない上、

ロイズは、韓国水域向けの新規保険も引き受けないと世界に通告した。

これによってインタータンコ、インターカーゴは、寄港地から韓国水域を外す事にした。

保険適用外の韓国水域に入る船は無くなり、

今は韓国政府が、事故保険保証するしか無くなってしまった。

これは丸で、戦争地域の扱いと同じなのだ。

ロイズが韓国の保険を拒否したと言う情報は確かにあるが、

ロイズからの発表はまだ確認できていない。

また一般の報道機関からは報道されていない。

事があまりに重大な事だから、今ひとつ信じられない。

まだ本当なのかどうか分からない。

もし本当の事であれば、

今後保険を更新出来ない韓国の船は世界に出られなくなってしまうし、

韓国に寄港する外国船も減少する。

貿易立国の韓国が船舶保険に入れないとは大変な事だ。

今後韓国経済がどうなってしまうのか、この情報が本当の事なのか、注目すべき重大な出来事だ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10127810215

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韓国は景気の低迷を日本の円安のせいにしていますが、

それに加えて国家としての信用を失ったことで外資が逃げ出し、

資金繰りが苦しくなっているのではと懸念されます。

日本のみずほ銀行等は韓国企業に多額の貸付をしているそうで、韓国企業が揺らぐと日本への影響もあります。

でも、今のところ韓国国債の格付けは日本より2段階も上だそうですので、案外心配ないのかもしれません。

また銀行の倒産などの金融恐慌が来ないよう祈るばかりです。(=^・^=;)

歴史認識を考えてみる(11)

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日露戦争 明治37年~

ロシアの満州占領に宣戦布告する日本 「坂の上の雲」の時代


【外満州と内満州を併せた範囲が、本来の満州。外満州がロシアに割譲されたまま今日に至る】

秦の始皇帝が建造した万里の長城を延長し、今日の高い城壁にしたのは「明」の時代。実質的な漢民族国家の国境と考えてよいと思う。
 「天高く馬肥ゆる秋」という諺がある。これは、秋になると馬に乗って北方より略奪に来る民族に対し、警戒することを言っており、それが建築物になったのが万里の長城であり、「元」を北方へ押し戻し、二度と南下させないようにした。

 明にとって当初、最大の脅威は北方のモンゴル(北元=元)であったが、北東に位置する、統一された満州(女真)民族から度重なる攻撃を受けるようになる。後に明は滅亡し、満州民族による「清」は、万里の長城を超え南下し、中国を支配し、モンゴルをも支配した。
 ちなみに満州は、外満州と内満州があり、現在、外満州がロシア領、内満州が中国領である。従来の中国の概念では、満州は、中華圏に含まれず、万里の長城で遮断された東夷,北狄といわれる場所であり、万里の長城の東端の関所より東にあることから「関東」とも呼ばれた。旧日本軍の「関東軍」は関東州からだが、その語源は、ここから由来する


満州民族の「清」は1644年~1911年の267年間(これも江戸時代くらい)にわたり、中国を支配した。しかし、17世紀に入り、ロシアが南下政策をとるようになり、満州がその舞台となる。
 「清」にとって満州は故郷であり、始まりは、瀋陽が首都だったが、その後、北京へ遷都した。
 漢民族の土地である中国を支配し、自らの拠点を中国へ移したが、半面、満州へ漢民族を入れなかった。しかし、その分、満州は手薄となった。
 ロシアの脅威から、満州を守るため、開拓を目的に漢民族を入れたが、時、既に遅く、ロシアに故郷が蹂躙される結果となる。

 1689年、清が強大だっただけに、欧州とは、対等な外交が出来た時代。対ロシアでいうなら、清は、ロシアを朝貢国とみなしていたほどだ。(過信ともいえるが)
 そんなロシアとの間で正式な国境線が引かれ、(ネルチンスク条約)外満州は清の領土として国際的にも認められていた。しかし、19世紀に入り、アヘン戦争、アロー戦争、太平天国で混乱する清は、ロシアとの間で不平等条約(アイグン条約・北京条約)を締結し、外満州を失った。
 極東に不凍港を求めるロシアにとって大きな収穫であるのと同時に、清は日本海への出口を失った。
 これは、現在も同じ図式で、中国は日本海へ出るために北朝鮮、羅津港を租借している。
東南アジアが、列強の植民地とされる中、清は、東南アジア利権でフランスと戦い、フランスは辛勝した。そこで清は、東南アジア利権を諦め、朝鮮半島での影響力を失わないように朝鮮支配の強化を測り、ロシアの南下を警戒する日本と戦い、敗れる。
 その後、露・仏・独の三国干渉により、日本は、日清戦争で獲得した遼東半島を清に返還するが、ロシアは、その見返りに清から北満州の利権を獲得。
 列強により弱体化へ進む中国内では、満州族を追い払い、漢民族を興す太平天国の乱から反転し、清を助け西洋を追い払う排外運動になり義和団事変が起こる。
 義和団の乱は、中国分割の歯止めとなったが、半面、その代償が、満州全域をロシアが支配することを許す結果となった。ここに、満州族は、故郷の地を失い、中国の地が居場所となった。
 ロシアが朝鮮半島にまで迫った結果、日露戦争が勃発。日本が勝利し、ロシアの南満州租借権を日本が獲得、清との間で延長が交わされた。(が、1911年、辛亥革命により清は滅亡した。漢民族の孫文が勝利し、中華民国を建国)

日露戦争の戦場 http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main02/chinadalian/pic221010.html
203高地 
http://meiji.sakanouenokumo.jp/1898.html
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1904年(明治37年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月4日最初の軍事参議官任命(陸軍大将野津道貫、黒木為、奥保鞏の3名)
1月13日小村寿太郎外相、ロシアに対し、最終提案を提示
1月23日第1回社会主義婦人講演会
1月28日時局財政につき懇談のため、首相官邸に銀行家を招待する
2月4日対露宣戦御前会議(元老、閣僚の御前会議にて、国交断絶の最終案を決定し、ロシア外相に通告)
2月5日連合艦隊に出撃命令
2月6日連合艦隊、佐世保軍港出動
2月6日ロシア政府に国交断絶を通告
2月8日日露国交断絶を各国に通告
2月8日臨時派遣軍(第12師団)仁川に上陸開始
2月8日連合艦隊、旅順のロシア艦隊攻撃(実戦に初めて無線電信を活用
2月9日連合艦隊、第一次旅順攻撃
2月9日仁川沖海戦
2月10日ロシアに宣戦布告(日露戦争開戦)、第1軍の編成決定、露国駐在公使栗野慎一郎ロシア引揚げ
2月10日岡倉天心・横山大観ら渡米する
2月11日宮中に大本営設置
2月13日戦時第一回国庫債発行
2月14日陸軍予備少尉堀部直人自殺
2月17日歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ作曲)、イタリアミラノのスカラ座で初演
2月17日閣議、ロンドン市場での英貨公債募集の方針を決定
2月18日東京市外電車、車内禁煙となる
2月19日第一回の旅順閉塞隊を編成
日露戦争・関係地図
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/photos/kassenzu/nitirotizu.html
2月21日クロパトキン、満州軍総司令官に就任
2月21日参謀本部、臨時軍用鉄道監部を編成(京城・新義州間鉄道建設にあたる)
2月21日沖禎介、横川省三らの特別任務班、密かに北京を出発して北満に向う
2月23日林権助、日韓議定書に調印(日韓国防同盟締結)
2月24日日銀副総裁高橋是清、外国公債募集のためアメリカに向かう
2月24日第一次旅順口閉塞作戦開始
2月25日大坂府立図書館開館
2月28日旅順口閉塞隊に勅語を賜う
3月1日第9回総選挙
3月10日大阪の文楽座人形浄瑠璃に初めて新劇を試み、日露戦争劇を脚色上演
3月13日平民新聞社は社説にて「与露社会党書」を掲載
3月14日第一軍主力二個師団、鎮南浦上陸
3月15日第二軍の編成決定
3月21日第一軍、全員鎮南浦に上陸
3月24日幸徳秋水、「平民新聞」に「嗚呼増税!」
3月27日第二次旅順閉塞作戦(広瀬武夫中佐戦死)
Hirose Takeo.jpghttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%AD%A6%E5%A4%AB
4月1日非常特別税法、煙草専売法公布(実施は7月1日)
4月4日日本軍、奉天省の義州を占領する
4月7日兵庫県多紀郡岡野村今福に隕石落下(岡野隕石)
4月8日英仏協商成立
4月11日沖禎介、横川省三の両士、北満李家地方においてロシア警備隊に捕らえられる
4月11日盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)設立
4月20日征露第二軍、広島を出発
4月21日特別任務班沖禎介、横川省三、ハルピン郊外で銃殺に処せられる
4月25日朝鮮新浦沖において運送船金州丸、ロシア艦隊に撃沈され、椎名大尉以下97名殉難
4月30日第一軍、鴨緑江対岸のロシア兵を撃退しつつ、順次渡河(虎山その他の要所占領)
5月1日第一軍、鴨緑江を渡河し、九連城占領 (鴨緑江の戦い)
5月5日第二軍、遼東半島上陸開始
5月5日帝国発明協会創立
5月6日鳳凰城及び普蘭店占領、連合艦隊遼東半島を封鎖する
5月8日東京で市民戦捷会混乱、20人死亡
5月8日小樽の大火(2481戸焼失)
5月12日第1回ポンド公債(1000ポンド)を英米で募集開始
5月19日韓国政府、ロシアと国交断絶
5月19日独立第10師団、大孤山に上陸
5月26日第二軍、金州城占領(南山の戦い)
5月26日乃木希典将軍、出征に向けて東京の自邸で送別の宴を催す

小沢健志氏提供http://www.jacar.go.jp/nichiro/frame1.htm
1列目左から4人目東郷平八郎、5人目乃木希典、2列目左から6人目秋山真之

5月26日旅順封鎖宣言
5月28日第二軍、大連湾一帯を占領
5月30日第二軍、大連を占領
5月31日大本営、旅順攻撃のため、第3軍の編成を決定(司令官乃木希典大将)
6月1日第三軍司令官乃木希典将軍、広島を出発して征露の途に就く
6月4日乃木第三軍司令官、塩大墺上陸
6月6日陸軍中将乃木希典、児玉源太郎、海軍中将東郷平八郎の諸将、大将に昇進
6月7日賽馬集、林家宅を占領
6月7日乃木希典将軍、金州南山にて『山川草木』の詩を吟ず
6月8日第一軍、岫巌を占領(岫巌の戦い)
6月12日第一軍、懐仁県を占領
6月15日ウラジオストク艦隊、対馬海峡で常陸丸・和泉丸を撃沈、佐渡丸を砲撃
6月15日第二軍、得利寺を占領(得利寺の戦い)
6月17日百三十銀行臨時休業、銀行界の混乱起こる
6月20日満州軍総司令部を編成(総司令官に大山巌、総参謀長に児玉源太郎、参謀総長に山県有朋元帥)
6月21日遼東半島の能岳城を占領
6月25日芝浦製作所設立 (東芝)
6月26日草河嶺、四道溝、剣山占領
6月27日第一軍、分水領を占領
6月29日第一軍、北分水領を占領
6月30日第四軍を編成
7月1日煙草の官営実施(煙草専売法公布)
7月6日満州軍総司令官大山巌、同参謀長児玉源太郎、東京を進発征途に就く
7月9日第二軍、蓋平を占領(蓋平の戦い)
7月15日芝公園に後藤象二郎伯の銅像成る
7月17日第一軍、摩天嶺へ反撃のロシア軍を撃退(摩天嶺の戦い)
7月19日第一軍、細河浴を占領
7月20日ウラジオ艦隊、津軽海峡を抜け太平洋岸で汽船など5隻を撃沈
7月21日大石橋の激闘開始
7月23日ロシアのウラジオ艦隊、九十九里浜沖に現る(翌24日、伊豆沖を通過)
7月25日第二軍、大石橋、営口を占領
7月26日旅順攻囲軍、前進を開始
7月28日旅順攻囲軍、安子嶺を占領
7月30日旅順攻囲軍、鳳凰山を占領
7月31日第二軍、栃木城を占領
8月3日第二軍、海城及び牛荘城を占領
8月8日大狐山及び小狐山を占領
8月9日旅順市街を砲撃
8月10日ロシア艦隊、旅順を出撃し黄海で連合艦隊と海戦、主力は旅順に敗走(黄海海戦)
8月12日東郷平八郎司令長官に勅語を賜う
8月14日第2インター第6回大会(アムステルダム)、片山潜大会出席
8月14日第二艦隊、蔚山沖でウラジオストク艦隊と海戦(1隻を撃沈、2隻撃破)
8月16日乃木希典、東郷平八郎の両将軍、敵将ステッセルへ勧降書を手交する
8月17日ステッセル、勧降書を卻く
8月19日第三軍、第一回旅順総攻撃
8月22日旅順攻囲軍、盤龍山を占領
8月22日第一次日韓協約調印(日本、財政・外交の実権を掌握)
8月25日遼陽の大攻撃開始(遼陽会戦)
8月27日蘇馬台、椅子山等を占領
8月28日右翼軍、鞍山站を占領
8月29日日本印度通商条約調印成る
9月1日旅順の坑道作業開始される
9月2日首山堡を攻略
9月4日第一、二、四軍、遼陽を占領(遼陽の会戦)
9月5日日露戦役を記念した「郵便絵葉書」が売り出される
9月6日総司令官大山巌に勅語を賜う
9月11日煙台の石炭坑を占領
9月19日第三軍、要塞前面の前進堡塁群への攻撃開始
9月20日海鼠山全部を占領
9月20日米国ライト機、旋回飛行に成功し出発地点に着陸(旋回飛行の最初の記録)
9月21日日露両軍、二百三高地の激戦
9月24日陸軍少将山本信行、旅順に戦死
9月26日小泉八雲、逝く
イメージ 2http://blogs.yahoo.co.jp/goranivanisevic123/35706078.html
9月29日徴兵令を改正(後備兵5年制を延長して10年となす)
10月10日第一・二・四軍、沙河の激戦開始(沙河会戦)
10月14日沙河の激戦に勝利
10月15日バルチック艦隊、リバウ港出港
f:id:jjtaro_maru:20111225135548j:image
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20111225/1324789263   ←オススメエピソード
10月16日満州軍総司令官大山巌に勅語を賜う
10月16日鉢巻山の堡塁を占領
10月21日バルチック艦隊、英漁船を日本の駆逐艦と誤認して砲撃(ドッガー・バンク事件)
10月26日第三軍、第二回旅順総攻撃を開始
10月27日旅順総攻撃の右翼軍、歪頭山を占領
10月28日第二軍、貔子窩を占領
10月30日旅順総攻撃軍、松樹山、二龍山、東鶏冠山、北砲台、P砲台占領
10月31日旅順の北砲台を占領
11月13日「平民新聞」、「共産党宣言」を訳載、発行禁止
11月14日旅順攻撃に関し御前会議開かれる
11月16日社会主義協会に結社禁止命令
11月26日第三軍、第三回旅順総攻撃を開始
11月26日旅順攻略、「白襷隊」の決死攻撃
11月28日第21回帝国議会開催(初めて衆議院の議員席を党派別に分ける)
11月30日二百三高地の一角を占領(すぐに奪還される)
11月30日乃木希典の次男保典少尉戦死
12月1日米国ライト機に同乗者を搭載飛翔、操縦者以外の同乗者記録ここに始まる
12月5日二百三高地を占領(旅順港内のロシア艦隊に砲撃開始)
12月14日仏駐日大使、日本に和平の打診
12月17日ロシアの旅順艦隊全滅
12月18日第三軍、東鶏冠山北砲台を占領
12月20日東京に三越呉服店(三井呉服店改め)開業
12月28日第三軍、遂に二龍山を占領
12月30日連合艦隊司令長官東郷平八郎、第二艦隊司令長官上村彦之亟、東京に凱旋復命
12月31日第三軍、松樹山砲台を占領
内閣総理大臣
桂太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日)
生活 この年 衣 食 住 出版
  • 筒長の手袋の甲にガラス玉を飾ることが流行
  • 日露戦争中、神戸小学校にて女先生は袂つきものを廃し、筒袖を着るようにした
  • サイダーに王冠栓が用いられて、全国的に売れるようになった

  • 「新楽劇論」(坪内逍遥)
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 日露戦争に際して、函館要塞地域を臨戦地境とし、戒厳令を施行
  • 小樽の漁業家がサガレン漁業期成同盟会をつくり、樺太占領を請願
  • 北海道鉄道の函館・小樽間が全線開通する





  • 四阪島の住友製錬所が竣工する(愛媛)
  • 長崎・佐世保の要塞地帯と対馬沿岸を臨戦地域と定め、戒厳令を施行する
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1905年(明治38年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月1日難攻不落の旅順陥落
1月2日旅順開城調印成立(司令官乃木希典、ステッセルの開城提議に同意し、開城規約同附録に調印)
1月5日乃木希典将軍、敵将ステッセルと旅順城外水師営において会見
荒井陸男 筆  関東州旅順口水師営
1月7日旅順にて受領のロシア捕虜32,207名(各地にて旅順開城大祝勝会)
1月10日旅順要塞の授受全て完了
1月12日鴨緑江軍の編成決定
1月13日日本海軍、潜水艇を導入
1月13日乃木希典率いる第三軍、旅順入城式
1月14日乃木希典、水師営南方の丘陵上において招魂祭を行う
1月14日第三軍の北方転進開始
鹿子木猛郎 筆  満州奉天城南大門
1月18日島村速雄少将、第二戦隊司令官に転出
1月22日「血の日曜日」事件、ペテルブルグで起こる(第一次ロシア革命)
1月25日黒溝台附近において激戦開始
1月29日厳寒を衝いて激戦、遂に黒溝台を占領し、ロシアを渾河右岸に駆逐
1月29日週刊「平民新聞」、廃刊、「直言」をもってこれに代える
2月3日韓国政府、警視庁第一部長丸山重俊を刑務顧問に任用する契約に調印
2月5日日本最初の乗合自動車、広島市に開業
2月5日平民社「平民新聞」の後継紙として「直言」を創刊
2月6日旅順に鎮守府開庁
2月11日満州ダルニーを大連と改称
2月11日森下南陽堂、仁丹を発売
2月16日郵便貯金法公布、実用新案法公布
2月20日日本軍、?子嶺を占領
2月24日日本軍、清河城を占領
3月1日日本軍、奉天総攻撃
3月2日日本軍、周官堡を占領
3月7日奉天会戦最大の激戦、李官堡の戦い(大越兼吉少佐の自決)
3月9日満州軍総司令官大山巌に勅語賜る
3月9日日本軍、撫順及び安州を占領
3月10日奉天占領(陸軍記念日)
3月15日満州軍軍司令官・大山巌、奉天に入城する
3月16日鉄嶺を占領
3月16日クロパトキン、総司令官を辞任
4月4日早大野球部初の海外遠征
4月8日閣議、韓国保護権確立を決定する
4月15日漫画雑誌「東京パック」創刊
4月22日日露戦争の戦没者28,999柱を靖国神社に合祀する
5月1日平民社でメーデー茶話会
5月12日小林、向後両烈士の殉難
5月25日朝鮮京釜鉄道開通式
5月27日日本海海戦に大勝(海軍記念日)
中村不折 筆  連合艦隊旗艦三笠
5月28日日本海海戦にロシア艦隊全滅
5月28日盛岡高等農林学校開校(現、岩手大学)
5月29日バルチック艦隊全滅、敵将ロジェストウェンスキー提督以下降伏
5月31日日本政府、高平駐米公使に「ルーズベルト大統領への調停要請」を訓令
6月1日塩の専売制度実施される
6月1日米大統領ルーズベルトに日露講和友誼的斡旋を希望
6月3日米大統領ルーズベルト、駐米日本公使高平小五郎を招き日露講和勧告
6月3日東郷平八郎、敵のロジェストウェンスキー提督を佐世保の海軍病院に見舞う
6月10日外相小村寿太郎、米国大統領の日露講和提議に対して承諾の旨を回答する
6月10日英外相、林公使に日英同盟対案を提示
6月18日台湾の暴風雨に倒潰家屋約3600戸、半潰3500戸、流失船数十隻)
6月27日ロシア艦隊ポチョムキン号で水兵の反乱おこる
6月30日相対性理論の論文初めて発表される
7月1日実用新案法実施される
7月7日樺太派遣軍第十三師団、メシヤ付近に上陸して直ちに進撃を開始する
7月8日講和全権小村寿太郎外相一行、横浜を出発
7月9日桂・タフト覚書成立
7月24日樺太アレキサンドロフスク占領
7月26日奉天にて征露八将軍記念撮影
7月29日韓国、フィリピン問題に関する桂、タフト覚書成立
7月30日孫文、中国革命同盟会結成
7月31日日露戦争、終結
8月1日公園に初めて音楽堂を開設(日比谷公園)
8月10日日露講和第一回会議、ポーツマスで開催
8月12日第二次日英同盟調印
8月12日ポーツマスに於ける日露講和談判、第二回会見
8月19日ポーツマスの日露講和談判、ロシアの拒絶にて一時延期となる
8月20日孫文ら、東京で中国革命同盟会を結成
8月23日ポーツマスの日露講和談判、第八回にロシアの拒絶により将に決裂せんとす
8月24日東京帝大教授戸水寛人、対露強硬意見により休職処分
8月25日山路愛山ら「国家社会党」結成
8月28日御前会議開かれる(日露講和談判の最後的譲歩条件をアメリカの小村全権に打電する)
9月1日日露休戦議定書調印成る
9月1日神戸製鋼所設立
9月3日市民大会で日露講和条約破棄の決議
9月3日潜水艇隊職員勤務令定める
9月5日ポーツマスにて日露講和条約調印
白瀧幾之助 筆  米国ポーツマス海軍工廠
9月5日日比谷で講和反対国民大会開かれ、交番などを焼き打ち、東京に戒厳令
9月6日日比谷焼打事件を鎮圧するため、東京市外に戒厳令布かる(11月29日解除)
9月11日九州・朝鮮間、関釜連絡船開始(下関・釜山航路)
9月11日佐世保停泊中の軍艦「三笠」の火薬庫爆発して、火災により沈没(死傷者337名)
9月13日日露休戦協定調印
9月14日大山総司令官、全軍に休戦命令
9月14日奥羽線、福島・青森全通
10月9日政府の弾圧厳しく、平民社ついに解散(「直言」廃刊)
10月16日平和克復の詔勅を下す
10月16日日露平和条約公布、日露講話全権委員帰朝復命
10月18日東郷平八郎、伊勢神宮に戦捷奉告
10月20日連合艦隊、横須賀に凱旋
10月22日海軍大将司令長官東郷平八郎、海軍中将上村彦之丞ら、東京に凱旋参内復命
10月23日モスクワ労働者武装蜂起
10月23日東京湾上で、海軍凱旋式による大観艦式挙行(明治天皇、御召艦「浅間」に乗御)
東城錠太郎  筆  横浜港ニテ御召艦浅間
10月24日東郷平八郎大将以下の凱旋艦隊歓迎会(東京市民に依り上野公園に開催される)
10月26日ペテルブルグで第1回労働者代表ソビエトの選挙
10月30日ツァーリ、10月勅書で立憲政体をみとめる
10月31日平和克復祝賀の為、各国公使参内
11月5日朝鮮開城府に京義鉄道開通式
11月11日ロシアの捕虜ロジェストウェンスキー提督以下約7万、帰国の途に就く
11月15日石油共同販売所設立
11月17日明治天皇、伊勢大神宮に戦捷奉告
11月17日第二次日韓協約(韓国保護条約)調印
11月20日中央報徳会設立
11月30日第一軍司令官黒木為凱旋
12月2日ロンドンの帝国公使館を大使館と改める(これより各国公使館を大使館に進める)
12月6日普通選挙連合会結成
12月7日満州軍総司令官大山巌元帥、同参謀長児玉源太郎大将、東京に凱旋
12月9日第一軍司令官黒木為大将、東京に凱旋し直ちに参内復命す
12月12日潜水艇隊条令公布される
12月17日上野公園にて東京市民を挙げ満州軍総司令官大山巌元帥以下の凱旋大歓迎会
12月20日韓国統監府を設置
12月20日東郷平八郎、海軍軍令部長に任命
12月21日伊藤博文を初代韓国統監に任命
12月21日連合艦隊解散式(連合艦隊解散の辞)
12月21日山県有朋を枢密院議長に親任
12月22日満州に関し、日清間北京条約締結
12月22日第22回帝国議会開院
12月23日新政党大同倶楽部結成される
12月29日乃木将軍の凱旋
12月31日大山巌大将を参謀総長に親補
内閣総理大臣
桂太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日)
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
  • 冠婚葬祭や他所ゆきに足袋をはくことが盛んになる
  • 日露戦争後、地下足袋の使用激増
  • 婦人の髪型、”二〇三高地”というのが流行
  • 指輪を嫁入り仕度の一つにしているところが各地にあった
  • 軍服カーキ色着用始まる
  • 元禄模様大流行
  • 人絹輸入増加して産業界にこの製造の機運高まる
  • 学生間に腕時計の流行始まる
  • 軍隊用雑ノウの使用が学生間に流行、学生カバン姿を消す
  • アンパンの駅売り始まる
  • 三ツ矢平野鉱泉株式会社が三菱のあとをうけて清涼飲料水を作る
  • 岡山市水道竣工
  • 神戸市水道竣工
  • 大阪ガス会社開業
  • 東京市中の富裕者の間に賃家を建てること流行
  • 「あこがれ」(石川啄木)
  • 「巌窟王」(黒岩涙香)
  • 「破戒」(島崎藤村)
  • 「夏姫」(三木露風)
  • 絵はがき流行
  • 猪方正規によるツツガムシ病源発見
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州

  • 宮城・福島・岩手3県が72年来の大凶作
  • 大湊が海軍要港となる(青森)
  • 日比谷公園で屈辱講和反対国民大会が開かれる

  • 神戸のデイリーニュース社で露字新聞を創刊
  • 大阪で講和反対・戦争継続の市民大会を開く
  • 島根県美濃郡の沖にロシア軍艦が座礁し乗組員が上陸して降伏する
  • 新橋・下関間に直列列車を運転する(37時間)

  • 詩人野口寧斎が郷里の諫早町に諫早文庫をたてる(長崎)
  • 対馬沖で日本連合艦隊がバルチック艦隊を撃破






















歴史認識を考えてみる(12)

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外地経営に乗り出す日本 明治39年~朝鮮併合

満州租借、樺太受領、朝鮮併合/伊藤博文暗殺/明治天皇崩御/辛亥革命

日露戦争での日本の勝利はアジアの小国が大国を倒したことで世界中に衝撃をもたらし、中国の孫文や周恩来はじめ民族独立をめざすアジアの革命家が来日した。
http://kenjya.org/mansyuutonippon.html
アジア地図

勝利した日本は1905年ポーツマス条約によって遼東半島(関東州)の租借権、東清鉄道の長春~大連の支線、韓国の監督権を得た[27]。鉄道守備隊はのちに関東軍となった[28]
ポーツマス条約
(1)朝鮮の指導と監督は、日本がする。
(2)今までロシアが中国から借りていた満州の旅順・大連は日本が借りる。
(3)南満州鉄道を日本に譲る。
(4)南樺太と、北洋漁業の権利を日本が貰う。

講和後の10月から満州軍総司令官下に関東総督府を設置し、軍政を敷いた[28]。これに対して清が抗議、また日本の門戸閉鎖に対して、英米が反発し[29]、1906年3月に満州の門戸開放を迫ったため、日本は満州開放の方針を確認、関東総督府関東都督府として改組した[27]

1906年11月には国営でなく民間企業で日本最大のコンツェルンとして南満州鉄道株式会社を設立、以降、南満州鉄道を柱とする満州経営権益は日本の重大な課題となった[27]

日英同盟は攻守同盟へと強化され、日本の韓国支配とイギリスのインド支配を相互承認した[27]

またアメリカとも桂・タフト協定で日本の韓国支配権とアメリカのフィリピン支配権を相互に確認した[27]

フランスも同盟国ロシアの弱体化をうけて日本に接近、1907年、日仏協約を締結[27]

ロシアも国内での革命運動の激化などを背景に日本に接近し、1907年日露協約(第二次日露協商)を締結し、日本が南満州、ロシアが北満州を勢力範囲とし、日本の韓国支配とロシアの外蒙古の「特殊利益」を相互承認した[27][25]

日本は列強の承認下、1910年韓国併合にいたった[27]

満州は「10万の生霊を20億の国帑」で購われた「特殊地域」と日本はみなした[30]

イギリスはフランス、ロシア、日本によるドイツ包囲網を形成したが、日本国内では親英路線と親露路線とが対立した[27]

日米関係は満州権益をめぐって対立、また日系移民排斥問題などが発生し、悪化していたが[27]、1907年の日米紳士協定、1908年の高平・ルート協定によって緊張を宥和させ、1911年の日米通商航海条約によって日本は関税自主権を獲得し、日本は従属的な立場を解消させた[27]
Wikiより

http://meiji.sakanouenokumo.jp/1898.html
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1906年(明治39年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月7日西園寺公望内閣成立
1月14日乃木希典第三軍司令官、東京に凱旋
1月29日札幌・日本・大坂のビール三社が合併を発表
1月31日伊東祐亨、野津道貫大将へ日露戦争の功により元帥号を下賜
2月9日巨砲主義最初のイギリス戦闘艦「ドレッドノート」が進水
2月17日坪内逍遥らの文藝協会発足
2月18日福島県平町の大火(570戸)
2月19日英国皇太子コンノート殿下来朝
2月20日コンノート殿下参内、最高貴のガーター勲章を捧呈
2月22日日本・ハワイ間修交通商条約公布
2月24日日本社会党第一回大会(日本社会党結党)
3月1日振替貯金制度実施
3月2日非常特別税法改正
3月15日日堺利彦「社会主義研究」創刊
3月15日日東京市電値上反対運動激化、電車を焼打ち、軍隊出動
3月17日日台湾大地震、死者1110人余
3月31日鉄道国有法公布
4月4日徳富蘆花、ロシア文豪トルストイ訪問のため横浜出帆(7月、両氏会見)
4月7日廃兵院法公布
4月11日華族女学校を学習院に併合する
4月29日「日露戦役凱旋」記念切手発行
4月30日日露戦役凱旋大観兵式、青山練兵場(現在の明治神宮外苑)で挙行
小林万吾 筆  東京青山練兵場
5月1日横浜三渓園、市民に開放
5月5日第一回全国小学教員大会
5月11日満州軍参謀福島安正少将、ロシアの満州参謀次長オラノフスキーと会見(満州鉄道授受開始)
5月20日鉄道総哩数5000哩(マイル)開通を記念し、盛大な祝賀会を名古屋市で挙行
5月22日元老会議で満州問題協議
5月28日幸徳秋水、「世界革命運動の潮流」を演説
6月1日ロシアより北緯50度以南の樺太受領
安田稔 筆  樺太国境画定 樺太日露境界
6月1日日米間海底電信布設竣工す
6月7日南満州鉄道会社設立動令公布
6月9日文相牧野伸顕、戦後の学生風紀に関し訓令を発す
6月9日林権助を清国公使に任命
6月11日京都帝国大学に文科大学開設
6月12日エスペラント協会創立
6月26日日米直通海底有線電話開通
7月1日京釜・京仁鉄道買収
7月11日新潟県直江津の大火
7月13日南満州鉄道株式会社に参謀総長児玉源太郎を委員長とする設立委員会を設置
7月23日児玉源太郎没(享年55歳)
7月24日逓信省において女子判任官任用の新例開かれる
8月1日日米間の海底電線による通信開始
8月1日愛知県豊橋に市制実施される
8月8日佐世保港内沈没の戦艦「三笠」浮揚す
8月18日呉海軍工廠の職工、戦時手当の廃止に反対し騒擾
9月1日煙草「ゴールデンバット」発売
9月1日関東庁開設(初代総督に大島義昌を任命、以後毎年この日を関東庁の始政記念日とする)
9月1日東京に廃兵院開設(初代院長に川崎虎三中佐を任命)
9月1日三重県宇治山田に市制実施
9月5日「革命評論」創刊
9月10日南満州鉄道会社(満鉄)、株式募集開始
9月24日南米最初の日本商店、サンパウロに開店(野間貞七郎経営の藤崎商会)
10月11日初めて整形外科の一科を東京帝国大学医学部に開設する
10月11日アメリカのサンフランシスコに、日本児童排訴問題おこる
10月11日夏目漱石、第1回「木曜会」を開く
11月5日日本・チリ間通商航海条約調印
11月22日ロシアでストルイピンの農業改革
11月26日南満州鉄道株式会社設立(初代総裁は後藤新平)
11月27日東京市会にて電車電車市営を可決
12月6日日本最初の地下鉄道計画書が東京に立てられる 
http://blogs.yahoo.co.jp/glowforestmoon/41571198.html
12月13日エチオピアに関する英仏協定
12月14日大阪砲兵工廠の賃上げ運動を憲兵、警官弾圧
12月16日東京赤坂に国語擁護会創立
12月19日教育会議にて義務教育延長可決
12月20日英国コンノート殿下来日
12月26日『大日本史』編纂の大事業完成
内閣総理大臣
桂太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日)
西園寺公望 (明治39年1月7日~明治41年7月14日)
生活 この年 衣 食 住 文学 その他
  • ゴム底の地下足袋現れる
  • 肩掛は防寒具というよりも装飾品として流行するに至る
  • 大阪十合呉服店・白木屋呉服店、下関に臨時出張販売する
  • 銀座にできた台湾コーヒー店が女給をおいて成功
  • 下関市水道竣工
  • 博多ガス会社開業
  • 『婦人世界』創刊(1月)
  • 振替貯金事務開始
  • 鉄道国有法公布
  • 鉄道五千哩記念祝賀
  • 東京市街鉄道三社合併成立
  • 東京市街電車値上反対市民大会、電車焼打ち騒ぎあり
  • 金銭登録器を初めて輸入
  • 阪神電車開通
  • 救世軍本部で無料宿泊・職業紹介を開始
  • 新橋・下関間急行列車開始
  • 年賀郵便特別取扱開始
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州

  • 石川啄木が郷里渋民村に帰って小学校の代用教員になる(岩手)
  • 大湊海軍修理工場でストライキおこり軍隊が出動する(青森)
  • 水戸藩ではじめられた『大日本史』の編修が完成する(茨城)

  • 新橋・神戸間に最大急行列車(13時間)運転をはじめる
  • 高野山が女人と肉食の禁制を解く(和歌山)

  • 四国幹線(琴平・須崎間およびこれと徳島を連絡する線)の建設が決まる
  • 高島炭坑でガス爆発がおこり、坑夫ら256名死亡
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1907年(明治40年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月15日日刊「平民新聞」創刊
1月19日ホッケー競技最初の記録(慶應大学のホッケー倶楽部、横浜外人団と試合、6対0で慶應が敗れる)
1月21日東京株式相場暴落
1月31日乃木希典、学習院院長に就任
2月4日足尾鉱山で坑夫、職員と衝突。大暴動となる、軍隊出動
2月12日三菱造船所、争議
2月12日陸軍軍服、カーキ色となる
2月15日廃兵院を東京渋谷に開設
2月17日第二回日本社会党大会開かれ、議会政策派と直接行動派が対立
2月19日警視庁、自動車取締規則を制定
2月22日日本社会党、結社を禁止
3月2日衆議院にて郡制廃止案可決
3月2日夕張炭坑でスト、炭坑争議が頻発
3月15日ガブリエル・ヴォアザンにより、初めて復葉飛行機の発明に成功する(フランス)
3月16日福田英子ら女子の政治結社・集会参加を治安警察法改正で請願
3月17日第十三師団より第十八師団に至る六個師団を高田、宇都宮、豊橋、京都、岡山、久留米の各地に増設の事確定する
3月20日勧業博覧会、東京上野に開かれる
3月21日小学校令、改正される
3月21日文豪夏目漱石、教壇を去る
3月31日小学校令改正、義務教育6年生
4月1日絵葉書の表面に通信文を許す
4月9日東京神田に在郷軍人団創立
4月16日救世軍の総帥ウイリアム・ブース大将来日横浜入港(20日参内拝謁)
4月19日フランスの飛行家ローイス・ブレリオにより初めて単葉飛行機が発明される(試験飛行中に破損失敗)
4月25日長崎高等商業学校開校(現在の長崎大学)
4月26日樺太海豹島のオットセイ捕獲>禁止
4月28日幌内炭坑暴動
5月3日夏目漱石、入社の辞を「朝日新聞」に発表
5月16日東京・青森間の鉄道開通(直通列車1日1回運転開始)
6月4日別子銅山の坑夫、暴動
6月5日皇后、日比谷公園における日本赤十字社総会に臨み給う
6月6日別子銅山、暴動
6月10日パリにおいて日仏協約成立調印
6月13日ロシアと満州の鉄道接続につき協定
6月15日豊原に樺太庁開庁される
6月15日ハーグ密使事件
6月17日首相西園寺公望、東京駿河の自邸に文士招待会を催す(雨聲会と名づける)
6月22日仙台に東北帝国大学設立
7月10日元老大臣会議、韓国問題を議す
7月12日ハーグ平和会議蜜使事件で、対韓処理方針決定
7月15日広島県矢野川氾濫し、被害甚大
7月19日韓国皇帝譲位の詔勅を発し、各地で反日暴動起こる
7月20日豊国炭坑ガス爆発、死者340人余
7月24日伊藤博文、第三次日韓協約調印(日本人統監に韓国内政を統轄させる)
7月28日日露通商条約及漁業協約調印
7月30日第一回日露協約調印
8月1日日本の軍隊解散命令で韓国軍の反日抵抗おこる
8月1日樺太における最初の電話、大泊に開通
8月7日横綱常陸山一行、東京発渡米
8月11日朝鮮江華島事件(直ぐに鎮圧)
8月25日函館の大火(約1万2000戸焼失)
8月29日立教大学創立
8月31日英露協商成立
9月1日東北帝国大学に農科開設
9月1日田山花袋、小説『蒲団』発行(自然派小説これより流行)
9月8日北海道旭川・釧路間の鉄道開通
9月10日東京・北海道間の電話開通す
9月10日樺太の日露境界割定発表される
9月12日札幌農科大学開校式挙行
9月16日神戸築港の起工式
9月18日陸軍、六ヶ師団増設(十三個師団から十九個師団に)
9月26日専売局官制公布
9月30日チリに公使館開設
10月6日大阪兵器廠爆発事故(死傷者約100名)
10月10日皇太子嘉仁親王、韓国行啓
10月25日第一回文部省美術展覧会(文展)を上野公園で開催
10月31日ハワイのセントルイス球団、初の外国野球団として来日(初の日米対抗野球試合)
11月13日秋山真之、慶應野球部に「褌論」を贈る
11月23日名古屋において開港式挙行
11月28日最初のコロタイプ印刷、東京の村山旬吉発明(特許とする)
12月10日九段に品川弥二郎銅像除幕式
12月15日東京市の電車市有協定成立する
12月29日警視庁令にて最初の自動車取締規則出る(速力が規定される)
内閣総理大臣
西園寺公望 (明治39年1月7日~明治41年7月14日)
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
  • クリーニングの白洋舎開店
  • 紐付きの足袋なくなってゆく
  • 婦人の髪は二〇三高地の外に、七分三分にわける七三が流行し始める
  • 東京にシンガーミシン裁縫女学院ができる
  • ゴム靴海外輸出するに至る
  • 精米機ナショナル号発明、その他各種精米機できる
  • 栃木ガス(2月)、名古屋ガス(10月)会社それぞれ開業
  • 「歌日記」(森鴎外)
  • 「文学論」(夏目漱石)
  • 東京渋谷の廃兵院開設
  • 足尾銅山・別子銅山に坑夫の暴動起こる
  • 政府、各地の鉄道を買収する
  • 在郷軍人会全国的にできる
  • 苦学生入用の新聞広告出る
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 幌内炭坑で坑夫2000名が賃上げを要求して暴動をおこす
  • 札幌農学校を東北帝国大学の一分科として札幌農科大学を開校
  • 函館に大火があり、約1万戸焼失
  • 仙台に東北帝国大学が創設される(宮城)
  • 宇都宮に新師団をおく(栃木)
  • 三越がデパート経営をはじめる
  • 渋谷の廃兵院開設
  • 諏訪湖にスケート場を開設する(長野)
  • 岐阜・新発田に新しく師団をおく(岐阜・新潟)
  • 日本女子大学が軽井沢に夏季寮を開設する(長野)
  • 福知山に新師団をおく(京都)
  • 岡山に新師団をおく
  • 別子銅山の住友鉱業所の坑夫数百名が暴動をおこす(愛媛)
  • 久留米に新師団をおく
  • 新見卯一郎らが社会主義の新聞「熊本評論」を創刊(熊本)
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1908年(明治41年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月13日日本画の橋本雅邦、74歳で没。日本美術院の創設者
1月14日阪谷蔵相、山県逓相鉄道予算問題で辞任
1月21日政府は増税諸法案を提出
1月25日外務省、ハワイ移民を停止
2月11日御木本幸吉、真珠素質被着法の特許を得る
2月11日スケート競技初めて開かれる
2月12日ニューヨーク・パリ間のレーススタート
2月14日全国商業会議所連合会、増税反対
2月18日移民に関する日米紳士協定が成立
3月3日歩兵第一連隊で兵卒が集団脱営
3月5日時事新報社募集の美人写真第一位に、末弘ヒロ子が選出される(ヘラルドトリビューン社企画)
3月11日加藤清正に従三位を追贈
3月15日「東京社会新聞」創刊
3月16日増税法公布
3月22日出歯亀事件(日風呂帰りの婦女暴行事件)
3月24日煤煙事件(森田草平、平塚らいてう心中未遂事件)
4月3日文明協会創立(会長大隈重信)
4月13日水利組合法公布
4月28日ブラジルへの第1回移民出発
(画像ウィンドウまたは新しいウィンドウで開きます)http://www.ndl.go.jp/brasil/s3/s3_1.html
5月6日新聞紙条例を廃し、新聞紙法公布
5月15日第10回総選挙
5月30日満鉄全線広軌鉄道開通する
6月16日冷蔵貨車初めて東海道線に運転開始する
6月22日荒畑寒村ら山口狐剣出獄歓迎会にて警官と衝突し逮捕(赤旗事件)
6月23日国際無線電信条約公布
7月1日銚子の国際無線電信所開業
7月8日皇后、東京盲あ学校へ行啓
7月11日慶應義塾大学野球部、ハワイに初遠征
7月14日第二次桂太郎内閣成立
7月25日「味の素」製法特許を登録
8月27日東洋拓殖会社法公布
9月4日新潟市の大火(約2000戸焼失)
10月5日清国と満鉄、京奉両鉄道連結協約調印
10月13日戊申詔書発布
10月16日全国刑務所に指紋法実施される
10月22日幌別鉱山で暴動
10月23日淡路十四師団を宇都宮へ移す
10月24日台湾の縦貫鉄道全通式挙行
11月7日弘前十三師団を高田に移す
11月16日東京日比谷図書館開館式
11月24日高田第十三師団の開庁式
11月28日神道天理教の独立を許可する
11月30日アメリカと高平・ルート協定成立
(太平洋方面における現状維持と清国の領土安全、商業上の機会均等主義を確認)
12月15日伊藤博文、松陰神社へ奉告
12月25日東京に女優養成所、第一回試演
内閣総理大臣
西園寺公望 (明治39年1月7日~明治41年7月14日)
桂太郎 (明治41年7月14日~明治44年8月30日)
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
 
  • 味の素製造始まる
  • 冷凍貨車運転始まる
  • 禁煙列車始まる
  • 江ノ島ガス会社(7月)・丸子ガス会社(9月)それぞれ開業
  • 金沢電気ガス会社開業
  • 「欺かざるの記」(国木田独歩)
  • 「あめりか物語」(永井荷風)
  • 「宇宙」(三宅雪嶺)
  • 「海の声」(若山牧水)
  • 「仮名遣に関する意見」(森鴎外)
  • 石油消費税法公布
  • 予約新聞電報規則発布
  • 北陸本線鉄道全通
  • 大阪婦人矯風会、婦人ホームを開設
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州

  • 小坂鉱山の鉱毒問題で大館近くの農民が20万円の賠償を要求する(秋田)
  • 高崎で社会主義の月刊新聞「東北評論」が創刊される
  • 犬吠崎に無線電信局を設置する(千葉)
  • 潮岬に無線電信局を設置する(和歌山)
  • 天理教が独立の協会として認可される(奈良)
  • 山口県角島に無線電信局を設ける
  • 別子銅山四阪島製錬所の煙害で越智郡の農民1500名がおしかける(愛媛)
  • 五島の大瀬崎に無線電信局を設ける(長崎)


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1909年(明治42年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月9日アメリカに排日問題再び起こる
1月9日李王世子殿下、学習院中学部に入学
1月12日電車賃値上反対東京市民大会
1月22日日露間に満鉄連絡条約成立
2月2日小村寿太郎外相の外交方針演説、満韓移民集中論として衆議院で問題となる
2月9日モロッコに関する独仏協定
3月1日森永チョコレート発売
3月10日「平民評論」発行
3月11日日糖事件が発覚し、代議士多数拘引される
3月21日大阪毎日新聞社主催の神戸―大阪間マラソン競争
4月1日東京に発明博覧会開催
4月1日樺太の大泊港開港される
4月11日日糖疑獄事件により、衆議院議員多数検挙される
4月13日貴族院令改正公布
4月14日新生児の種痘義務化の種痘法公布
5月25日「自由思想」創刊
5月31日相撲の常設館(国技館)が完成
6月2日東京・両国の国技館竣工開館
6月6日渋沢栄一、70歳に達し、財界引退を声明.第一銀行・東京貯蓄銀行を除く61の会社役員を辞任
6月23日仕立屋銀次検挙
7月4日樞府議長伊藤博文、韓国へ赴く
7月5日東京代々木に練兵場設置
7月6日閣議で韓国併合の方針を決定
7月12日日韓新協約成り、韓国の司法及び警察事務を日本に委託せらる
7月18日高崎第15連隊、野外演習中に日射病患者70余名を出す(内6名が死亡)
7月23日ウエストン(日本アルプス名付親)来日
7月30日臨時軍用気球研究会創設(最初の航空施設)
7月31日大阪市の大火(北区空心町より出火、約1万1360戸焼失、北部市街全滅)
8月14日東近江地方の大地震(死者30名、負傷者約160名、倒潰焼失家屋多数)
8月27日軍用気球会長に陸軍中将長岡外史、任命される
9月4日日清間の間島及び満州協約成立
9月22日初めて外国より野球選手を招き、日米野球試合開かれる
10月11日三井家、組織を変更、三井合名会社が設立される(銀行・物産・鉱山を株式会社組織にする)
10月25日軍事機密発明特許規定公布
10月26日伊藤博文、ハルピン駅頭で暗殺される(犯人は韓国人独立運動家・安重根)
伊藤博文2

10月29日韓国銀行設立
11月2日イギリスのキッチナー元帥来朝
11月4日日比谷にて伊藤博文公国葬
11月7日東京本所に無料宿泊所解説
11月17日山県有朋、枢密院議長に任命
11月21日門司・鹿児島間、九州鉄道全通
11月28日旅順表忠塔の除幕式挙行
12月8日チリ公使館開庁
12月9日上野でグライダーの初滑走
12月16日東京山の手鉄道、電化開通する
12月18日米国、満州鉄道中立化案提議
12月24日賀川豊彦、貧民窟で活動開始
12月24日北里柴三郎博士、医学士の功に依り、ノルウェー皇帝より勲章を授与される
内閣総理大臣
桂太郎 (明治41年7月14日~明治44年8月30日)
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
  • ベールの流行始まる
  • ビヤホールができる
  • 琺瑯びきの弁当箱が用いられ始める
  • 八幡ガス(7月)・一宮ガス会社(8月)それぞれ開業
  • 折りたたみ式寝台兼用安楽椅子販売の新聞広告あり
  • 宮内省の各部局に南京虫が出る
  • 三徳商店三徳瓦のほか、スレートをつくる事業を始める
  • 下谷に二階建ての洋式長屋が建つ(東京における洋風長屋の最初)
  • 家庭燃料としてのガスの宣伝や文明厨炉・改良カマド・石油コンロなどの新聞広告しきりにあり、またガスコークスが家庭燃料として登場し始めた
  • 「元禄快挙録」(福本日南)
  • 「金色夜叉」(小栗風葉)
  • 「邪宗門」(北原白秋)
  • 「東京方眼図・東京地名索引」(森鴎外)
  • 「後狩詞記」(柳田国男)
  • 「パンの略取」(幸徳秋水訳)
  • 「文芸百科全書」(島村抱月)
  • 種痘法公布
  • 新聞紙法公布
  • 八幡町民有志同盟を結成し、八幡製鉄所に対し購買会廃止を嘆願
  • 上野より山手まわり電車、新橋まで開通
  • 呉電気鉄道開業
  • 鉄道青年会誕生
  • 関西本線・鹿児島本線・高崎線鉄道全通
  • 高峰博士タカジアスターゼの特許をとる
  • 中部管理局は労働者の団体遊覧乗車に割引措置をとる旨を告知
  • 東京商店の御用聞店員たち、毎日青山の原で自転車競走をなす
  • 懐中電燈が利用されている
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 無線電信開始のため、根室国の落石岬に電信局をつくる
中沢弘光 筆 観菊会 1909年11月19日東京赤坂離宮


  • フェノロサの遺骨をロンドンより運び三井寺に葬る(滋賀)
  • 下関に振替貯金支局を新設し、中国・四国・九州の振替貯金を取扱う

  • 鹿児島線が全通する


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1910年(明治43年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月21日日露、満州鉄道中立化案拒否
1月23日逗子開成中学ボート部員12人と小学生1人が七里ヶ浜沖で遭難
2月6日学生相撲大会の始(早大慶大の相撲選手が羽田グランドにて星取勝負)
2月9日日清間に郵便条約成立する
2月23日最初の飛行場を所沢に選定

3月12日銚子沖で暴風雨のため漁船133隻が遭難し、2000人余が溺死
3月13日憲政本党、又新会など合同して立憲国民党を結成
4月1日新潟医学専門学校開校される
4月15日佐久間艇遭難事件(広島湾で、第六号潜水艇浮上せず、乗組員全員死亡)
4月19日海軍大臣斎藤実、参内して陛下に拝謁(第六号潜水艇引揚の顛末及び乗組員の殉職に就いて奏上)
5月3日青森市大火(市の大半焼失)
5月14日日英博覧会、ロンドンで開催
5月19日ハーレー彗星、地球に再接近(日本でも流言、噂がとびかい不安をよぶ)
5月25日宮下太吉、爆発物製造の嫌疑で逮捕される(大逆事件の検挙開始)
5月29日東京の広瀬中佐銅像除幕式
5月30日寺内正毅陸相、韓国統監兼任
6月1日湯河原で、幸徳秋水逮捕
6月22日世界最初の旅客空輸、ドイツ・ツェッペリン飛行船(LZ7号)発航
7月4日第2回日露協約調印
7月15日欧友会と秀英会との間にクローズド・ショップ締結
7月22日朝鮮木浦沖にて汽船「鉄嶺丸」、座礁沈没(船長以下200余名溺死)
7月29日樺太神社創立、官幣大社列格
8月16日日韓合併の覚書交付される
8月22日日韓併合条約調印成る
8月29日韓国併合、朝鮮に改名
辻永 筆 日韓合邦 京城南大門
9月1日新潟県高田に市制実施
9月14日御船千鶴子の千里眼評判となり、東京帝大の九博士による立会い実験行われる
9月30日朝鮮総督府官制公布される
10月1日韓国統監寺内正毅、初代朝鮮総督に任命(陸相兼任)
10月1日裁判所が開設
10月7日朝鮮貴族に爵位を授けられる
10月8日朝鮮総督府寺内正毅、臨時恩賜金1739万8千円を各道に配与する
10月9日京城に日鮮人大懇親会開催
11月3日東京九段偕行社に帝国在郷軍人会発会式
11月3日鉄道回遊券初めて発行
11月4日露独皇帝、ポツダムで会談
11月10日対清4国(英米独仏)借款団成立
11月26日日比谷にて南極探検隊送別会
11月28日白瀬中尉ら、南極探検に出発
12月10日「大逆事件」第1回公判
12月14日日野熊蔵大尉、単葉飛行機による飛行実験(飛行記録までは行かない)
12月17日高田師団へスキーが贈られる
12月19日徳川大尉、複葉機で飛行成功(日本最初の飛行成功記録)
12月26日富士山に最初のスキー(横浜在住のオランダ人クラッセルによる)
12月31日堺利彦「売文社」開業
内閣総理大臣
桂太郎 (明治41年7月14日~明治44年8月30日)
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
  • 男セル、女メリンスのアンドン袴、この頃より行われる
  • 魔法瓶輸入
  • 警視庁はガラス製ランプ危険につき金属製ランプに改めるよう、東京市内を厳重に取締る
  • 『実業之世界』、東京の電燈料金値下げを提唱する
  • 門司市民、電燈値下げ運動をなし同盟罷灯
  • 宮内省は明治初期に建てた古い西洋館を取り壊して宮城内に移転する事に決定
  • 豊橋、日本、知多、京都、浜松・仙台・岡山、静岡、門司、大津、各ガス会社それぞれ開業
  • 「三千里」(河東碧梧桐)
  • 「遠野物語」(柳田国男)
  • 日本石油、宝田石油、スタンダード、ライジングサンの四社間に石油販売に関する第一回協約
  • 大阪紡績、松島分工場に同盟罷業起こる
  • 通行税法公布
  • 織物消費税公布
  • 福博電気軌道開業
  • 神戸電気鉄道開業
  • 電話規則改正
  • 小倉市、各寺院孟蘭盆会を新暦で行なうことに決議、商店側は一月遅れを希望して8月に行うことに決定
  • 日本橋・本所等、東京市内警察左側交通の取締指導する
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 根室港を開港し、水産物に限って輸入を認める
  • 秋田鉱山専門学校・米沢高等工業学校を創設
  • ハレー彗星通過を東京天文台で観測できなかった
  • 幸徳秋水が湯河原温泉の旅館で逮捕される(神奈川)
  • 徳川・日野大尉が代々木練兵場で飛行機にのる(東京)
  • 宮下太吉が信州明科の山中で逮捕される(長野)
  • 上田蚕糸専門学校が開校(長野)
  • 川上音二郎が大阪帝国座を開く(大阪)
  • 広島湾で潜航訓練中の第六号潜水艇が沈没し、佐久間艦長以下全員死亡
  • 人造藍の輸入増加で阿波の天然藍の生産は3割落ちる
  • 熊本で社会主義者新見卯一郎らが逮捕される


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1911年(明治44年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月12日レルヒ少佐、日本に初めてスキー術を伝授する
1月18日大審院、幸徳秋水ら大逆事件被告24名に死刑判決を下す
1月24日幸徳秋水ら死刑執行
1月26日桂太郎と西園寺公望の会談により、政府・政友会の提携成立
2月1日徳富蘆花の「謀叛論」問題となる
2月10日帝国劇場、東京丸の内に竣工
2月11日貧民済生に関する勅語
2月21日夏目漱石、「博士号」を返上する
2月21日日米新通商航海条約、調印(関税自主権を確立)
2月23日世界最初の水陸両用飛行機、カーチスにより水陸連絡飛行に成功する

3月1日帝国劇場開場式
3月1日東京中央停車場起工
3月4日帝国劇場の初日
3月6日南北正閏論問題おこる
3月14日文部大臣小松原英太郎、国史の改訂を訓令する(南北正閏論問題の処理)
3月29日朝鮮銀行法・工場法公布
4月1日大分県大分町に市制実施される
4月3日東京の日本橋竣工開通式
4月3日朝鮮において最初の愛林デー
4月5日最初の飛行場所沢の開場式(徳川、日野両大尉によって挙行)
4月7日市制・町村制改正公布
4月9日日野大尉、所沢にて40哩の快飛翔
4月9日吉原炎上(新吉原千住など約6500戸焼失)
4月17日朝鮮総督府、土地収用令を制定
4月28日日本最初の航空写真
5月8日山形市の大火(約1000戸焼失)
5月10日大阪府、日本初の消防自動車購入
5月19日スウェーデンと通商航海条約調印
5月20日清国、4国租借団と600万ポンド鉄道借款成立
5月30日恩賜財団済生会、東京に創立
6月3日有朋堂文庫刊行はじまる
6月5日皇后、日比谷公園における日本赤十字社総会に臨み給う
6月7日青森県下に稀有の降雹(ひょう)あり(約90センチ積む)
6月12日国史教科書調査委員会により、南朝を吉野朝と改めるべきことに決議
6月22日イギリス皇帝ジョージ五世の戴冠式に東伏見宮同妃両殿下御参列
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7月5日帝国学士院において理学博士木村栄に恩賜賞を授ける(緯度観測上の功績、最初の恩賜賞)
7月7日電車市有反対市民大会
7月9日東京市会電車事業市有を決議
7月10日日本体育協会創立
7月13日第三次日英同盟協約、調印
7月16日第1回模型飛行機大会
7月24日朝鮮銀行法公布
7月26日関東地方に台風襲来
8月28日乃木希典大将、欧州より帰朝
8月30日第二次西園寺内閣成立
9月1日「青鞜」創刊
9月1日新潟県高田に市制実施
9月15日東郷平八郎元帥、欧米より帰朝
9月20日山田式飛行船が初飛行
9月22日文芸協会による「人形の家」の試演行なわれる
10月1日下関・門司間の連絡船に、鉄道貨車をそのまま運輸連絡開始する
10月10日清国武昌の清軍蜂起(辛亥革命勃発)
10月24日奥保鞏大将に元帥号を賜う
10月25日片山潜・藤田四郎ら、社会党結成
10月31日横浜の吉田橋竣工(最初の近代式コンクリート造りの鉄橋)
10月31日井上良馨大将に元帥号を賜う
11月1日鴨緑江の大鉄橋竣工し、朝鮮満州連絡鉄道の開通式新義州で挙行
11月5日上野に開催中の文展出品審査員、日本書に対し不平の墨汁塗抹事件あり
11月15日東京市職業紹介所開設
12月14日ノルウェーの探検家アムンゼンにより初めて南極点到達成功
12月31日東京市電ストライキ
内閣総理大臣
桂太郎 (明治41年7月14日~明治44年8月30日)
西園寺公望 (明治44年8月30日~大正元年12月21日)
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
 
  • 東京京橋日吉町にカフェープランタンが出来て、今日のカフェの魁をなした
  • 岡崎、神都、小倉、熊本、鹿児島、下関、新潟、岐阜、新城、奈良、姫路、九州、伏見、大牟田、八王子、呉、豊州、福島、山形、柳井、泉州、足利、甲府、福山、和歌山の各ガス会社それぞれ開業
  • 「おめでたき人」(武者小路実篤)
  • 「基督抹消論」(幸徳秋水)
  • 「此一戦」(水野広徳)
  • 「刺青」(谷崎潤一郎)
  • 「善の研究」(西田幾太郎)
  • 速達郵便規則公布
  • 電気事業法公布
  • 工場法公布
  • 広告物取締法公布
  • 中央線鉄道全通
  • 東京市、市内三ヶ所に職業紹介所を設置
  • 美濃電気軌道、松山電気軌道、博多電気軌道、それぞれ開業
  • 東京市電、従業員総罷業
  • 東京市、東京鉄道会社の電車施設を買収
  • 鈴木梅太郎、ビタミンBの特許をとる
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 強風のため北海道各地に山火事がおこり、10数日間燃え続ける
  • 小樽高等商業学校が開校する
  • 東北7藩が維新史料編纂会に史料の提出を拒否する
  • 鶴見総持寺で能登別院よりの遷祖式をおこなう(神奈川)
  • 中国革命の進展につき、名古屋第3師団に動員令くだる
  • 大和の長谷寺が焼け、宝物多数が焼失する(奈良)
  • 磯城郡多村の多神神社で古事記1200年記念祭をおこなう(奈良)

  • 小豆島の地主が寒霞渓を外人に売ろうとして問題となる
  • 九州帝国大学が開校


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1912年(明治45年・大正元年)

月日 出来事・事物起源・話題
1月8日頭山満、犬養毅、南京にて孫文、黄興等と正式会見を行う
1月16日大阪の大火(難波新地の湯屋煙突より発火し4576戸焼失、死傷者多数)
1月21日最初のスキー競技会、新潟県高田市金谷山に挙行される
1月27日日中国政府、大倉組と300万円借款
1月28日白瀬中尉、南極に日章旗を掲ぐ
2月1日京都ガス会社争議
2月12日宣統帝退位、清朝廃止
2月22日未成年者の飲酒取締法制定
2月25日台湾で中国人の会社設立禁止
3月12日ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)、東京に創立(中村是公、近藤廉平、浅野総一郎らが発起)
3月18日小松宮彰仁親王の銅像竣工し、上野公園内に除幕式を挙げる
3月22日白瀬中尉の南極探検船開南丸、探検を終えて無事ウエリントンへ入港
3月29日呉海軍工廠スト
4月1日三原山噴火
4月29日北海道夕張炭坑爆発 276名死亡
5月12日国内最初の郵便飛行、米国アットウォーターにより、東京芝浦・横浜間で試みる
5月16日第5回オリンピックへ三島・金栗出発
5月18日発明協会にて無線電信発明家鳥潟右一、横山英太郎、北村政治郎の表彰
5月22日山陰鉄道線竣工全通する
6月6日私娼の検黴制度実施される
6月8日日本鋼管設立
6月18日6国(日英米独仏露)借款団成立
7月3日大坂の「新世界ルナパーク」開場
7月5日東京にタクシー自動車会社創立
7月8日第三回日露秘密協約、調印
7月10日明治天皇、東京帝国大学へ行幸(最後の行幸となる)
藤島武ニ 筆 東京帝国大学正門
7月20日明治天皇重患の御由、宮内省より発表される(御平癒祈願の赤子二重橋前に充ちて跪坐す)
7月20日樺太縦貫鉄道全通式を挙ぐ
7月22日豪雨のため、富山県小川温泉全滅
7月30日明治天皇崩御(大正に改元)
田辺至 筆 1912年(明治45年)7月 宮城正門前
7月30日皇太子嘉仁親王、踐祚
8月1日友愛会を創立する
8月5日日本初のタクシー営業開始
8月13日桂太郎、内大臣兼侍従長に就任する
8月13日大正天皇、山県有朋・大山巌・松方正義・井上馨・桂太郎に先帝(明治天皇)の遺業を継ぐ勅語を下す
9月13日明治天皇御大葬
9月13日乃木希典夫妻、殉死する
9月14日明治天皇、京都の伏見桃山陵に葬られる
和田三造筆 大正元年9月14日夕 大喪 伏見桃山陵
9月26日恩赦令、大赦令公布
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
 
  • 米価暴騰、不正枡検挙行われる
  • 鉄道員施米運賃割引施行
  • 門司及び若松市に水道竣工
  • 名古屋、市営で屎尿処理事業始める
  • 秋田・松山・山口・福井の各ガス会社それぞれ開業
  • 「悲しき玩具」(石川啄木)
  • 「新訳源氏物語」(与謝野晶子)
  • 「牧水歌話」(若山牧水)
  • 「浅草」(久保田万次郎)
  • 「土」(長塚節)
  • 山陰鉄道開通
  • 財団法人大阪職業紹介所設立
  • 済生会、深川・本所に診療開始
  • 友愛会結成
  • 北九州で自動車業出願各地に起こり、道路幅員なきため不許可のもの多し
  • 製縄機発明される
  • 高松電気軌道、岡山電気軌道、広島電気軌道、それぞれ開業
内閣総理大臣
西園寺公望 (明治44年8月30日~大正元年12月21日)
桂太郎 (大正元年12月21日~大正2年2月20日)
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 夕張炭鉱でガス爆発が起こり260名が亡くなる

  • 榛名湖でスケートをはじめる(群馬)
  • 大石寺を大本山とする日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称(静岡)

  • 山陰線が出雲今市まで全線開通する(島根)

  • 清国動乱に際し、小倉第12師団に動員令くだる(福岡)
  • 沖縄県に衆議院議員選挙法を施行




辛亥革命

民主主義革命
清朝打倒と共和制国家の樹立
清朝
古代より続いた君主制が廃止され、共和制国家である中華民国が樹立された
中国
孫文黄興宋教仁蔡元培趙声章炳麟

慰安婦問題の影の黒幕は中国系団体だった

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米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに

2014.11.27 05:10更新 産経ニュースよりhttp://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n2.html

米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。

 米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。

 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。
 日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。
 報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。

IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について
(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた
(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した。

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。(ワシントン駐在客員特派員・古森義久)

ラディカ・クマラスワミ 氏のレポート(1996年)


慰安婦像を立て始めた時期は、2010年からで、その主体は中国系団体の世界抗日戦争史実維護連合会 だそうです。
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在米中国人団体の影響

古森義久によると、慰安婦の碑に関わった在米韓国人の団体は、慰安婦に関することを活動目標としていない、又は規模が非常に小さい、設立して間もない団体しかないという。そして、米国における従軍慰安婦碑の建立を、広範に且つ積極的、組織的に推進しているのは、在米韓国人の団体ではなく、中国政府系在米中国人団体である世界抗日戦争史実維護連合会であるという[31]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%AE%E7%A2%91#.E5.9C.A8.E7.B1.B3.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E4.BA.BA.E5.9B.A3.E4.BD.93.E3.81.AE.E5.BD.B1.E9.9F.BF
-----------------------------------------

2007年にすでに「性奴隷」は存在しなかったという調査結果を受け取っているにもかかわらず、それを無視して立て始めたということになります。

彼らがこの像を建てる目的は日米韓を離反させるため?

自称慰安婦のおばさんが叫んでいた「2度と再び日本を立ち上がれなくする」ための情報戦略の一環?

これは伊藤博文を殺害した安重根記念館を作ると韓国に持ちかけた件と絡んでいそう。

そもそも「20万人強制連行」が報告書により慰安婦像をつくる前から否定されていることから、
諸外国に【韓国はただの売春婦と外国要人を殺害したテロリストの銅像を建てる国】という印象を与えて
韓国の信用を毀損して韓国と競合する輸出商品の販売が中国に有利になるというメリットも狙った?

日本としては【根拠の無い主張がされている像によって住民同士が対立する懸念がある】として、
各国の自治体に慰安婦像設置を見合わせるよう文書を送ったほうが良いかもしれません。

安倍首相米国上下院合同議会演説全文

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安倍首相米議会演説 全文

安倍総理大臣は日本時間の30日未明、アメリカ議会上下両院の合同会議で、
日本の総理大臣として初めて演説しました。演説の全文です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43686
安倍首相、米議会で歴史的演説 大戦の犠牲者に「とこしえの哀悼」
米上下両院合同会議で演説する安倍晋三首相(2015年4月29日)〔AFPBB News

議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、
日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を
始めました。「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を
確信しているからであります」。以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理
として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し
上げます。申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力
ともに、ありません。皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした
偉大な議会人のお名前です。マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォ
ーリー、そしてハワード・ベイカー。民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださ
いましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。キャロライン・ケネディ大使も、
米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。私ども、残
念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。
日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。
家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人、寡婦でした。
亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。
 心から信じていたようです。ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のこ
とをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。デル・フランシア夫人のイタリア
料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちが
なんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。
のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。
上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい
見方なら躊躇なく採用する。――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、
先輩大物議員たちに、アベは生意気だとずいぶん言われました。

私の名字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気
はしません。民主主義の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演
説の有名な一節に求めてきたからです。農民大工の息子が大統領になれる――、そうい
う国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。日本にとって、ア
メリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさか
のぼり、年季を経ています。

先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。
耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというもの
があって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星の一つ、ひ
 とつが、倒れた兵士100人分の命を表すと聞いたときに、私を戦慄が襲いました。
金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。
しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみ
が宿っている。家族への愛も。真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに
刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました
。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばし
その場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を
代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、
哀悼を捧げます。

みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。
70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。
こう、仰っています。「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでも
ない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を
務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄
島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力
を尊く思います。本当に、ありがとうございました。

戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。
みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。
これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。
みずからに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
焦土と化した日本に、子どもたちの飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、
米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。米国がみずからの市場
を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、
 最大の便益を得たのは、日本です。
下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。
今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。
一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。
そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア
太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、
持続可能な市場をつくりあげなければなりません。
太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境
への負荷も見逃すわけにはいかない。
許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に
広め、根づかせていくことができます。
その営為こそが、TPPにほかなりません。しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、
長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。
経済規模で、世界の4割、貿易額で、世界の3分の1を占める一円に、私たちの子や、
孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。
日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、
TPPを一緒に成し遂げましょう。

実は、いまだから言えることがあります。20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。
血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒
に、国会前で抗議活動をしました。ところがこの20年、日本の農業は衰えました。
農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。
日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。
私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにき
た農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。世界標準に則って、コーポレート・
ガバナンスを強めました。
医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となり
こじあけてきました。人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。
女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。
日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。
親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻し
た新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。
ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、
ありえませんでした。省みて私が心からよかったと思うのは、かつての日本が、明確な道
を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父のことばにあったとおり、米国と組み、
西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。日本は、米国、そして志を共にする
民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄
させました。そして今も、この道しかありません。

私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。
徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。日本はオーストラリア、インドと、
戦略的な関係を深めました。
ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。日米同盟を基軸とし、
これらの仲間が加わると、私たちの地域は各段に安定します。
日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、
28億ドルまで資金協力を実施します。アジアの海について、私がいう3つの原則をここ
で強調させてください。第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなす
こと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の
解決は、あくまで平和的手段によること。
太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海に
しなければなりません。そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。
私たちには、その責任があります。日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。
実現のあかつきには日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによく
できるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、
日米同盟は、より一層堅固になります。
それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。
戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。
ここで皆様にご報告したいことがあります。
一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外務大臣、中谷防衛大臣
と会って、協議をしました。
いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする
仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。
それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。
きのう、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。
皆様、私たちは、真に歴史的な文書に合意をしたのです。

1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、
インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援
しました。
その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。
カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。
これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たし
ていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現
いたします。
国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の
不動の信念です。人間一人一人に、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会
を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。
私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。
自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、
その両方の蓄積は、いまや私たちに、新しい自己像を与えてくれました。
いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗
です。繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来
を導く旗印となります。
テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対
し、ともに立ち向かう時代を迎えました。
日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と
友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先
とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ
、価値観を共にする結びつきです。

まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶ
られました。「落ち込んだ時、困った時、目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもと
 に。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。
2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津
波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難
作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子どもたちに、
支援の手を差し伸べてくれました。私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、
一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれまし
た。――希望、です。
米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望で
ある、希望でなくてはなりません。

米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。
アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませ
んか。
希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。
転載元



英エコノミスト誌の2015年の預言と陰謀

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まずはこの画像をごらんください。英エコノミスト誌の今年1月号の日本語版表紙です。大人気であちこちのブログで取り上げられています。赤丸は私が付けました。
イメージ 1

一番話題なのが右下の2本の矢で、11.3、11.5 と書かれています。矢といえばアベノミクス。
その羽根に書かれた 11th3 = 3月11日 と 11th5 = 5月11日。
3月11日といえば東日本大震災の当日。
なのでそこから5月11日に地震が来るのではと言われています。
実際、火山性地震が続く箱根は立ち入り禁止になったそうですし、噴火の懸念が高まっています。

陰謀説をたどれば、アメリカの9.11同時多発テロもあり、
それなら今回の地震テロは6月11日のほうが良さそうな気もします。
なぜなら3月、6月、9月と揃うと、仏教信仰の弥勒(ミロク)をあざ笑う悪魔の数字となるからです。

もしかして日本の6月は梅雨だから、5月にしたのか?それとも英国で5月に選挙があるからか?

「梅雨だから」を前提に陰謀説を組み立てると、気象兵器は分厚い雲に弱いのかもしれないという仮説がなりたちます。今はどうか知りませんが、以前のGPSは雨の日は弱いと芝浦工大の教授は言ってました。

なら、電波が届かないよう
雨乞いするしかない! (=^・^=;)
 はんぶんホンキ!

犯人はモチロンこの絵を描いた方ですよね。9.11テロのときは、イギリスの放送局はまだ崩壊していないビルについて現場レポーターに尋ねる実況中継をするなど、かなりシッポを出しています。

さて、右上の地球の顔ですが、これは英国ロスチャイルドと米国ロックフェラーの対立を表していると思われ、今年はロスチャイルド有利な展開になる予定だったようです。何故かと言うと、ビートルズ日本公演から50年、ドラムに英国の剣?が刺さっています。(アベノミクスの3本目の矢の代わり?)
ビートルズのジョン・レノンは家庭があったのに日本人のヨーコに心を奪われて結婚してビートルズを解散し、イギリスを捨てたので、イギリス人は日本人をキライなのだとなにかで読みました。

下の方の赤いパンツを穿いたムキムキパンダはたぶんAIIBを表していて、
日本も(お相撲さんが燃料電池?を持って)AIIBを支えるハズだったのに。。これは予定外でしょうね。

さて、オバマ大統領の足元左側にオバケと、右側に気味の悪いネコがいます。
これはハワイの絵柄のお菓子?を持っているので、パールハーバーの亡霊が出るよ、という意味でしょうか。

これに対して先回りして
アメリカの議会演説で、かつての米軍兵士を戦死した日本兵遺族と握手させた安倍首相、サスガです。
「パールハーバーを覚えていますか?」という嫌がらせの広告が出たそうですが、狙いは外れたようです。
また、ネコは「女性の陰湿な嫉妬」を表すと言われています。そうすると、あの国の女性大統領でしょうか?

浮世絵の手前のナポレオンは何を表すかというと、。。


--------------------------------
ワーテルローの戦いは、ナポレオンが率いるフランス軍と、イギリス・オランダ
プロイセンを中心としたヨーロッパ連合軍との戦いでした。

当時、ロスチャイルド家のネイサンはイギリスでロスチャイルド銀行を営んでい
ました。ネイサンはロンドンの取引所で、ワーテルローの戦いの勝敗を、固唾を
飲んで見守りました。

何故かというと、ナポレオン軍が勝つか負けるかで、イギリスの国債の価格が大
幅に変動することが予想されたからです。

どういうことか、詳しく説明しましょう。

 -------------------------------
 ☆ナポレオンの勝利⇒イギリス軍の敗北⇒イギリス国債の暴落
 -------------------------------
 -------------------------------
 ★ナポレオンの敗北⇒イギリス軍の勝利⇒イギリス国債の価格UP!!!
 -------------------------------

当時、ロンドン取引所では「ナポレオンが勝つ」と言った見方が大半でした。
何故なら、ワーテルローの戦いの前哨戦で、ナポレオンが勝利を収めていたから
です。
しかし、実際の勝敗は誰も分かりません。
つまり、正確な情報を、誰よりも早く収集した人間が大儲けをすることができる
のです。ロンドン中の投資家は、その情報が来るのを、今か今かと待ちわびてい
たのです。
そのような状況の中で、各地に情報網を持っていたネイサンに「ナポレオン敗北」
の知らせが飛び込んできました。これはイギリス政府が知るより、1日早い情報
だったのです。
-------------------------------
もし、みなさんがネイサンならどうしますか?
-------------------------------
先ほど説明した通り、「ナポレオンの敗北」は「イギリス軍の勝利」であり、イ
ギリス国債の価格は大幅アップが見込めます。

ネイサンは誰よりも早く、「ナポレオン敗北」の情報を手に入れたわけですか
ら、今のうちにイギリス国債を買えば、儲けることができますよね。
しかし、ネイサンは、そうしなかったのです。

            〆    〆    〆

ネイサンは取引所に行き、沈痛な顔をし、じっと黙っていました。
当時、既にネイサンは金融界では有名人でしたので、誰もが「ネイサンは何か
知っているのではないか?」と勘ぐります。

そして、ネイサンは動きました。「イギリス国債の売り!」
取引所はどよめきました。
-------------------------------
「ネイサンは何か知っている!」
「ナポレオンが勝ったのだ!!」
-------------------------------
その瞬間、ロンドン取引所では、イギリス国債の売り注文が殺到しました。
さらにネイサンは莫大な売り注文を入れます。
-------------------------------
「間違いない!」
「イギリスは負けた!」
「イギリス国債は大暴落するぞ!」
「今のうちに国債を売った者が勝ちだ!!」
-------------------------------
投資家はパニックに陥り、イギリス国債は二束三文で叩き売られたのです。
その時です。ネイサンはただちに指示しました。
-------------------------------
「今、売りに出ている国債を全部買え!」
-------------------------------
そう、彼は二束三文で売られている国債を買い占めたのでした。
その後、取引所にも「ナポレオン敗北」のニュースが飛び込み、イギリス国債の
価格は跳ね上がったのです。
それに伴い、ネイサンは莫大な富を得ました。
http://www.nobitown.com/dom010629.html

ロスチャイルド家はナポレオン戦争の情報戦で
勝ったのでした。
だから日本国債も暴落させてから買うよんという
勝利予告のメッセージか?

そういえば下の方のパンダの横のボードに「Panic]の文字が。
手前のラグビーボールが世界地図なのはボールを蹴飛ばしてパニックを起こす
スケジュールは赤い印の月曜日。。5月11日は月曜日ですね。(^_^;)

社会のパニックこそ利益の源泉ということでしょうか。

ジョークだとしても許せないですね! 
と、妄想が爆走中。。 (=^・^=;)



ところで、中程のヘリはもしかしてネパール地震の救援でしょうか? だとすると。。(-_-;)

右上には白い霧を撒きながら段ボール箱を運ぶドローンも飛んで、賑やかです。

そういえば首相官邸にドローンを墜落させた犯人は、
元自衛隊員で、その後大手企業の正社員になり、漫画が達者で現在無職、そして彼のかぶっていた帽子には
5.11の文字が。。


Exif_JPEG_PICTUREhttp://sayuflatmound.com/?p=11217

ラッスンゴレライとかいう怪しい芸人も気になります。原発再稼働反対というのは、
気象兵器を使った場合に
核施設が稼働していると予測不能な事態になるからでしょうか?

(ワトソン君、君ならどう考えるかね?)

左側のハメルンの笛吹きの役割はもちろんAIIBの参加国集めでしょう。
その下のクマノミ(お魚)が気になりますが。。海から何か発見されるのか?

米オバマ大統領と中国習近平国家主席の間で、ひとりゴーグルのスクリーンを見ているのが安倍首相らしいです。
見えている世界が違うよというメッセージでしょうか?

後ろで頭に何か載せている女性が気になったので探したら、ウクライナのティモシェンコ首相のようです。

「ティモシェンコ」の画像検索結果ティモシェンコ氏
失脚して禁錮7年の実刑判決を受け収監されていましたが、2013年に釈放されたそうです。
親米派だそうで、この人が再び首相になることがアメリカの利益になります。

冒頭の画像の彼女の頭の上にあるのはよく見るとタカと鳥の巣の卵のように見えます。
タカはアメリカを表しているかもしれないのでアメリカのウクライナへの投資を調べたら。。
ビンコ!でした。

欧米アグリ-ビジネス・コングロマリットによるウクライナ奪取

中略)
ウクライナ、偉いことになっている。
いや、心配におよばない。TPP締結で、我々も間もなく追いつく。農業、健保、教育、郵貯、水道、ありとあらゆることが、宗主国大企業の意のまま。
言語も、官公庁入札は、英文を用意しなければならなくなる。ロシア語使用を禁じたウクライナ同様、日本語禁止になるかも知れない。(半分本気で思う。)
巨大先住民居留地列島の完成。
牛肉の関税を下げるやら、米の輸入を増やすやら、TPP全面降伏をこまぎれに報道する大本営広報部。戦略特区は、TPPの先取りに過ぎない。
今朝の大本営広報紙、一面には牛肉やら米のTPP譲歩話がのっているのに、内部論説欄には、立教の郭洋春教授のまともなTPP懸念論が簡潔に紹介されている。一面であおっておいて、一方中を読むと、懸念もかいてある。一体どちらだ、と文句をいいたくもなる。
「イスラム国」の今回の対応を言語道断とのたまう、この事態を、無意識、あるいは、意識的に招いた本人トンデモ氏こそ言語道断。それを放置する大本営・評論家諸氏こそ言語道断。
よくわからない理由(民間軍事事業を目指すという触れ込みの方と、その通訳をするという触れ込みの方)で、あえて危険な場所に赴いたお二人を人質に、理不尽な様々な広報活動や要求をするのはもちろん悪い。
今回、自己責任論をあまりみかけないような気がする。当然だろう。自民党関係者の行為であれば、自己責任でなく、「自民党責任」だろう。身代金も、特殊部隊派遣も、全て自民党の責任で進めるべきだ。宗主国の為に死にたいと投票した、25%の方々の責任だ。
一億人、そして未来世代を、売り飛ばすのは、それと到底比較にならない犯罪行為。
  • 人質がいる時に、無意識で喧嘩をうれば、こういうことになるのが分かっていなければプロと言えない。素人以下。言語道断の阿呆。
  • そうでなく、意識的にこうなるとわかって仕組んだのであれば、言語道断の人非人。
どちらにせよ、この国の最高幹部、最高患部ということになるまいか。
大逆事件という猿芝居裁判で処刑された、反戦を主張していた幸徳秋水たちは、草葉の陰で泣いているかも知れない。
この活動の要になっておられるのは、山田正彦元農水相

以上転載http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/--8dcf.html


地震も怖いけど、もっと怖い

江戸時代末期の不平等条約への逆戻り
以上にマズイ
かもしれないTPP条約への13階段登り中
のようです。

ちなみに、日本が何故赤字国債大国になったかという事の始まりも米国のせいらしいです。

バブルが崩壊したのは1990年ですが、1989年より開催された日米構造協議により、日本国政
府は米国からの圧力でGDPの10%の公共投資を10年連続で行うことを決定づけられ、
総額430兆円の国債発行を行いました。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7222128.html

でも結局国内で国債を引き受けたので、ギリシャのようにはならずに済んだのでした。


というわけで、未来の子どもたちのために、ウクライナのようにならないように

TPPは不参加の方向でお願いしたいです。

このさい、日本は金融防衛と
地震兵器の存在有無の解明について

もっと真剣に考えたほうが良いと思います。








きかんしゃトーマス

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子どもたちに人気の「きかんしゃトーマス」の広告が目につくので調べたら、70周年だそうです。

大井川鐵道では実際に乗れる蒸気機関車のトーマス号が走り。。写真と思えないメルヘンな世界。(=^・^=)
http://www.oigawa-railway.co.jp/20150600thomas.html


ひらかたパークと富士急ハイランドでは園内で大々的なキャンペーン中。

ひらかたパーク
アトラクション attraction
http://www.hirakatapark.co.jp/event2015/spring/thomas/attraction.html

富士急ハイランド
トーマスランドで遊んだ後は…グルメ&スイーツ 和洋食から選べる パティシエが作る極上スイーツ|温泉&スパ 良質天然温泉 リゾートスパ|眺めの良いお部屋 絶景の富士山 フジQの眺めも格別 http://www.highlandresort.co.jp/fujiq/thomas.html?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_term=%2B%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%80%A5%20%2B%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9


子供をダシにしてリアルきかんしゃトーマスに乗ってみたいお父さんも多いかも?

でも、
お財布を握っているお母さんのハートをくすぐる富士急ハイランドのエステとスイーツの誘惑が一枚上手?(=^・^=;)

ミラノ万博日本館

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イタリアのミラノで現在万博をやっていて、日本の出展の評判が良いらしいと韓国の記事。

日本の情報は韓国経由のほうが詳しいのはいつも不思議。

で、NHKサイトで検索したら。。http://www3.nhk.or.jp/news/

※左下の検索ボックスで「ミラノ」と入力
ミラノ市民の一部が万博反対で暴徒化という記事しか出て来なかった。。 orz
それでワールドオンラインのほうで検索した結果が以下のとおりなのですが、
ミラノ万博開幕のニュースはすでに削除されていました。まだ開催中なのに。。
NHK、おかしくないですか?

それで、公式サイトを見ることに。
http://www.expo2015.jp/


2015年ミラノ国際博覧会 Feeding the Planet, Energy for Life 地球に食料を、生命にエネルギーを

子どもたちの社会科見学にぴったりの内容だと思うので、
国内でもこのコンテンツの常設展示施設を是非つくって欲しいと思いました。


NHKサイトでの「ミラノ」検索結果

ミラノ」の検索結果

該当229件

イタリア ミラノの横断歩道:素材をさがす:NHKクリエイティブ・ライブラリー

… ていただくための「創作用素材」として、インターネットを通じて提供する無料のサービスです。…イタリア ミラノの横断歩道:素材をさがす:NHKクリエイティブ・ライブラリー NHKクリエイティブ・ラ...

http://www1.nhk.or.jp/creative/material/2c/D0002011299_00000.html - 27KB  

NHKクリエイティブ・ライブラリー 素材をさがす

… 沖縄県 世界の地域 アジア ヨーロッパ 北米 中南米 アフリカ オセアニア 北極・南極 キーワード キーワード:ミラノ ダイジェストで見る イタリア ミラノの横断歩道 NHKニュース 素材の詳細ページ

http://www1.nhk.or.jp/creative/material/keyword/d1/714/list_001.html - 24KB  

ミラノ万博開幕 日本は和食PR NHKニュース

NHKの取材網が日本の、そして世界の出来事をとらえ、世の中の「今」を伝えます。…ミラノ万博開幕 日本は和食PR NHKニュース NHKニュース ◆国際 ミラノ万博開幕 日本は和食PR 「食

http://k.nhk.jp/knews/20150501/k10010067471000.html - 2KB  

ミラノ万博 反対の市民の一部が暴徒化 NHKニュース

NHKの取材網が日本の、そして世界の出来事をとらえ、世の中の「今」を伝えます。…ミラノ万博 反対の市民の一部が暴徒化 NHKニュース NHKニュース ◆国際 ミラノ万博 反対の市民

http://k.nhk.jp/knews/20150502/k10010068241000.html - 3KB  

ミラノ風コロッケ(2人分) : ためしてガッテン - NHK

午後8時から放送。次回の予告、過去の放送内容、レシピ、クイズなど…ミラノ風コロッケ(2人分) : ためしてガッテン - NHK   ホーム > レシピ集 > 検索

http://www9.nhk.or.jp/gatten/recipes/R20071010_02.html - 26KB  


歴史認識を考えてみる(13)

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中華民国の大陸 大正元年~

大陸を駆け巡る日本人

上海の日本総領事館 国内では自由民権運動から労働争議へ、ストライキ始まる


http://www.geibundo.com/mizuhonokuni/mi20110117.html
借款団による中国支配
1910年の四国借款団
「イギリスはその帝国主義的『権益』の主要なものが揚子江流域にあったので、日本がそれを侵さないかぎりは、満州と華北のことでは、あるていど日本に宥和的であったが、日本と取引きすべき利権・勢力範囲を清国内にもたないアメリカは、ろこつに日本に対抗した」

「日本とロシアの満蒙分割を、アメリカも指をくわえてみてはいない。一九〇九年三月、アメリカ大統領はルーズベルトからタフトに代り、ノックスが国務長官となり、いわゆる『ドル外交』を派手に展開した。ノックスは、同年一二月、南北満州のすべての鉄道を、日・露・英・米・独・仏六カ国の資本よりなるシンヂケートで買収し、六カ国共同で、商業的基礎に立ってその鉄道を経営することにしよう、と五カ国に提議した。いわゆる『満州鉄道中立化』の案である。日本やロシアの帝国主義からみれば、これはまた何と虫のよいアメリカ帝国主義の提案だろう、ということになるのは当然で、両国ともすげなく一蹴した」
「これでもアメリカ独占金融資本はあきらめない。一九一〇年一一月には、アメリカの首唱により米・英・独・仏の対清四国借款団がつくられ、清国の幣制改革と満州企業振興のための借款を清国に提供することになった。その借款条約では、清国は満州の企業投資に関して優先権を四国借款団にあたえると定め、また東三省内で新たな税をおこし、煙草・酒などにかかる税を借款の担保とすると定めてあった。日露両国は共同してこの契約に抗議して、その借款計画をこわした」

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/nihon-teikokusyugi.html
そのころには借款の担保を、鉄道やその経営権とすることはなくなっていた。塩税や釐金(りきん:一種の消費税)を担保とし、またその税を管理する外国人顧問を雇うよう要求していた。
中国への進出が出遅れたアメリカは、門戸解放をスローガンに、借款を英仏独や日本と共同参加をするという方針をとった。しかし、ウィルソンが大統領になると、この四国借款団(日・露の参加で六国借款団になっていたが)から脱退する。それは借款団が、中国の独立を阻害するおそれがあるという判断からだった。
また彼は従来のウォール街のマネー・トラストによる借款には不同意で、個別資本による借款の形をとった。しかし、これでは借款団に対抗できなかった。また、日本が西原借款によって、中国支配をはかると、これに刺激され、もう一度米英仏日の借款団方式に方針を変えた。これは特定国(特に日本が考えられていた)の権益独占を防止するための枠組みだった。国際協調による門戸開放政策であり、国際連盟の理念を経済政策に転用したものだった(新四国借款団は「小国際連盟」といわれた)。

参考 三谷太一郎著、『ウォール・ストリートと極東』、東京大学出版会
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1354620143;_ylt=A7dP5W6WY0lViTYAKuJtAPR7?fr=rcmd_chie_detail

また、日本は別のパイプを持っていた。清朝の財界人盛宣懐の設立した漢冶萍公司とは鉄鉱石の輸入と石炭
   ・コークスの輸出取引が行われていた。1910年、三井物産の社員の身分で
盛宣懐秘書となった高木陸郎は、三井物産の意向だけではなく、井上馨をはじめとする日本政府の指示に従う立場となったと言える。国立国会図書館憲政史料室所蔵「井上馨関係文書」には、この時期、9月5日付の高木陸郎による井上馨宛書簡が残されている。高木は、盛と井上の書簡往復の仲介者の役割を越え、前月実施された日韓併合により惹起された反日的空気や、米国資本がこの機に乗じて、借款を通じた鉄鉱石や銑鉄の利権獲得を計ろうとしている様子を、詳細に井上へ報告している37。翌1911(明治44)年に入ると、正金銀行と漢冶萍公司とで、3月600万円、5月600万円、計1200万円という以前に比べると巨額な借款契約が結ばれた。http://blog.livedoor.jp/qrie/WasedaUniversity_NextGenerationAsianForum8_March2015_RikuroTakagiInXinhaiRevolution_KoichiYoshizuka.pdf                                                               
貧困からくる蒙古の盗賊団対策のための蒙古独立運動を主導したいきさつ

~満州国設立への序章~              
当時袁世凱は日本が日露戦争を経てロシアから奪還した満州の租借地に1900年に孫文が設立した中華民国大統領として着任していた。

 
日露戦役の際、我が特別任務班の麾下に属する満州義軍の中に、蒙古騎馬隊の頭目、
巴布札布がいたのは周知のことである。義軍解散するにあたり、我が軍の斡旋により奉天
将軍に認められ、彰武県の巡警局長に任用せられ、大いに治績をあげおりたるも、たまた
ま支那革命が勃発し、清朝の没落を見るに至ったので、蒙古民族の独立を夢見る彼は、
同志と共に、外蒙古博克図、哲布尊丹巴呼図克図汗(ジュプツォンタンバホトクトハン)=活仏のもとに至り、東南部都督に任ぜられしも、当時現地を旅行した山県初男大尉等は、パブジャップ軍の実態を次ぎの如く書いている。(カナは改め)
 いわゆる「蒙匪」なるものは、その大部は一昨年外蒙古軍の募りに応じて南犯軍に
 編入されたる蒙古無頼漢の集合にして、露支協約の結果、南犯軍の必要なきに至り、
 外蒙政府はまたこれに給与せず、散して郷里に帰るも衣食の道なきを以って、やむ
 を得ず集団し、略奪を以って生活せるものにして、彼らは自ら称して外蒙軍というとい
 えども、その実、主として内蒙古人にして、これに若干外蒙人及び支那人の加わりあ
 るものなり、彼らの跳梁する区域は東西ウジムチン、ホチト、克什克騰、巴林、アルコ
 ルチン、東西札魯特に跨り、その数総計3000と称せらる、而してこれらの各王府は
 その兵力、最も多きもの400を出でず、微弱にして、到底これら匪賊に対抗し、広大
 なる地方に散在する旗民を保護する能わざるを以って、これら匪賊の通過するあれば、
 宿舎糧食を給し、妥協を以って旗下を略奪せしめざるが如き方法を取りつつあり、
 従って匪賊は公然大手を振ってこれら区域内を闊歩しつつあり。彼らの略奪を為す
 原因は前記の如く、生活上の必要に基づくものなりといえども、そのこれを為す他の 
 原因は、露国商人にありとす。もし露国商人にして彼らの略奪せる牛馬を買うことなく、
 糧食、被服、兵器を供給する事なくんば、彼れ匪賊は自然解散して、各々その郷里に
 帰るに至るべく、この点より論ずれば、露国商人は暗に匪賊を教唆の位置に立てる者
 というべきか。然れども、今や各旗下の人民は概ね僻遠の草原を去りて、漸次王府や
 廟の付近に集団移居しつつあるを以って、匪賊も自然略奪の目的を達す事困難なる
 べく、且つ人民、牛馬も匪賊のため漸次その数を減ずるに至れるを以って、これを放
 擲し置くも、遠からずして、その大部は自然に解散せざるべからざるに至るべし」
 
 大正4年11月10日、外蒙官府から中国庫倫官府へ、内蒙人パブジャップは外蒙に帰服し、キャプタ三国会議当時、活済特(ホチト)北方塩湖(ダブスノール)にいたので、党を解散して各々の旗へ帰ることを勧め、漸く帰国しつつありて、ラマクレ廟を経てパインホッショスムにて支那兵に襲撃され(同廟兵火全焼ののち新築されしため新廟(シンスム)と中国人は称したり)しため、パ軍はユクジュル廟へ廻りたるに、今、中国軍は大部隊を以って追撃している。三国会議において独立当時、外蒙に加担した者は、既に恩赦にあっているはずなるに、軍隊を以って討伐するいわれはない。中国政府はパ討伐をあくまで遂行するか、返事を承りたい」と、剿匪軍司令粛良臣は、ユクジュル廟より庫倫の陳都護使の元に「本二十日匪巣を攻撃、パ軍頑強に抵抗し六時間で撃退し、匪千余を倒し、五百余を捕虜(いけどり)、大砲、機関銃各一、騎兵銃千余挺、外奪取せり。パブジャップは残党を率いてトウ南や、南部巴爾虎(バルガ)方面一帯に逃げたようである」と云々。   トウ=サンズイに兆
 
 中国辛亥革命に際し、西園寺内閣は、明治45年1月16日の閣議で、日露協約を更に拡大し、内蒙古をも日露両国で東西に分割して、各々その勢力範囲とする方針を定めた。ロシアとの交渉の経過は省略するが、7月8日調印された第三回日露協約で、両国は満州における境界線を延長するとともに、内蒙古を北京の経度(東経116度)を以って東西の二部に分割した。
よってシリンゴールとチャハルの両盟は日本の勢力範囲と定められた。すなわち第一回協約で、日本は外蒙古における露国の特殊利益を承認済みであった(日露密約)。
 
その機会に日本陸軍の一部の者と川島浪速ら大陸論者らとの策動による、第一次満蒙独立運動が進められた。川島は早くより中国問題で活躍し、北京官界に特殊な地位と勢力を持ち、特に清朝粛親王と密接な関係を持ち、革命を機に「支那分割論」を唱え、その実施に付き寺内朝鮮総督の暗助を求めた。
参謀本部との連絡のもとに実施に移され、川島を主とする一味と、陸軍から派遣されていた高山公通大佐、松井清助大尉、多賀宗之少佐らによって進められ、
菊地武夫北京守備隊長らがこれを暗助したものである。 註・援助の間違いではない
 
袁世凱の爆殺が失敗するや、次いでは粛親王を擁して満州に奔り、一方蒙古にはカラチン王らを挙兵させ、相合して満蒙王国を建設しようと図った。然し落合奉天総領事の内田外務大臣への意見具申により、政府は挙事中止と決定し、参謀本部の福島安正次長をして川島らに対し命令させ、政府は川島を呼び、内田外相から川島に対し、本運動を固く封ずる旨を言い渡し、川島もまたやむを得ずこれに服し本件は一段落を見た。本件は西園寺内閣によって抑制されたけれども、第二次西園寺内閣は、朝鮮の治安維持と満州の権益擁護のため、二個師団増設を強く要求する陸軍の圧力にあって、この年12月、内閣は瓦解したのである。
 
* 第二次満蒙独立運動 (巴布札布事件または鄭家屯事件という)
 第一次運動中止より本件に至るまでの間の、日本の対中国満蒙問題の推移を概観すれば、関東都督府陸軍部は独自の満蒙政策を有し、1913(大正2年)都督府参謀長福田雅太郎少将が着任するや、その傾向は一段と推進され「日本が満州における発展を企図する間は、到底平和的手段を以って円満に解決する見込みなきが如し」という結論を得ていた。一方また川島浪速は、一応政府の命に服したとは言うものの、その後、長文の「対支管見」をものし、これを政府その他の関係要路に提出して、満蒙独立の必要を説き、その勢力の育成に努めるところがあった。
 
 一方、政府の直接の主管者である外務省政務局長には、阿部守太郎が就任していた。阿部は関東都督府の考え方や川島らの意見は、頗る狭隘で満蒙独立を企図するが如きは「第一、到底支那の承諾を得る能わざるのみならず」、ひいては日本に及ぼす累は甚大なるものがあると憂慮し、そのため政府において強く軍部を押さえて、特に対中国満蒙問題に対する軍部の干渉を封じようと計った。

 1913年(大正2年)9月始めに起った同局長暗殺事件の背景には、かかる両者の間における政策に対する識見、施策の大きな相違があったのである。さて阿部の後任として、小池張造が急遽、英国から呼ばれて就任した。阿部が内田、牧野両外相および伊集院公使と極めて近く、軍部牽制派なりしに対し、小池は、前外相加藤高明の信任が厚かった。
 1914年(大正3年)4月、山本内閣に替わって、第二次大隈内閣が成立し、加藤が三度外相の任に就いた。加藤が外交を外相の許に統一し、機会あらば早く満蒙問題を解決しようと考えていたことは、周知のことである。
 加藤は支那浪人の言は聴かざるも、軍人の意見は尊重するのみと、古島一雄に語りし由、間もなく8月下旬、日本の対独宣戦布告、好機をとらえて対中国満蒙問題を解決すべしとの要求が、軍部を始め各方面から政府に寄せられ、1915年(大正4年)11月青島陥落と共に閣議で交渉案が決定し、山県、井上、松方、大山の各元老の諒解を得た上で、陛下の内奏裁可を得、日置公使を北京より帰朝させ、有名な二十一ヶ条の要求を提起することとなる。
 この夏ごろから問題化していた袁世凱の牽制問題は、いよいよ12月「反袁」の第三次革命となって勃発し、この前後日本の反袁勢力も各方面に盛んになってきた。日置公使が二十一ヶ条を袁世凱大総統に謁見陳述した翌日、反響を知るため訪れた北京坂西機関に対し、袁は「予は貴国人もしくは政府より怨みを買うべき事実なきを信ず、然るに貴国言論界は我を罵言して巳まず。
ほとんどが豚か狗のごとく軽蔑するものの如し。今や予は多きを望まずせめては貴国人が対等の支那という意義において交際せられんことを望む」と語った。また、袁は要求を受け取った夜、閣議を招集し、連日三日間会議された。日本の真意がどこにあるのか、日本の条件はかつて朝鮮へ提出された要求と匹敵する過酷なものであり、今完全に拒絶することは情勢上できないが、主権に関係するものには応じないという方針であった。またラインシュ米公使は、閣僚の一人より伝えられ、「中国の主権は東に向かって雲のように消え失せつつある。朝鮮が再びくり返される」と、米高官シンプ゜ソンに語った。

 かかる情勢下に1月12日(1916年=大正5年)夜、対中国強硬論者らによる大隈首相爆弾暗殺事件が起こった。同事件は爆弾不発のため未遂に終わったが、2月半ばには「対支有志大会」が開催され、袁世凱反対を決議し、政府へ迫った。かかる国内の気運に憂慮する向きは各方面にあった。

政友会総裁原敬の日記の一部に「三月三日・・・参謀次長田中義一に会見せり、(実は国論らしくもなし、例の支那浪人等と会して排袁を唱道せし迄なれども、これには参謀本部なども、尻押しをなしおるやに疑はる)・・・目下陸軍より外務省に迫りて廟議の決定を促しおるも、未だ決定に至らずと言えり。とにかく陸軍側は小細工を好み、また内閣もこの問題を利用して内閣維持策を講ぜんとするものの如し」。かかる情勢下に、冒頭に掲げた大隈内閣の3月7日の閣議決定の、大倉組への、
満蒙挙事への資金拠出要請となったのである。
 
 さて一方、川島浪速を頭目とする
第二次満蒙独立計画
は、1915年(大正4年)夏頃から、内外国境
ダブスノール(塩湖)に蟠居する蒙古騎馬隊の首領巴布札布と連絡をつけ、同隊を動かして粛親王を中心とする宗社党と結びつけ、満蒙独立の事を挙げようとする計画の本尊は粛親王で、総帥は川島浪速を中心に、伊達順之助(後満州国陸軍中将)、前川坦吉(後昭和9年より善隣協会西ソニット班長、昭和16年より同会理事長)、予備将校津久居平吉、外15名(氏名・略)、予備下士官伊藤テイ次郎(テイ=金ヘンに是)、外10名(氏名・略)、木内嶺(後警視庁警部)、外、志士浪人35名(氏名・略)、等。一騎当千の勇士が東亜経綸の志に燃えて参画した。
 
一方、参謀本部では田中義一次長の下で、さきに関東都督府参謀長から転じていた、福田雅太郎第二部長が直接担当した。福田は満蒙視察に派遣していた部下の小磯国昭少佐(後の大将)を至急現地から呼び、(小磯少佐は大正4年8月、田代皖一郎少佐班ー東西ウジムチン地方、上野良亟大尉ーチャハル地方、と共に、熱河、蒙古地方を視察したが、翌大正5年3月下旬、急遽招電に接し、一旦帰朝してから福田は秘策を伝えて、現地に帰ってこれに当たれと命じた。この時、小磯は、咄嗟に「これは一の陰謀ですな。由来陰謀の成功したためしはありませぬ。これは成功望み薄と思います。」と
答えたが、福田が存分にやってよろしいというので、その命令に従い現地に帰った。
 ― 「戦犯獄中回顧録・葛山鴻爪」の中の記事)
 
 当時の関東都督は中村覚大将、参謀長西川虎次郎少将で、独立守備隊司令官は高山公通少将、奉天には張作霖の軍事顧問として菊地武夫大佐がおり、参謀本部は右挙事の総指揮として、土井市之進大佐、その補佐として小磯と松井清助大尉等がいた。中村都督は3月7日の閣議決定を知るや、各地の領事館並びに軍憲に対し、内命として、「排袁を目的とする本邦人の活動に対し、その取締りに手心致されたし。右は本月7日決定の閣議の趣旨に副う次第」であると伝えさせた。ところが、右の都督の態度とこの策動に、各地の官憲より異議が出てきた。まず在安東の吉田茂(後首相)領事は、
3月16日付け、石井外相へ極秘電にて反対意見を上申してきた。「閣議決定による金銭上の融通云々とは、支那良民に対する暴行略奪をも黙過することは存じ寄らざる所なるか」。さらに、「政治的関係ある奉天の如きありては、帝國の国威に関するに至るやも計り難く・・・云々、都督府に対し急速取締方針確かと御訓令相成様切望に堪えず」
 
翌17日の在奉天の矢田七太郎総領事代理の電報も、「ちかごろ、青柳予備大尉外、宗社党あるいは革命党をはじめ馬賊関係の徒に至るまで、それぞれ画策しているが、到底成功覚束ないのみならず、醜状を暴露して面白くない」とし、次いで例えば「支那軍隊の如き、有力なる勢力を内部より動かしたる結果に基づく根柢ある暴動ならば格別」 なるも、「例えば張作霖ごとき者が動くならば、別なるも」、「我が軍憲の威力の蔭に隠れて試みんとする、不体裁なる掠奪的小暴動は勃発せしめざる様、本官の裁量にて取締を加えたしと存ずるが差し支えないか」と聞き、「右は本郷師団長より内密相談を受けたる次第もあり」何分御電訓を願うと言ってきた。右電文の本郷師団長とは、満州駐屯の第17師団長、本郷房太郎中将である。同師団長は陸軍次官より転出したもので、田中参謀次長や福田第二部長らの先輩であり、中国問題、特に満蒙政策に対して一見識を有し、参謀本部のかかる謀略並びに中村関東都督に対しては、強く批判的であった。なお本郷師団長の他、独立守備隊
隊長藤井幸槌少将も、本郷、矢田、吉田茂と同様の見解を有していた。

 かくて3月31日、参謀本部田中次長は、都督府西川参謀長宛訓電、土井大佐の担任する任務は、中国全般の情勢と睨み合わせて行なう必要がある故、準備は出来ても、実施は当本部の指示を待って開始させるようにせよと命令した。また、本計画に対し反対意見が出てきた。現地に出張中であった伊集院彦吉駐支大使は、4月2日付、石井外相宛、各地を旅行し本計画を漏れ聞くに、かかる浅慮無謀の挙は列国の猜疑を招き、また反って袁世凱に南北妥協の口実を与える結果となり、大局上面白くないから中止させる様ご考慮を願うというのである。また寺内朝鮮総督あたりからも、軍方面に寄せられたようである。
 袁牽制問題の推移に従って、満州の政局は微妙となり、張作霖と奉天将軍段芝貴との暗闘は激化していた。張は段を放逐して自ら奉天将軍となろうと計っていたのである。矢田らはこの機に張に働きかけて、日本の暗助のもとに、張による満蒙独立を図る方が、土井らの計画よりはるかに実際的であるものとした。かくて現地、奉天において、日本側の対満施策が二途に岐れた。矢田の方策具申に対し、石井外相、田中参謀次長らも同意し、十分用心して張に当たってみるようにせよと訓
令した。
 4月10日付け、田中次長発西川参謀次長宛電報は、張作霖の意が漸く働くように認められるので、「この際、今一歩を進め、日本の真意を仄めかし、彼をして独立せしむること、捷径にして且つ穏当なりと信ず」よって貴官は機会を作り、張と会見し、張の決起を促すようにせよ。なおその際、張の身分の保証を始め、兵器・軍資金供給等について尽力をする旨を言明してよろしい。但し、袁側に通ぜぬよう十分注意し、奉天の矢田ともよく打ち合わせて実施せよというのであった。

 ここで政府の当初の計画は急に変更を見たのである。ところが、中村関東都督は、政府の奉天側張接近工作には反対である。現地の施策はいよいよ二途に岐れざるを得ない。奉天側は、袁金鎧ら満州要人の張作霖独立運動を暗助し、張独立宣言まで進めようとして、袁金鎧らと内談をする。

一方、旅順側は中央よりの命により、土井一派の工作は一応実施を延期するものの、奉天側の張工作を阻止し、満蒙挙事は既定の方針として着々準備を進める。他、一方、段芝貴は張作霖の圧迫に加え、日本側の工作をも探知し、身の危険を感じ、日本の裏をかく方策を立て、4月19日に突然、満州(東三省)の実権を張に譲って、密かに北京へ逃避する。

 ここで張作霖は多年の宿望を一応達成し、奉天将軍代理兼奉天巡安使となり、名実ともに満州の実力者となったのである。張将軍と日本側との折衝の任には、知日親日派の干冲漢があたり、なお張の軍事顧問菊地武夫中佐が、張と日本側との連絡係として活躍する。

 更に他方、土井、小磯、川島らの工作は、「余の手先の奔馬はそう易々と止まるものではない」と、小磯が後日語っているように、巴布札布工作をはじめ、各方面の挙兵計画は依然として進められてゆく。小磯は東京の真意を確めに上京したところ、福田部長は直接にではないが、小磯は満州へ帰ったら、「実行するのさ」と聞こえよがしに言う。小磯は以心伝心、また取って帰って現地工作を進める。終にこの一派は張作霖爆殺の挙にでる
 
 すなわち5月27日、中村都督の奉天訪問の際、張の馬車をめがけて、三村豊(予備少尉・25歳)は、張が往路、先頭の馬車に乗っていたのを見定め、自身諸共ぶつかって爆砕する。轟然たる爆音、無論人も車も木っ端微塵となった。張は帰りは最後尾の車に乗り換えていて、兵の馬に飛び乗り避難する。途上、他の者が更に爆弾を投ずるが、不発に終わって、張は帰城することが出来た。

張は下手人は日本人であることを探知して、日本の態度を懼れ疑う。また、この前後、内田良平も奉天に現れ、干冲漢に面談し、張作霖に対し相当強硬条件を申し入れる。この間、矢田、菊池らは張をとりなし独立に踏み切らせようとしきりに勧誘する。土井一派の工作は進展して、六月中頃には奉天を始め、荘河、復州、遼西、本渓湖等で事を挙げる予定にまで運ばれる。奉天、満州の政情は、まことに複雑機微、虚々実々たるものであった。
 
ところが6月6日の朝、渦中の袁世凱が急逝する。事態は一変し、日本政府の方針は、黎元洪の大総統就任を援けて、黎をして南北調整を図らせ、もって日本に寄らしめようとすることになった。

いわゆる、反袁工作は中止である。参謀本部の福田部長は欧州へ出張を命ぜられ、福田の同志であった海軍省の秋山軍務局長も艦隊勤務となり、のち露国行きを命ぜられ、黒幕中の立役者の中では、外務省の小池政務局長一人が残された。
 
 原敬の6月20日の日記に、「袁の死により満蒙挙事に対しては、外務省は全く無干渉の方針をとることとなしたるに、陸軍方は断念せず、また例の浪人等は、外務省より君等をこれまで利用したる訳なれども、今後は全く用事なしと言いたるに対し、大いに憤怒して、皆、宗社党に走り、且つ小池政務局長をこのままには置かずと言うて、怒り出しおり。また陸軍は黎元洪を保護する名の下に北京へ二個師団出兵して、一方は満蒙の地に清朝を擁立して、保護国となすべしと主張したるやにて、政府は三方四方の板ばさみとなり・・・云々」を秘録に記している。
 
 さて巴布札布軍3000の蒙古騎軍は、青柳らの指揮の下に、7月1日南満を目指して南下し、7月20日過ぎ、突泉付近で呉俊陞の軍と衝突し、8月10日トウ南(トウ=サンズイに兆)付近に達し、更に東遼河を渡り、14日には目的地の満鉄沿線の郭家店に到達し、夜襲をして旧市街を占領した。哈拉哈河畔を出てから約1ヶ月半の行軍であった。ところが同軍に呼応して立つために用意された大連、安東県、貔子高などにおける特殊部隊は、蒙古軍とともに政府方針が既述のとおり変更を見て、解散問題がすでに議せられていたのである。
 政府は7月半頃より、特殊部隊を解散することに決し、先ず旅順で、都督府西川参謀長と川島との熟議が開かれたが、川島の態度は頗る頑強で応ずるわけもなく、また、東京における政府関係者らの事件首謀者の上泉徳弥予備中将ら五名に対する言明も明確を欠いたような次第で、西川参謀長は非常に苦しい立場におかれた。かかる折柄、一派の津久井平吉らを主とするものらの長春奪取計画が進められ、同地駐在の山内四郎領事は、急電にて取り鎮め方を中村都督と石井外相宛訴えてきた。山内領事は長春の形勢は実に急であったので、公主嶺の藤井守備隊長の協力を得て、一派の武装解除の措置を取り、未然に事件勃発を抑制するを得た。なお、これは長春守備隊の小林大尉が応援しており、その黒幕は大連市長の石本であった。
 
 ここにおいて政府は川島とともに、本件共同謀議の首謀者である外務省参政官柴四郎、外、政客六名らを説得し、これらを川島のもとに派して善後策をとらせるようにした。
 なお、大連において、揉めに揉めて漸く、「満蒙挙事団解散に関する件報告」なる都督府の政府宛の8月16日発電となる。歩兵銃1200挺、同弾薬24万発、野砲4門、同弾薬560発、手榴弾100発を蒙古軍に支給して、「我が勢力圏外に退避せしむることとなる。目下蒙古軍は郭家店を占領し、支那兵これを攻撃中なり。然るに蒙古軍は弾薬欠乏し、戦闘継続を不利とするを以って、当地滞在中なる菊地中佐の、奉天に帰還するに託し、張作霖督軍に、蒙古軍と休戦し、同軍の退避を待たしむべく勧告せしめたり。兵器の支給あれば直ちに西方に退避するはずなり」
 
 かくて川島らは8月30日、郭家店に赴き、巴布札布軍を慰労行賞し、事の次第を告げて蒙古へ帰軍させることにした。中村都督は蒙支軍停戦協定の名目で、鉄嶺から佐藤支隊を現地に出動させることに決し、9月1日夜、奉天矢田総領事代理に電して、張督軍へ伝達せしめた。郭家店を出発、約1ヶ月あまり、至るところに支那軍を撃破し、長躯行軍を続けてきた蒙軍は、愈々林西県城の攻撃にとりかかった。

当時、林西県には、熱河都督経姜桂題旗下の林西鎮守使米振標の軍が駐屯していて、蒙古軍が来るとの報を受けるや、約1200の兵にて迎撃せしめんとしたが、蒙軍の左右両翼
との三面からの騎兵の襲撃にて、遺棄死体約800、捕虜300余り、武器その他の分捕り品、多数であった。味方は戦闘の始めに、司令部の梅本某が肩部銃創を負うた外、死傷は合わせて60を越えなかった。薄隊隊長の薄守次は勇戦奮闘して、敵の将旗を分捕った。大石治郎は砲兵陣地に使して、敵弾飛雨の間を高地の稜線を往復して、大いに膽気を示し、砲隊長西岡少尉は砲隊を指揮して、思う存分敵を悩まし、当時守備兵の一兵として苦杯をなめた少年兵たりし李守信(後蒙古軍総司令官)、胡宝山(後蒙古軍師団長)などの、後々までの語り草となった由。
 払暁、蒙軍の右翼は、白(パイ)旅団中央を、サプチンゴ・ゴー・タサ・ニ統領の部隊と、満州隊の二個旅団とが前進し、グルチャップ、ジャンバーニ統領の部隊は左翼に進み、西岡の砲隊は左翼高地に進入して敵砲兵に対抗し、モントホー統領の率いる内衛と、フーシンガー統領の部隊、並びに勤王師は中央後に控置して総予備隊として、司令部を中央高地上に設け、更にダルゼーの旅団を開魯 ― 
林西街道上、遠く左後方に派遣して、開魯軍に備えしめた。

 午前6時、一斉に火蓋を切れば、敵もまた高地より熾烈なる砲弾を送り、饅頭形高地の敵、頑強なるため、入江は司令部から馬を駆って砲兵陣地に赴き、令を西岡に伝えて、全砲火を饅頭山に指向せしめた。蒙古軍の野砲は、日清戦争に使用した青銅砲で、発射ごとに爆烟濛々、その上なお、2メートル強も後ずさりする旧式であった。然し西岡の指揮段弾着正確効を奏して、敵は大いに動揺の状を呈しかけた。そのとき司令部方面より、300騎の騎兵が第一線の攻撃隊を飛び越えて饅頭山に突入し、敵砲兵陣地を奪取した。 この一隊こそ総帥巴布札布が、木沢暢大尉、塩谷武次中尉等の幕僚たちが頻りに止めるのも聞かずに行なった、総予備隊を引き連れての奮進であった。そこで入江らは巴将軍の後を追うたが、その時、林西県城壁東北角から、機関銃の掃射を受けた。これが午前9時である。
そこへ川島量平(浪速実弟)の従卒たる蒙兵モェヘンが飛んできて、「将軍死了(ジャンジュンスーラ)」(将軍は死んだ)と報じた。驚いて案内のところに行ってみると、敵の防御陣地を突破して破竹の勢いで前進していた巴布札布は、敗残兵の狙撃を受け、左眼上を射貫かれて、あわれ秋草離々たる砂丘上に仰臥し、幽魂すでに天に帰していたのであった。総軍40余営の統帥たる巴将軍の陣没が、全軍の志気に与えるべき打撃が甚大なるを思い、同志は議して付近の兵に厳命し、暫くの間将軍の戦死を秘することとし、更に督戦、躍進せしめた。
 蒙軍は進軍の響きも勇ましく、眼下の林西城を、東から北に亘る高地上より包囲した。このとき城兵は我が砲撃を受けて、兵も住民も右往左往に逃げまどい、落城はまさに寸前となった。はじめ攻撃の方略は、東北西の高地を占領し、城兵の南門より脱出するを待ち、平野上にて殺滅する計画であった。
然るに、開魯軍に備えるために別軍として派遣したダルゼー旅団が、いつまでも敵軍が出てこないので、わざわざ城兵の退路として開けておいた南門外に来てしまったので、城内の住民の中に、日露戦争の際に日本軍とともに村落防御をした経験者がいて、大車、木材、等々で各城門を封鎖してしまったので、城兵はせき止められてしまった。

 前日の戦闘から、夜間の強行軍で天明とともに攻撃にかかったので、人馬ともに疲労しているところへ、厳秘にしていたとはいえ「将軍死了」の噂が次第に広まったので、これを聞いた将兵は茫然自失してしまい、いずれも悲憤の血涙を止めえぬ有様となった。さらに細雨となり、暗澹たる気分に襲われ、攻撃は鈍りがちとなり、そこで軍議を開き、東門を爆破して城内突入の手筈を整えたのである
 ところが、懸念していた開魯軍が近迫してくるとの情報を得たので、方針を変更して、爾後の計を立てるため、一時全軍退却を開始し、約30支里後退した。蒙軍は主将の陣没で、全軍の壊滅を心配されたが、全将卒の団結は固く、同夜まず巴将軍の遺骸を荼毘に附して、7000人の将兵の各統領以上で軍議を開いた結果、更に粛親王より任命書の来るまでは、選挙で将軍を挙げ、その指揮に服することとし、チャタラバラ(白)将軍がこの重任に就くこととなった。

 満州義軍の中から選りすぐった精鋭2000、勤王師800、巴布札布軍3000(のちの蒙古連合自治政府参議府議長チョトバジャブは、当初より最後まで一隊を率いて活躍した)。なお外に、全鼎臣の率いる部隊1200で、計7000の将兵であった。一時兵を収めて、林東城外の白塔城付近で興安嶺を越え、ひとまず、東ウジムチン旗ウルキゴロ(河)付近に軍を集結して、後の計を立てることに決したのである。

陰暦9月13日夜、六角の大白塔のもとに、主将を失った40余営の将軍は、雄図砕けて、空しく露と消えた巴将軍の上を憶い、哀悼の情にふけったのである。

 一夜の休養に英気に回復した蒙軍は、興安嶺の大鞍部を通過して、軍を西ウジムチン旗に進めたのである。王府の大廟ワンゲンスム(左近允公館のある廟)では、糧秣や防寒被服等の補充をつけ、10月13日から14日に亘り、第一予定目標たる東ウジムチン旗ウルキゴロ(河)の北岸に到着した。

諸軍は相当の間隔を以って一帯に配置され、ベリン廟には、司令部、内衛、本隊、満州隊、勤王諸軍、ノーナイ廟には、ダルセー旅団、ラミン廟には、グルジャップ老統領隊、ガハイ廟には、ジャンパー統領隊等がそれぞれ陣をかまえ、11月中頃までの約1ヶ月にわたり駐営して人馬の大休養を行なった。
 
 10月14日司令部がベリン廟に入る前日、ノーナイ、アイル(村)付近で、日本人独立隊が、東ウジムチン王府の兵300騎に襲撃されて、赤松正令(予備特務曹長)が戦死を遂げた。これより前、12日正午頃、入江、西岡、大石、畠山、若林快三の六名は、ベリン廟に先行するため本隊と別れて前進し、途中草原で踏み迷ったりして、夜行のすえ13日、ラミンスムのグルチャップ統領の営を訪れ、さらに東行のところ300騎ばかりの騎兵から一斉射撃を受け、トソラテ・エーラによって抵抗するため、後ろ向きになって拳銃を乱射したが、赤松は敵弾を受けて最期を遂げた。

 翌朝、300の騎兵を率いて戦場に至り、赤松の死体は収容したが、刀、拳銃、等の所持品は掠奪されていた。調査の結果、敵は東ウジムチン王府の兵なることが明らかになったので、本営より、関係日本人と500騎の兵に大砲2門を附し、王府に乗り込み、王に厳談して謝罪させ、赤松の所持品を返還させたる上、贖罪のため牛500頭、羊1000頭を提出せしめた。ベリン廟駐軍中蒙軍は、警戒のため、興安嶺の峠に約300騎を派遣したが、或る日、トウ(サンズイに兆)南方面から、多量の物質を運搬してくる牛車の一大縦列を認めた。それは西ホチトのダブスノールから、塩を運ぶ物資と交換して帰る漢人売買家の隊商であった。車両600台、牛600頭、馬150頭、加えて満載の小麦粉、穀類、酒、タバコ、日用雑貨は、当分の間、たらふく飢腸を慰めてくれた。
 
蒙軍ベリン廟に滞陣することが、遠く各地まで聞こえるや、遥かに内蒙古チャライト王府から、チクチト札布王が土産を多く持ち来たり、また、外蒙大庫倫(ウランバートル)より、かつて露都に使いしたこともある大臣級の明保(ミンパオ)が、錚々たる人士と共に来援するなど、勢威は再び盛んとなった。

また、蒙古貿易大商店主露人アクチューリンを案内として、ハイラル露国守備隊長が来営して、相互交歓を行なったことなど、多忙の日々が続いた。11月中旬、全軍その営を撤して、哈拉哈に向かって大移動を起こし、ハルハ河畔、コロベンネーラの根拠地に帰還した。
 
追録
 その後の巴軍残党と、日本志士の海拉爾と外蒙ウランバートル攻撃について。
 翌大正6年1月、蒙古軍は海拉爾進出を企て、表裏より支那政庁へ交渉し、ハルハ河畔よりハイラル南屯に駐営、粛親王の代理として麟司令(入江種矩大尉)が、チャタパラ将軍を司令大臣とする、外の人事任命をなし、連日練軍をなした。
 6月司令部を西屯へ進め占領すると、政庁の都統、勝福以下官吏はロシア市街へ遁入、砲をもった6000余の蒙古兵につき、露国龍騎兵1500は幸いにも手を出さなかった。そして露支官憲に対して、呼倫貝爾独立宣言を発表した。

 勿論、ロシア側より宣言取り消しを要求してきたが、無視したので、ロシア側は、そのまま泣き寝入りとなってしまった。而して新政庁は旧政庁を引き継いで為し、奥地から流下する木材、山塩、草原奥地からの羊毛、牛羊皮の販売手数料と、公開賭博場を2ヶ所許可し、その税金などにて、養兵の財源とした。
 しかしながら当然のこと、日露支の外交問題となり、露支官憲は、蒙古軍内の日本人十数人の追い出しを策し、北京日本公使館の林権助公使へ抗議せしところ、「左様な日本人は既に日本国を亡命した者ゆえ日本政府は責任を持てぬ」と。

 大正7年4月、帝國議会において押川方義代議士(宗社党)は、この件にて、痛烈に難詰する等のことがあったが、10月下旬、日本人はハイラルを去ることとなり、蒙古軍も撤退を余儀なくされた。
 
 大正10年2月、白系露人、ウンゲル男爵の軍のウランバートルの進入、占領には、パブジャップ軍の残党である蒙古軍と、日本人、畠山孝太郎、若林快之、北川一男の外、25名、が日の丸団なる隊を組織して参戦した。
 その頃、ウランバートルには支那の徐樹錚が6000の兵を率いて駐屯していたが、我が特務機関たる江副浜二大尉、盛島角房嘱託(昭和9年、アパカ特務機関長)が支那軍の顧問であったので、この際、アジア各民族の混成部隊を作ってウランバートルに入れば、外蒙の独立を計ることと共に、難事ではあるまいということになり、ラマ僧の占いにより、「旧正月元旦を期して攻撃すれば、必ず陥落せしめることが可能」との予言を得、それまでは待機して英気を養い、当日愈々攻撃をしたが、支那軍は旧正月で、祝い酒に酔っていたところを不意に襲われたので、攻撃は成功し、翌2日、完全にウランバートルを占領して、敵を売買城(註・地名)方面に駆逐し、ロシア人の居住区域を焼き払い、活仏を中心に内閣を組織して、外蒙独立を宣言したが、その頃、友党のセミョーノフ軍がチタにて惨敗し、諸般の情勢が悪化して赤軍の侵入となり、数多の我が志士が乱軍の中に戦没を
遂げ、壮士また酬いらるるところがなかったのである。
                               完

馬賊出身の張作霖は、日露戦争で協力したため日本の庇護を受け、日本の関東軍による支援の下、段芝貴失脚させて満洲での実効支配を確立、有力な軍閥指導者になっていた。
張作霖は日本の満洲保全の意向に反して、中国本土への進出の野望を逞しくし、1918年(大正7年)3月、段祺瑞内閣が再現した際には、長江奥地まで南征軍を進めた。1920年8月、安直戦争の際には直隷派を支援して勝利するが間もなく直隷派と対立。1922年、第一次奉直戦争を起こして敗北すると、張は東三省の独立を宣言し、日本との関係改善を声明した。鉄道建設、産業奨励、朝鮮人の安住、土地商祖などの諸問題解決にも努力する姿勢を示したが、次の戦争に備えるための方便にすぎなかった[3]
張作霖
                                                            
1-2-1 対華21か条の要求
第一次世界大戦で欧州が戦場になり、欧米列強が中国を省みる余裕がなくなったのは、日本にとっては中国進出の絶好の機会とみました。
1915年当時の大隈重信総理は袁世凱政権に中国の半植民地化を意味する21か条からなる要求を提出します。軍事力を理由に日本の要求を呑まざるを得なかった中国からすれば屈辱であることは言うまでもありませんが(中国では要求を受け入れた5月7日は国恥記念日といわれます)、日本側はそうした要求を諸外国の目を盗む格好で中国に突きつけるのは、国家として大問題でしょう。
余談ですが、大隈重信のみならず、福沢諭吉も日本の大陸進出に極めて肯定的でありました。帝国大学に加えて、早稲田大学も慶応大学も当時はそういう雰囲気であったということでしょう。

大隈重信  大隈重信
(毎日新聞提供) http://kccn.konan-u.ac.jp/keizai/china/01/02.html                                                       


http://meiji.sakanouenokumo.jp/1898.html

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1912年(明治45年・大正元年)

1月1日中華民国臨時政府誕生。臨時大統領に孫文。

1月8日頭山満、犬養毅、南京にて孫文、黄興等と正式会見を行う
1月16日大阪の大火(難波新地の湯屋煙突より発火し4576戸焼失、死傷者多数)
1月21日最初のスキー競技会、新潟県高田市金谷山に挙行される
1月27日日中国政府、大倉組と300万円借款
1月28日白瀬中尉、南極に日章旗を掲ぐ
2月1日京都ガス会社争議
2月12日宣統帝退位、清朝廃止
2月22日未成年者の飲酒取締法制定
2月25日台湾で中国人の会社設立禁止
3月12日ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)、東京に創立(中村是公、近藤廉平、浅野総一郎らが発起)
3月18日小松宮彰仁親王の銅像竣工し、上野公園内に除幕式を挙げる
3月22日白瀬中尉の南極探検船開南丸、探検を終えて無事ウエリントンへ入港
白瀬陸軍中尉 http://ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co/entry-11876727791.html
3月29日呉海軍工廠スト
4月1日三原山噴火
4月29日北海道夕張炭坑爆発 276名死亡
5月12日国内最初の郵便飛行、米国アットウォーターにより、東京芝浦・横浜間で試みる
5月16日第5回オリンピックへ三島・金栗出発
5月18日発明協会にて無線電信発明家鳥潟右一、横山英太郎、北村政治郎の表彰
5月22日山陰鉄道線竣工全通する
6月6日私娼の検黴制度実施される
6月8日日本鋼管設立
6月18日6国(日英米独仏露)借款団成立
7月3日大坂の「新世界ルナパーク」開場
7月5日東京にタクシー自動車会社創立
7月8日第三回日露秘密協約、調印
7月10日明治天皇、東京帝国大学へ行幸(最後の行幸となる)
藤島武ニ 筆 東京帝国大学正門
7月20日明治天皇重患の御由、宮内省より発表される(御平癒祈願の赤子二重橋前に充ちて跪坐す)
7月20日樺太縦貫鉄道全通式を挙ぐ
7月22日豪雨のため、富山県小川温泉全滅
7月30日明治天皇崩御(大正に改元)
田辺至 筆 1912年(明治45年)7月 宮城正門前
7月30日皇太子嘉仁親王、踐祚
8月1日友愛会を創立する
8月5日日本初のタクシー営業開始
8月13日桂太郎、内大臣兼侍従長に就任する
8月13日大正天皇、山県有朋・大山巌・松方正義・井上馨・桂太郎に先帝(明治天皇)の遺業を継ぐ勅語を下す
9月13日明治天皇御大葬
9月13日乃木希典夫妻、殉死する
9月14日明治天皇、京都の伏見桃山陵に葬られる
和田三造筆 大正元年9月14日夕 大喪 伏見桃山陵
9月26日恩赦令、大赦令公布
生活 この年 衣 食 住 出版 その他
 
  • 米価暴騰、不正枡検挙行われる
  • 鉄道員施米運賃割引施行
  • 門司及び若松市に水道竣工
  • 名古屋、市営で屎尿処理事業始める
  • 秋田・松山・山口・福井の各ガス会社それぞれ開業
  • 「悲しき玩具」(石川啄木)
  • 「新訳源氏物語」(与謝野晶子)
  • 「牧水歌話」(若山牧水)
  • 「浅草」(久保田万次郎)
  • 「土」(長塚節)
  • 山陰鉄道開通
  • 財団法人大阪職業紹介所設立
  • 済生会、深川・本所に診療開始
  • 友愛会結成
  • 北九州で自動車業出願各地に起こり、道路幅員なきため不許可のもの多し
  • 製縄機発明される
  • 高松電気軌道、岡山電気軌道、広島電気軌道、それぞれ開業
内閣総理大臣
西園寺公望 (明治44年8月30日~大正元年12月21日)
桂太郎 (大正元年12月21日~大正2年2月20日)
地方 この年 北海道 東北 関東 中部 近畿 中国 四国 九州
  • 夕張炭鉱でガス爆発が起こり260名が亡くなる

  • 榛名湖でスケートをはじめる(群馬)
  • 大石寺を大本山とする日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称(静岡)

  • 山陰線が出雲今市まで全線開通する(島根)

  • 清国動乱に際し、小倉第12師団に動員令くだる(福岡)
  • 沖縄県に衆議院議員選挙法を施行

物価: 米の価格が高騰して生活が困窮
 白米10kg 1円78銭
 駅弁幕の内 12銭
 慶大授業料 48円
 早大授業料 50円


日本の人口 内地:52.522.753人 朝鮮:14.566.783人 台湾:3.213.221人 樺太:2.150人




大正デモクラシー高揚
海軍で飛行機操縦教育を開始
警視庁、日本で初めて警察犬を採用(世界で初めてはドイツ)


大阪で吉本吉兵衛・せい寄席経営開始(吉本興業
大阪に「新世界」完成  「通天閣」新名所に
浅草に「神谷バー」(日本初のバー)出現
神田猿楽町キカイ湯のペンキ絵が大評判(元祖銭湯のペンキ絵発祥の地)


「最後の皇帝(ラストエンペラー)」愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)退位
 中国・清朝第12代皇帝・宣統帝(せんとうてい)退位
 清朝滅亡
 ⇒辛亥革命



豪華客船タイタニック号沈没  2.224人中1.513人死亡
展望車付き特急「富士」(新橋~下関)運転開始(日本初の特急列車)
早川電機工業(シャープ)創業

独の気象学者アルフレッド・ウェゲナー、「大陸移動説」を発表
 白瀬隊長、南極上陸 南極点到達は断念(日本初の南極探検
白瀬矗(しらせのぶ)南極探検隊27名、南緯80度05分西経156度37分に到達し、
 そこを「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名
この記事に


世界最低利率の日本国債

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日本の10年物国債利回りは0.367で、世界で最低だそうです。
外国人が日本の国債を手に入れてもあまり儲からないと思うのですが、
今は円安なので海外からみると2割引きくらいのお得感があるんでしょうか。

イメージ 1
http://www.kokusai-am.co.jp/fncj004/mktInfoDetail.do?type=2

過去のデータ
イメージ 2
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/market/data/jp10yt.html

金利は下がるいっぽうですね。。(=^・^=)

ということは、日本国債の人気が高い=国の信用力がある と見て良さそうですね。

国の借金が多くて日本経済破綻とか散々言われてましたが、それより国民の高齢化を心配したほうが
いいかもしれません。

日本国債の格付け推移

格付変更年月ムーディーズスタンダード&プアーズフィッチ・レーティングス
1992年7月27日
AAA
1993年5月7日Aaa

1995年10月26日

AAA
1998年11月17日Aa1(Down)

2000年6月29日

AA+(Down)
2000年9月8日Aa2(Down)

2001年2月22日
AA+(Down)
2001年11月26日

AA(Down)
2001年11月27日
AA(Down)
2001年12月4日Aa3(Down)

2002年4月15日
AA-(Down)
2002年5月31日A2(Down)

2002年11月21日

AA-(Down)
2007年4月23日
AA(Up)
2007年10月11日A1(Up)

2008年6月30日Aa3(Up)

2009年5月18日Aa2(Up)

2011年1月27日
AA-(Down)
2011年8月24日Aa3(Down)

2012年5月22日

A+(Down)
2014年12月1日A1(Down)

2015年4月27日

(Down)
現在の格付A1(今後の見通し=安定的)中級の上位で、信用リスクが低いと判断される債務に対する格付。
AA-(今後の見通し=弱含み)債務を履行する能力は非常に高く、最上位の格付け「AAA」との差は小さい。(今後の見通し=安定的)高い信用力。デフォルト・リスクが低いと予想していることを示す。
http://www.kabudream.com/jgb/

95%が国内で買われる日本の場合、国債の格付けは一見関係なさそうですが、社債の信用度の
ガイドラインになるため、あまり格付けが下がると企業の資金集めに支障をきたすそうです。
http://www.nikkei.com/money/features/32.aspx?g=DGXNMSFK1000Q_10012012000000

歴史認識を考えてみる(14)

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  ソビエトの成立と国際連盟常任理事国までの道程 
        大正2年~
大正10年までの世界

好景気と恐慌/労働争議と労働災害/スペイン風邪・コレラ・ペスト流行/商社・デパート開業/大正モダニズムとプロレタリア文学

左側地図の緑色部分は国際連盟から統治委託された地域。
右円の中は軍服姿の森鴎外。右下は中原淳一作画の「少女の友」表紙絵。中上は竹久夢二のイラスト。

1912-1921
大正時代


 http://www.geocities.jp/since7903/nenpyo2.htm    http://nannohidonnahi.sakura.ne.jp/20seiki/1915.htm                            


1912年(大正元年)の社会
【出版】
悲しき玩具(石川啄木)
新訳源氏物語(与謝野晶子)
彼岸過迄(夏目漱石)
行人(夏目漱石)
美濃部達吉、「憲法講話」発 
天皇機関説論争に発展

島崎藤村「千曲川のスケッチ」刊行
【世相】
09.09 大正琴(菊琴)発売
 1台5円
 大正琴は、名古屋市大須門前町の旅館「森田屋」の森田吾郎が、
二弦琴(八雲琴)をもとに、タイプライターにヒントを得て発明したもので、演奏が比較的簡単であるため、大正時代に大流行した。

【流行語】
ジゴマ
大正
諒闇不景気
閥族打倒
大正維新
覚めたる女
新しい女

1912年(大正元年)の経済関連

米の価格が高騰して生活が困窮
物価:
 白米10kg 1円78銭
 駅弁幕の内 12銭
 慶大授業料 48円
 早大授業料 50円

 近代思想創刊

 吉本吉兵衛と妻・せい、大阪で、第二文芸館を買収し、寄席の経営を開始
1912年(大正元年)の政治関連







明治天皇崩御、大正天皇践祚。
大正と改元。
大正デモクラシー高揚

早川電機工業(シャープ)創業乃木希典大将夫妻、明治天皇に殉死。

 ジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本交通公社)創業

二個師団増設問題で閣議紛糾、上原勇作陸将の単独上奏。

05.11
 逸見次郎、「竹製計算尺」の特許を取得
 ⇒ヘンミ計算尺

08.10
 田熊常吉、国産初のボイラー「タクマ式ボイラ」を発明

レーニン、ペテルスブルグで「プラウダ」を創刊

第二次西園寺内閣総辞職。内大臣桂太郎、三度目の大命拝受
憲政擁護運動の動きが犬養毅・尾崎行雄らの憲政擁護会によって盛り上がる。
大正二年
1
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1
3

1913年(大正2)の社会

【出版】
阿部一族(森鴎外)
 桐の花(北原白秋)
赤光(斎藤茂吉)
平塚らいてう
、「新しい女」を中央公論で宣言
中里介山「大菩薩峠」
郷土研究(日本初の民俗研究誌)
【世相】
大阪で豊中野球場がオープン(関西初の野球場)
第1回全国スキー大会開催(新潟県高田市)
米大リーグ初来日(ジャイアンツ、ホワイトソックス)

浅草の小川春之助商店(トンボ鉛筆

小林富次郎商店(ライオン)、「ライオンコドモハミガキ」発売
トンボ鉛筆(小川春之助商店)2.11
森永ミルクキャラメル(森永製菓)日本初 6.10


芸術座第1回公演

インドのタゴール、ノーベル文学賞の受賞が決定

東北帝国大学に3人の女子学生が合格

【流行語】
 薩伐
 憲政擁護
 閥族打破
 女優
阿呆煙突
サンヂカリズム
玉座を胸壁、詔勅を弾丸



1913年(大正2)の経済関連

東京市内で不況のため空き家が続出
東京市内のガス灯消える(電灯の普及)

ダイヤモンド社 5.3
ダイヤモンド創刊 5.10
 岩波茂雄 岩波書店 8.5
東京ゴルフ倶楽部設立
1913年(大正2)政治関連

皇室で自動車使用開始
ポアンカレ、仏大統領に就任
桂首相、新党結成の趣意書を発表。





上野で内国家禽大会開催
 養鶏が本格化

国民美術協会設立
 会長:黒田清輝
四条大橋が開通
民衆デモ、議院を包囲。政友・国民両党、内閣弾劾決議案を提出。
桂内閣総辞職(大正政変)。元老会議紛糾の末、西園寺公望の推薦で山本権兵衛に大命降下
 孫文、日本に亡命
 ウィルソン、米大統領に就任
6北陸本線全通

帝国飛行協会設立(初の民間航空団体)

三越呉服店、国産の化粧品の展示・販売会を初めて開催
 米でロックフェラー財団設立
 第1次バルカン戦争終結
 第2次バルカン戦争勃発
 ブルガリア、ギリシャとセルビアに侵攻
軍部大臣現役武官制度を撤廃。


神田で大火(これを機に書店街を形成)
東北、北海道で凶作
東京の自動車台数350台
 袁世凱(えんせいがい)、中華民国大総統に就任
中華民国承認。桂太郎病没。

ココ・シャネル、パリにメゾン開店
米のマリー・フェルブ・ジャコブ、「ブラジャー」を発明
 
東京帝大の仏人講師コットが仏語の私塾(アテネ・フランセ)を開く
上智大学開校(日本初のカトリック大学)
小林一三宝塚唱歌隊(宝塚音楽学校)を結成

銀座の千疋屋フルーツパーラー開店(フルーツパーラーの元祖)
立憲同志会(「桂新党」構想の具体化)設立。総裁加藤高明。
大正三年
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9
1
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1914年(大正3)の社会

【出版】
三太郎の日記(阿部次郎)
日和下駄(永井荷風)
老年(芥川龍之介)
道程(高村光太郎)
夏目漱石の「こゝろ(心 先生の遺書)」、朝日新聞に連載開始

【世相】
大正琴が流行
造花が流行
東京の新富座で「廃税」劇を上演し好評を博す

帝国劇場で、トルストイ作・島崎抱月脚色「復活」を上演
 主演・松井須磨子の歌う劇中歌「カチューシャの歌」が大ヒット

第1回宝塚少女歌劇養成会公演
第1回二科展開催
慶應・早稲田・明治の3大学で野球リーグができる(東京六大学野球リーグの前身)

【流行語】
なっちょらん
流行歌
鰻香内閣
廃税
官僚
社会奉仕
ポスター
ヨーグルト


1914年(大正3)の経済関連

桜島大噴火
 大隈半島と地続きとなる

創刊
 新潮文庫
 少年倶楽部 11.1
 平民新聞 10.15
1914年(大正3)の政治関連

シーメンス事件
同志会・島田三郎ら、議会で政府を追及。




日本橋に「三越呉服店」ルネッサンス式新館誕生
 青銅のライオン像評判に
 日本初の常設エレベーター付
貴族院は政府予算案を否決。山本内閣総辞職。
大命は早稲田の森の大隈重信に降下
6中小銀行の取り付け騒ぎが各地で多発早稲田OBを中心に大隈伯後援会結成。
政友会総裁に原敬が就任。
7伊藤忠設立

遠洋航路用貨物船徳島丸、日本船初のパナマ運河を通過

オーストリア、セルビアに宣戦布告。第一次世界大戦勃発。
東京で、亡命中の孫文、中華革命党の結成大会を開く
8各地でペスト発生 1176人死亡

看護婦志望者激増

方城炭鉱ガス爆発事故(日本史上最大の炭鉱事故) 687人死亡

 東京駅開業(東海道の起点となる)

オリンピック委員会、白地に青・黄・黒・緑・赤 の五大陸をかたどる五つの輪を、W字形に組み合せた「五輪旗」を制定

パナマ運河開通


大隈内閣、日英同盟を理由に対独宣戦布告第一次世界大戦に参加
独軍飛行機、パリ空爆(世界初の空爆)
タンネンベルク会戦(08.26~08.30)

大正四年
1
9
1
5

1915年(大正4)の社会

【出版】
諸国物語(訳:森鴎外)
 思索と体験(西田幾太郎)
あらくれ(徳田秋声)
森鴎外「山椒太夫」中央公論に掲載
芥川龍之介「羅生門」帝国文学に掲載
永井荷風「夏姿」発禁 1.20
ヴァージニア・ウルフ「船出」刊行 3.26
モーム「人間の絆」刊行
夏目漱石の「道草」、朝日新聞に連載

【世相】
婦人之友、「割烹着」発表
資生堂、「フローリン」(養毛剤)発売
 シャープペンシル登場
 グレープフルーツ渡来
東京の女学生の間で写真撮影が大流行
 日本初の女性駅長誕生(南海電鉄芦原駅)


第1回全国中等学校野球大会開催
 京都二中が優勝
目黒競馬場で日本初の自動車レース
 ロサンゼルス在住の日本人がレーシングカーチームを作り4台の車を持ち込み競技

【流行語】
よくってよ
銀ブラ
宙返り
教養
金塊引き揚げ
【映画】
國民の創生 アメリカ 1924/(日本公開)
  監督:D・W・グリフィス
  出演:リリアン・ギッシュ
チート アメリカ
  監督:セシル・B・デミル
  出演:早川雪洲
11915年(大正4)の経済関連

大戦景気で成金続出

 日本ーハワイ間の無線通信試験に成功(海軍無線電信所船橋送信所

創刊:

 ARS キララ 潮音 科学と文芸 中央美術 近代思想


1915年(大正4)の政治関連

独のツェッペリン飛行船、初の英本土空襲
 ドッガー・バンク沖海戦で、英海軍、独巡洋艦ブリュッヘルを撃沈
加藤高明外相、日置益公使を通じて中国に対し二十一箇条の要求
3大正天皇、葉山御用邸で自動車に乗る(歴代天皇初の快挙)第十二回総選挙において、与党立憲同志会、大隈伯後援会大勝。
 トルコ、アルメニア人175万人の追放を開始
 60万人、メソポタミア砂漠で飢死

5飛行船「雄飛」完成

稲田竜吉、井上泰、ワイル氏病病原体スピロヘータを発見

06.12
杉本京太、「邦文タイプライター」の特許を取得 
07.02
 西尾正左衛門、「亀の子束子」の特許を取得 爆発的人気

青山練兵場上空で、米のチャ-ルス・ナイルス、日本初の宙返り飛行

軽井沢で別荘の分譲開始
 東京ステーションホテル開業(日本初の駅上ホテル)
独の潜水艦、英の客船ルシタニア号を撃沈
 1.000人以上死亡
 第二次イープルの戦い
 独軍、ベルギーの古都、オステンドの近くのイープルで世界初の毒ガスを使用
 ⇒西部戦線(第一次世界大戦)
閣議は対華最後通牒を決定。中華民国政府は二十一箇条を受諾。
シカゴ川で、蒸気船イーストランド号が爆発・転覆
 800人以上死亡
7上高地の焼岳が大爆発
 大正池出現
 西来庵事件(せいらいあんじけん)
大浦兼武内相の贈賄事件発覚、大浦辞任(大浦事件)。
8 人工発がん実験に成功加藤高明外相、若槻礼次郎蔵相、八代六郎海相辞任。内閣改造。
9 戦艦「扶桑」竣工
大正天皇即位礼
山下汽船「靖国丸」、地中海で独の軍艦に撃沈
大戦景気始まる

北里研究所開所
井上馨死没。
 独のユンカース社、世界初の全金属製飛行機を製造

正五年
1
9
1
6


1916年(大正5)の社会

【出版】
腕くらべ(永井荷風)
時は過ぎ行く(田山花袋)
鼻(芥川龍之介)
森鴎外、「高瀬舟」発表
白樺派理想主義文学全盛
フロイト「精神分析入門」刊行
カフカ「変身」刊行

【世相】
宣伝用アドバルーン登場(福助足袋、アドバルーン宣伝の初め)
東京で児童による通行人への押し売り激増
小学校の教師への「付け届け」横行


【流行語】
ゴム下駄 貧乏物語 忍術
民本主義 是々非々
教師は三日すればやめられぬ
秉公持平内閣
51916年(大正5)の経済関連

物価:

 うどん・そば(もり・かけ) 4銭

05.24
 日本火災の盗難保険(日本初)
神戸乗馬クラブ設立(日本初)
友愛会婦人部設置(日本初の労働組合婦人部)
吉野作造民本主義を主張
 フランク・ロイド・ライト来日
1916年(大正5)の政治関連

三浦悟楼の周旋により、三党首会談(加藤高明、原敬、犬養毅)。

02.09
 英、日本軍艦のインド洋への派遣を要請



10コレラ流行 宮内省、半蔵門を閉鎖 7.482人死亡
08.13
 鄭家屯事件(ていかとんじけん)
09.01
 工場法施行(日本初の労働保護法)
 職工15人以上の工場で12歳未満者の就業禁止 15歳未満者と女子は12時間労働制
第二次大隈内閣総辞職。大命は寺内正毅に降下
高田早苗の周旋により、同志会、大隈伯後援会、中正会合同。憲政会創立(加藤高明総裁)。
11.03
 裕仁親王立太子礼
12.13
 独の講和提案により、株が大暴落し、東京・大阪の株式取引所は立合いが停止
大正六年
1
9
1
7

1917年(大正6)の社会

【出版】
明暗(夏目漱石)
漱石俳句集(夏目漱石)
父帰る(菊池寛)
城の崎にて(志賀直哉)
和解(志賀直哉)
カインの末裔(有島武郎)
天守物語(泉鏡花)

02.15
萩原朔太郎「月に吠える」刊行

09.16
永井荷風「断腸亭日乗」執筆開始

12.09
「漱石全集」(岩波書店)刊行開始

【世相】

腕時計普及

電化製品(七輪・アイロン・ストーブ)普及

05.13
 ファティマの予言(ポルトガル・ファティマ村に出現した聖母マリアが告げた三つの予言)


避暑旅行客増加

外国人観光客急増

 浅草オペラ流行
浅草常盤館で「女軍出征」上演

 「ペラゴロ」出現

 栃木県大宮村の渡辺はま(23)、自動車運転免許取得(女性初)

04.18「新国劇」結成

07.09東京YMCAに日本初の室内温水プールがオープン

04.27
東海道駅伝徒歩競走(日本初)

08.31早稲田騒動


【流行語】
人道主義
 にくいあん畜生
 ガチャガチャ
 ぺラゴロ
 きょうは帝劇、あすは三越

【流行歌】
コロッケの唄
コロッケは、三大洋食の一つ(コロッケ、トンカツ、ライスカレー)
真白き富士の根(七里ヶ浜哀歌)

にくいあん畜生 芸術座「生ける屍」劇中歌(10月30日初演)
安来節 どじょうすくい踊り

【映画】
チャップリンの冒険10.22 アメリカ
監督:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン
デブ君の勇士(A Country Hero) 12.10 アメリカ
 監督:ロスコー・アーバックル
  出演:バスター・キートン

【邦画】
名槍高田又兵衛 7.22
  監督:牧野省三
  製作:日活(京都撮影所)
  出演:尾上松之助
  上映:第二遊楽館
11917年(大正6)の経済関連

01.20
 日本興業銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、中国の交通銀行への借款供与を契約(西原借款のはじまり)

創刊:主婦之友 2.14

物価:諸物価上昇
 銭湯代 大人4銭
 ゴールデンバット 6銭






1917年(大正6)の政治関連

01.11
 英、日本軍艦の地中海への派遣を要請
寺内内閣、対支外交方針刷新を決定。
憲政会・国民党が内閣不信任案上程。寺内首相は議会解散。
01.22
 ウィルソン米大統領、第一次世界大戦で「勝利なき平和」を訴える
02.01
 第一次世界大戦で、独、無制限潜水艦作戦を宣言

02.27
 白銅製の5銭硬貨発行(初の穴あき硬貨)

03.10
 日本工業倶楽部設立

04.01
 電話で「火事」と言うと、消防署へ接続する制度が始まる

04.16
 慶応義塾、医学科予科創設

神田和光堂、「育児粉乳」発売(日本初)

 松下幸之助、苦心の「ソケット」完成 大阪で販売開始

セルロイド製キューピー人形誕生

10.06
三島海雲乳酸菌飲料の工業化に成功1919.07.07カルピス発売

ドガ(83歳 9.26)没

09.30
 近畿・東海・関東で大暴風雨(大正時代最大の水害)
 1.300人以上死亡・行方不明



ロダン(77歳 11.17)没

12.12
 仏のモダーヌで列車脱線事故(史上最悪の列車事故)
 543人死亡

12.21
 福岡の桐野炭鉱でガス爆発
 361人死亡

交通事故の死者51人、
      負傷者3.647人

創立:

 山下汽船
 島津製作所
 野田醤油(キッコーマン)12.7
第十三回総選挙(政友会圧勝)
03.08
 ロシアの首都ペトログラード(サンクトペテルブルク)で、ロシア2月革命の発端となる女性労働者による
 「パンよこせ」デモが起こる
03.12
 ロシア2月革命成立
 首都ペトログラードに労兵ソビエト組織が成立
03.15皇帝ニコライ2世が退位
 ロマノフ王朝滅亡。
03.25
 スターリン、カーメネフら、流刑地からペトログラードに入る

04.06第一次世界大戦
 米、独に宣戦布告
04.16
 レーニン、封印列車でスイスからペトログラードに着く。
 04.20「4月テーゼ」発表
07.16
 ロシアのペトログラードでボリシェヴィキが武装蜂起
 07.18 完全鎮圧
07.24レーニン、フィンランド逃亡
07.17
 ボリシェビキ革命軍によって首都サンクトペテルブルクからエカテリンブルクに移送され、イパチェフの家に幽閉されていた
 ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世、アレクサンドラ皇后と5人の子供とともに銃殺
07.06
 アラビアのロレンスT.E.ロレンス)、アカバ攻撃に成功
07.24
マタ・ハリ、パリ第3軍法会議で死刑判決
09.10 孫文、広東で広東軍政府の樹立を宣言
10.15 マタハリ(41)、独のスパイとして銃殺
11.07 ロシア10月革命
 ペトログラードでボリシェヴィキが武装蜂起し、ケレンスキー臨時政府を打倒し、ソビエト政権の樹立を宣言
 ロシア・ソビエト社会主義共和国成立
11.08第2回ソビエト大会でレーニンが人民委員会議長に選出
12.06 フィンランド、帝政ロシアから独立を宣言し、フィンランド共和国成立
6大倉集古館開館(日本初の市立美術館)
大阪市立刀根山療養所開設(日本初の公立結核療養所)
天皇直属機関として臨時外交調査委員会設立。
犬養毅、国民党総理就任。
7 好景気で人手不足西原借款を軸とする援段政策決定。
1109.12
 大蔵省、金貨幣・金地金輸出取締令を公布 金本位制廃止
10.08三菱造船設立
 貿易収支が空前の黒字
石井・ランシング協定。
米、中国における日本の特殊権益を承認
ボルシェビキによるロシア十月革命。
大正七年
1
9
1
8

1918年(大正7)の社会

01.01
 警視庁に「赤バイ」登場
【出版】
愛の詩集(室生犀星)
抒情小曲集(室生犀星)
小さき者へ(有島武郎)
田園の憂鬱(佐藤春夫)
おかめ笹(永井荷風)
地獄変芥川龍之介)
蜘蛛の糸(芥川龍之介)
母性保護論争
労働文学盛ん
【世相】
盆栽成金登場
外国人観光客の花見見物増加
パン食普及
少年野球盛ん
忍者ごっこ
百人一首流行
パイロット万年筆発売
森永ミルクチョコレート 10.1
ノーシン

大島紬が流行
 大正モダニズムの影響を受けて、泥染めが中心だったが、色大島が増え、柄も大柄で大胆な花鳥風月が流行

 金の装飾品が流行

三越,単衣(裏地無)洋服を発売

【映画】
犬の生活 4.14 アメリカ
監督:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン
 3.16
  監督:田中栄三
  製作:日活(向島撮影所)
  原作:岡本綺堂
  出演:山本嘉一 藤野秀夫 大村正雄 新井淳 横山運平 衣笠貞之助上映:浅草オペラ館
生ける屍 3.31
  監督:田中栄三
  製作:日活(向島撮影所)
  原作:レオ・トルストイ
  出演:山本嘉一 立花貞二郎 二島竹松 衣笠貞之助
  上映:浅草遊楽館
荒木又右衛門
 10.15
  監督:牧野省三
  製作:日活(京都撮影所)
  出演:尾上松之助
  上映:浅草富士館

【流行語】
 平民宰相
 平民食堂
 女一揆
 非立憲内閣
 人類の敵
 過激派
 白虹日を貫く
 投機熱
81918年(大正7)の経済関連

04.01
 丹那トンネル起工
04.18
 美濃電気鉄道に女性車掌が登場(日本初)
04.30
 東京女子大学開校(学長:新渡戸稲造)
05.01三菱商事開業
06.17帝国人造絹絲(株)設立
 帝人(株)創立
 山形県米沢市でレーヨンの大規模生産を始める
07.23
 富山県市魚津町で、漁師の妻ら、米価高騰を防ぐため米の県外積み出し中止を要求(米騒動のはじまり)
08.03
 越中女房一揆
 富山県中新川郡西水橋町で米騒動が発生し、たちまち全国へ波及
07.31
 米価暴騰により、東京米穀取引所が立合停止
08.29
 奈良県生駒山に日本初のケーブルカーが開通

白虹事件

【没】
秋山真之(49歳 2.4)
ドビュッシー(55歳 3.25)
ブラウン(67歳 4.20)
マンフレート・リヒトホーフェン(25歳 4.21)
島村抱月(48歳 11.5)
1918年(大正7)の政治関連

01.01
 英、日本に、ウラジオストックの軍需物資確保のために日・米・英の共同出兵を提議

01.08
 ウィルソン米大統領、「平和原則14カ条」発表

02.14
 露暦(ユリウス暦)を使ってきたソビエト・ロシア、グレゴリオ暦を採用

03.03
 ブレスト・リトフスク条約締結

 革命直後のソビエト・ロシアと同盟国側のドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国
 との間で結ばれた単独講和条約
 ⇒第一次世界大戦

08.12
 シベリア出兵

日本陸軍、ウラジオストックに上陸







909.20
 東京海上ビル竣工(日本初のアメリカ型オフィスビル)

スペイン風邪大流行
 島村抱月ら15万人以上死亡


寺内内閣総辞職。大命は政友会総裁・原敬に降下
09.29
 原敬内閣成立
 日本初の平民宰相
 日本初の本格的政党内閣
原は陸海以外の閣僚をオール政友会で組閣。
1
1
11.14
 武者小路実篤、宮崎県児湯郡木城村に「新しき村」を建設
創立:
 松下電気器具製作所
 古河鉱業
 帝人 6.17
創刊:
 文明批評 1.1
 赤い鳥
 新しき村
オーストリア、連合国との間に休戦協定。
11.03
 独のキール軍港で水兵が反乱
11.09ドイツ革命
 ベルリンで、スパルタクス団が指導した労働者が武装蜂起し、共和国を宣言 ヴィルヘルム2世が皇帝退位を宣言 11.10オランダに亡命
11.11独、コンピエーニュの森で連合国との休戦協定に調印
 第一次世界大戦終結
1212.06
 大学令公布
大学令により、単科大学と公私立大学設立を認可。
閣議で在シベリア日本軍の逐次撤兵を決定。
大正八年
1
9
1
9
1919年(大正8)の社会

【出版】
普通選挙論(吉野作造)
 古寺巡礼(和辻哲郎)
 藤十郎の恋(菊池寛)
 運命(幸田露伴)
 砂金(西条八十)
 友情(武者小路実篤)
 性に目醒める頃(室生犀星)
 月と六ペンス(モーム)

【世相】
01.05
 松井須磨子、有楽座「カルメン」公演中に自殺

04.01
 新国劇、「月形半平太」を京都明治座で公演し大ヒット(チャンバラの初め)

05.04
第1回全国中学校陸上競技選手権大会開催

カルピス 7.7

 資生堂、香水「雪姫」発売

 栄養剤流行

 ファスナー日本初輸入

 寿屋洋酒店(サントリー)、「トリスウィスキー」発売 9.1

 森永製菓、「ミルクココア」発売 国産第1号ココア

明治屋、「コカコーラ」の輸入販売

オペラバッグが、布製から皮製になる

白衿が流行
 女性の花形職業である青バスの女性車掌の制服が白衿だったことから流行した

 山脇高等女学校(山脇学園)、洋装制服(改良服)を導入

 並木伊三郎、青山に「並木婦人子供服裁縫店」を開き、「婦人子供服裁縫教授所」を設置

【流行語】
デモクラシ-
 普選
 イージー
 サボる
 ああ!松本訓導
 成金
 流感

【没】
 松井須磨子(32歳 1.5)
 ルーズベルト(60歳 1.6)
 辰野金吾(66歳 3.25)
 板垣退助(82歳 7.16)
 カーネギー(83歳 8.11)
 ルノワール(78歳 12.3)

1
1919年(大正8)の経済関連

創刊:
 キネマ旬報 7.11
 改造 4.3

07.11
 大阪市、公立託児所開設(日本初)


09.01
上野広小路交差点で手動式交通信号機設置(日本初)


09.05
 帝国美術院設立
 院長:森鴎外

12.05
東京府、日暮里に初の公設質屋開設

1919年(大正8)の政治関連

第一次大戦に関するパリ講和会議。
日本側全権は西園寺公望、牧野伸顕、珍田捨巳。山東半島などのドイツの利権の無条件譲渡を要求
01.05
 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)結成
01.11
 自動車取締令公布(最高時速24km)
01.18
 対独講和会議開催
01.21
 アイルランド独立宣言
 ダブリンで第1回国民議会が開催され、アイルランド自由国の独立を宣言
2
普通選挙期成同盟、各地で起こる。
3
朝鮮京城で大規模な反日デモ突発(三・一事件)。朝鮮総督府、これを弾圧。万歳事件
04.06
 ガンジー、非暴力抵抗運動(サティアグラハ)を開始
4 創業者の江崎利一、牡蠣煮汁からグリコーゲンを採取(グリコ)関東庁官制・関東軍司令部条例公布。
パリ講和会議、山東省におけるドイツ利権を日本が継承することを承認。
5 投機ブーム
労働運動盛ん
東京市街自動車」設立(青バス)
国産初の電気機関車(ED40形)完成(大宮工場)


パリ講和会議、赤道以北のドイツ領南洋諸島の委任統治を日本に委託
05.04
 中国で、五・四運動始まる
中国で大規模な反日デモ勃発(五・四運動)。

選挙法改正、直接国税三円以上の男子に選挙権を付与。
606.10
 皇太子裕仁親王と久迩宮良子との婚約発表
06.14
 英空軍将校ジョン・オールコック、アーサー・ブラウンとともに史上初の大西洋無着陸横断飛行に成功
 カナダのセントジョンからアイルランドのクリフデンまでの3186kmをビッカース・ビミー改造機で16時間12分で飛行した

06.28
 ヴェルサイユ条約締結
 ヴェルサイユ体制成立
07.25
 第1次カラハン宣言
07.31
 独国民議会、ワイマール憲法を採択
807.19
 満州・寛城子(長春)で日本軍と中国軍が衝突
08.15
 三菱銀行設立
08.11
 独、ワイマール憲法制定

朝鮮総督府、台湾総督府の官制改正。文官総督を認める。
10スペイン風邪大流行
 前年度と合わせて15万人以上死亡
創立:

 東急百貨店
 白木屋呉服店
 高島屋呉服店
 十合百貨店
 松屋鶴屋呉服店
中華革命党、中国国民党に改組。
09.10
 オーストリア、サン・ジェルマン条約に調印
10.28
 米議会、「禁酒法」可決
11.17
 第1回ILO総会で「1日8時間・週48時間」労働制を第1号条約に

大正九年
1
9
2
0

1920年(大正9)の社会
【出版】
惜みなく愛は奪う(有島武郎)
 探偵・冒険小説ブーム
 菊池寛「真珠夫人」連載開始(通俗小説流行の兆しを作る)
 賀川豊彦「死線を越えて」(改造)発表(大正時代最大のベストセラー)

創刊
 新青年
 女性同盟
 婦人くらぶ(婦人倶楽部)
 芸術自由教育
【世相】
西村アヤ、「ピノキオ」を日本に初めて紹介
伝書鳩の飼育盛ん
催眠術人気

第1次世界大戦講和記念たばこ「ピース」発売(50本入り、1円50銭)

近江兄弟社,「メンソレータム」の輸入販売

04.08
 小菅(伊勢丹)、民間飛行家の後藤勇吉に依頼し、日本初の空中広告を行う

 通天閣に「ライオン歯磨」の電飾広告登場

職業野球団「日本運動協会(芝浦協会)」設立(日本初のプロ野球球団)
01.06
 日本初の水上競技大会開催
01.15 両国国技館の開館式
02.14
 報知新聞社主催「第1回箱根駅伝」開催
10.01
 第1回国勢調査実施
 総人口76.988.379人
 内地55.963.053人

02.02
 東京市街自動車、初の女性車掌(バスガール)を採用

【流行語】
 示威運動
 溶鉱炉の火は消えたり
 職業婦人
 西にレー二ン、東に原敬あり

【映画】
 奇傑ゾロ 11.27 アメリカ
  監督フレッド・ニブロ
出演:ダグラス・フェアバンクス

 モヒカン族の最後(The Last of the Mohicans) アメリカ
  監督:モーリス・トゥールヌール クラレンス・ブラウン
  出演:ウォーレス・ビアリー  バーバラ・ベッドフォード

 東への道 9.3 アメリカ 
  監督:D・W・グリフィス
  出演:リリアン・ギッシュ

 巨人ゴーレム ドイツ 
  監督:パウル・ヴェゲナー カール・ボエゼ
  出演:パウル・ヴェゲナー アルベルト・スタインリュック エルンスト・ドイッチュ リディア・サルモノワ

ジェキル博士とハイド氏
ドイツ 監督:F・W・ムルナウ
  出演:コンラート・ファイト

キートンの案山子(スケアクロウ The Scarecrow) 12.22 アメリカ
  監督:エドワード・F・クライン バスター・キートン
  出演:バスター・キートン

ロイドの神出鬼没(Get Out and Get Under) 9.12 アメリカ
  監督:ハル・ローチ
  出演:ハロルド・ロイド
1
1920年(大正9)の経済関連

01.16  米で禁酒法施行


1920年(大正9)の政治関連

国際連盟発足。
日本、常任理事国として加盟。
202.01
 日立製作所設立

電話需要急増
ボーナス制度実施
02.11
 普通選挙の実施と治安警察法廃止を求め、東京で数万人がデモ

原内閣は議会を解散。
303.15
 株価大暴落
 戦後恐慌始まる

戦後恐慌が起こった背景には、日本の工業製品が売れなくなったということがありました。第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ諸国の工業生産が回復し始めたためです。

02.05
 八幡製作所で大規模ストライキ

03.28
 平塚らいてう、市川房枝ら、「新婦人協会」を結成

本所江東橋・錦糸堀間に「電車横断線」登場(日本初の横断歩道)

 三越呉服店前に日本初の公衆用火災報知機(東京報知機社製)設置

05.02
 上野公園で、日本初のメーデー開催
06.14
夕張炭鉱爆発事故(209人死亡)

07.03
 宮崎県で女性初の校長先生(小学校)誕生

08.26
 日本初の海洋気象台神戸海洋気象台創設

08.29
 東京地下鉄道設立
02.05
 早稲田・慶応、日本初の私立大学として認可(大学令)
 04.15
 明治・法政・中央・日本・国学院・同志社も認可

03.12
 東京女子医専(東京女子医科大学)、日本初の女子専門学校として認可
 東京市香蘭女学校「女子補導会東京第一組」発足(日本初のガールスカウト)
松竹キネマ蒲田撮影所完成
津田喜次郎、「津田式ポンプ」を発明
【邦画】
白菊物語 7.3
  監督:帰山教正
  製作:映画芸術協会
  出演:花柳はるみ 青山杉作 近藤伊与吉 村田実 吾妻光
  上映:神田館

 一条大蔵卿(平家物語) 8.20
  監督:牧野省三
  製作:日活(京都撮影所第二部)
  出演:市川姉蔵 尾上卯多五郎 嵐栄次郎 尾上多磨之丞 牧野正唯
  上映:浅草遊楽館

 島の娘 11.1
  監督:ヘンリー小谷 木村錦花
  製作:松竹キネマ(蒲田撮影所)
  出演:川田芳子(1895年10月17日生 新潟県新潟市)
  上映:歌舞伎座
03.13
 
カップ一揆
 ベルサイユ条約の調印に反対して一時ベルリンを占領



尼港(ニコライエフスク)事件


04.28
 李王朝最後の皇太子李垠(りぎん)、梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)女王(梨本宮守正王の長女)と結婚
 六本木・鳥居坂の李王邸で挙式


05.24
 尼港事件
 ソビエトで、日本軍のニコラエフスク接近の報により、パルチザン部隊、収監中の日本人122名を殺害

08.28
 米議会、「婦人参政権」を可決





1011.01
 明治神宮完成
 鎮座祭挙行
08.14
 第7回アントワープオリンピック大会開催(ベルギー)
 日本初のメダル(銀2個)獲得
11.15
 第1回国際連盟総会開催
12.17
 国際連盟、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の統治を日本に委任
11.25
 戦艦「長門」完成

正十年
1
9
2
1

1921年(大正10)の社会

【出版】
 あらたま(斎藤茂吉)

 愛すればこそ(谷崎潤一郎)

 山鴨(芥川龍之介)

赤いろうそくと人魚 小川未明

志賀直哉の「暗夜行路」改造に連載開始

 プロレタリア文学運動始まる

07.17 バートランド・ラッセル来日

10.05 ロンドンで、国際ペンクラブ創設

12.04魯迅「阿Q正伝」連載

【世相】
浅草にマルベル堂開店
 プロマイド第1号:栗島すみ子
10.21 共同募金始まる
09.10
 槙有恒、アイガー東山稜ルートから登頂を試み、世界で初めて成功する

10.30 歌舞伎座、漏電で全焼

カツ丼誕生

かすりの夏着が流行
 和服に靴下が流行
 日傘が流行

 耳隠しが流行(前髪を分け目やウエーブをつけて耳をおおい隠し、髷(まげ)を後ろで低く結った髪型。大正8年頃から大流行

帽子のつばが広くなり、洋服が装飾的になる


【流行語】
白蓮する?
 二枚舌
 一蓮托生
 暖簾の問屋
 プロレタリア
 軍縮


3
1921年(大正10)の経済関連

造船不況 首切り増加
小作争議が急増
創刊:
 カメラ
 種蒔く人
 生長する星の群
 思想 10.1
1921年(大正10)の政治関連

皇太子・廸宮裕仁親王軍艦「香取」でのヨーロッパ巡遊(九月帰国)。



1104.04 米穀法公布
04.08 借地法・借家法公布
安田善次郎(82)、大磯の別邸(寿楽庵)で神州義団団長・朝日平吾に刺殺される
06.25
 三菱内燃機神戸工場で争議
07.07
 神戸三菱造船所と川崎造船所に波及
07.14 軍隊出動
08.05 根室本線開通
創立:
 三菱電機 1.15
 小松製作所(コマツ) 4.30
 グリコ(江崎商店) 江崎グリコ創立記念日 2月11日
 カルミン(明治製菓)

08.09鈴木梅太郎合成酒の特許を取得
三越呉服店バーバリーレインコート発売
三越呉服店女子店員に制服(日本初)
福岡女学院、制服にセーラー服を採用
 三田高等女学校(戸板女子短期大学)、洋式制服を採用
ココ・シャネル香水「シャネルNo.5」を発表

【邦画】
豪傑児雷也 2.1 日本初の特撮映画
  監督:牧野省三
  出演:尾上松之助
 路上の霊魂 4.8 松竹キネマ研究所第1回作品
  監督:村田実
  出演:小山内薫
 虞美人草 4.29
監督:ヘンリー小谷(本名:小谷倉市)  出演:栗島すみ子
原敬首相、東京駅頭で国鉄大塚駅職員の中岡艮一に刺殺される。




原=政友会内閣総辞職。
政友会の後継総裁は高橋是清。元老会議は高橋を後継首班に奏薦




皇太子裕仁親王、摂政就任。



海軍軍縮のためのワシントン会議開催(英米仏伊日)。
日本全権は加藤友三郎海相、徳川家達貴族院議長、幣原喜重郎駐米大使。



11.29
呉で初の日本式潜水艦第44号進水





12

世界遺産絡みで麻生大臣を攻撃?

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「新しき朝鮮」という、昭和17年度の朝鮮総督府のレポートから人口統計を見てみました。

これによると、総人口約2636万人で、そのうち2552万人が朝鮮人ということです。

その差の84万人の大半がほぼ日本人であろうと思われます。

いっぽう、日本に在住する朝鮮人は150万人、満州に在住する朝鮮人も150万人ということです。

このレポートによれば、統治の方針は「内鮮一体」ということで、日本の一地方として位置づけられていたようです

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267113
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なお、徴用工は昭和19年(1944年)からなので、
この時点で日本にいる朝鮮人は強制連行された人々ではありません。
ただ、人手不足を補うための法律が施行されていました。

朝鮮人工場労働者、日本移住斡旋に関する協定
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=10151678762179796&id=285925569795
  • 国立公文書館 アジア歴史資料センター
    http://www.jacar.go.jp/
    朝鮮工場労務者内地移住幹施に関する件(大日記甲輯昭和15年)
    レファレンスコード:C01001832500
    転載範囲は、4~6頁。
    以下は、分かり易く現代語訳したもの
    極秘
    朝鮮人工場労働者、日本移住斡旋に関する協定
    企計G 人後第五号
    昭和十五年八月二十二日
    企画院第三部
    第一 目的
    本協定は、日本工場の労働需給の調整と、朝鮮の技術水準の向上に貢献することを以って、目的とする。
    第二 方針
    一、労働動員実施計画綱領にもとづく、朝鮮人工場労働者の日本移住に関しては、昭和十四年七月の「朝鮮人労働者日本移住に関する協定」にもとづく募集によるものの内、一部は朝鮮総督府において、これを斡旋する事で得る事にする。
    斡旋による朝鮮人工場労働者の日本移住に関しては、本協定の外、昭和十四年七月の協定にもとづく事。
    二、斡旋による工場労働者数については、関係庁において、毎年これを協定する事。
    三、本協定にもとづき、斡旋により日本に移住させるべき工場労働者については、左(次)により取り扱う事。
    (一)労働者の従事すべき事業および作業の種類は、おおむね別紙(資料センターの8~11 頁の画像)によることとし、朝鮮に帰国後、就労させるべき工場と同一資本系統の工場をかなり選定する事。
    (二)労働者は、おおむね年齢十四歳以上、二十歳未満の男子にして、修業年限六年の尋常小学校(現在の小学校に相当)を卒業した者。または、これと同等以上の学力を有し、思想堅実、身元確実、身体強健な者であること。
    (三)労働者の採用は、朝鮮総督府において斡旋した者に限って、雇用主が行うこと。
    (四)雇用期間は、これを二年以上五年以内とし、その満了した時は、原則として朝鮮に帰国させること。雇用期間満了の際、必要と認める時は、労働者の一部に付き、その雇用を更新継続できること。
    (五)雇用主は労働者に対して、その徳性を養い、中堅職工として、必要な知識および技能を速やかに授ける者になる事。
    (六)労働者が朝鮮に帰国する場合、「国家総動員法」にもとづく「従業者雇入制限令」の適用については、関係庁において迅速に処理をすること。
    (七)労働者の往路旅費および、雇用期間満了まで就労した労働者または雇用主の都合により解雇した労働者の帰郷旅費は、雇用主が原則として負担すること。ただし往路旅費については、朝鮮総督府において、その一部を負担する事。
    本協定により、朝鮮の工場に就労する為に、帰郷する者の帰郷旅費は新雇用主が負担する事。
    注釈)「従業者雇入制限令」とは、年齢15歳以上50歳未満の男子の内、
    ①他の雇用者に3 ヵ月以上雇用されていた者。あるいは、3 ヵ月以上雇用された後、雇用を終了して6ヵ月以内の者。
    ②3 ヵ月以上技能者養成令にもとづく養成工であった者。および養成終了後6 ヵ月以内の者。
    を新たに雇用する場合は、職業紹介所長の許可を必要とした法令
    原文
    極秘
    朝鮮人工場労務者内地移住斡旋ニ関スル協定
    企計G人後第五号
    昭和十五年八月二十二日
    企画院第三部
    第一 目的
    本協定ハ内地工場ニ於ケル労務需給ノ調整ト朝鮮ニ於ケル技術水準ノ向上ニ資スルコトヲ以テ目的トス
    第二 方針
    一、労務動員実施計画綱領ニ基ク朝鮮人工場労務者ノ内地移住ニ関シテハ昭和十四年七月ノ朝鮮人労務者内地移住ニ関スル協定ニ基ク募集ニ依ルモノノ内一部ハ朝鮮総督府に於テ之ヲ斡旋スルコトヲ得ルモノトス
    斡旋ニ依ル朝鮮人工場労務者ノ内地移住ニ関シテハ本協定ニ依ルノ外昭和十四年七月ノ協定に依ルモノトス
    二、斡旋ニ依ル工場労務者数ニ付テハ関係廰ニ於テ毎年之ヲ協定スルモノトス
    三、本協定ニ基キ斡旋ニ依リ内地ニ移住セシムベキ工場労務者ニ付テハ左ニ依リ取扱フモノトス
    (一)労務者ノ従事スベキ事業及作業ノ種類ハ概ネ別紙ニ依ルコトトシ帰鮮後就労セシムベキ工場ト同一資本系統ノ工場ヲ可成選定スルモノトス
    (二)労務者ハ概ネ年齢十四歳以上二十歳未満ノ男子ニシテ修業年限六年ノ尋常小学校ヲ卒業シタル者又ハ之ト同等以上ノ学力ヲ有シ思想堅実、身元確実、身体強健ナル者タルコト
    (三)労務者ノ採用ハ朝鮮総督府ニ於テ斡旋シタル者ニ付雇用主之ヲ行フコト
    (四)雇用期間ハ之ヲ二年以上五年以内トシ其ノ満了シタル時ハ原則トシテ之を帰鮮セシムルコト
    雇用期間満了ノ際必要ト認ムルトキハ労務者ノ一部ニ付其ノ雇用ヲ更新継続シ得ルコト
    (五)雇用主ハ労務者ニ対シ其ノ徳性ヲ涵養シ中堅職工タルニ須要ナル智識及技能ヲ速ニ授クルモノナルコト
    (六)労務者帰鮮ノ場合ニ於ケル国家総動員法ニ基ク従業者雇入制限令ノ適用ニ付テハ関係廰ニ於テ迅速ニ之ガ処理ヲ為スコト
    (七)労務者ノ往路旅費及雇用期間満了迄就労シタル労務者又ハ雇用主ノ都合ニ依リ解雇シタル労務者ノ帰郷旅費ハ雇用主ニ於テ原則トシテ之ヲ負担スルコト但シ往路旅費ニ付テハ朝鮮総督府ニ於テ其ノ一部ヲ負担スルコトアルベキコト
    本協定ニ依リ朝鮮内ノ工場ニ就労セシムル為帰郷スル者ノ帰郷旅費ハ新雇用主ニ於テ負担スルモノナルコト
    *公文書には、「朝鮮の技術水準の向上を目的としている」事が明記されているばかりか、雇用期間を二年以上五年以下と定め、雇用主は徳性を持って技能者の育成に努めねばならないと注意をうながしている。

  • これのどこが「強制労働」「強制連行」なのだろうか?
    <コメント>
  • 朝鮮人労働者は日本人労働者より待遇が良く、絹の布団等が支給されたと聞いています。

  •  「当時の資料にはウソが書かれている」という前提から論議を始める連中と、それと同じ頭の裁判官には、脱力感を覚える以外ないですね。
     もっと困るのは日本に落ち度がないと判決を出しながらも、余計なコメントをだして和解を進めることです。これじゃ、サラ金の過払い請求と同じで、弁護士は丸儲け・・・・そういう御仁もおいでで、「みずほ銀行」という仇名もあるそうですね。企業も和解をすると日本人の徴用との逆差別になるのを心してほしいです。

徴用工について

『朝日新聞』 1959年7月13日 2面

『大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人』
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府

が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」と

の趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさ

つ」について発表した。これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時

中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。
主な内容は次の通り。

一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直

前(昭和二十年)には約二百万人となった。

増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。

残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。

また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、

朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が

導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運航が止まるまでのわずか七か月
間であった。

一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配船、

個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七五%が帰還している。

戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、

残留した者はごく少数である。

現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって残留したものである


徴用は学校単位で行われたそうです。
朝鮮人の徴用工については朝鮮では挺身隊を慰安婦との誤認があるとの理由で、
徴用は男性のみ行われたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE#.E6.9C.9D.E9.AE.AE.E4.BA.BA.E3.81.AE.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.86.85.E5.9C.B0.E3.81.B8.E3.81.AE.E7.A7.BB.E5.85.A5
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E6%8C%BA%E8%BA%AB%E9%9A%8A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%B0%B8%E4%BD%8F%E8%80%85



強制連行されて3年間棒で打たれながら
日本の炭鉱で働かされた

という朝鮮人のおじいさんが現れました。
過去1943年22歳で長崎に位置するそこに連れて行かれ、採炭夫として丸3年を
棒打ちと劣悪な作業環境の中で働いて解放された。

http://kankokunohannou.org/blog-entry-2231.html

この内容からすると終戦の翌年まで拘束されていたことになります。

当時の炭鉱は軍事施設扱いだったので、憲兵がいたそうですから、もしかすると。。ということはあります。
でも、米軍が入ってきているのですから、戦後まで強制労働が続いたというのはありえない話です。

それから、この記事に出てくる麻生炭鉱は麻生大臣とゆかりがあるそうですが、

7996人が強制動員され、死亡者が56人

について調べてみました。
ネタの数字はこちらから来ているようです。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0405-00002.htm

「 こうした圧制は、戦時下においても変わりなく続いた。
福岡県による文書「縣政重要事項」(1944年、昭和19年)や、
「事務引継書」(1945年、昭和20年)によると、
麻生鉱業所の移入者数7996人に対し、逃走者数4919人(61.5%)にも及ぶ
各事業所が雇い入れていた「請願巡査」の監視下においてすらこうした実態であったことは、
明治、大正、昭和初期の様子を彷彿とさせる。」


死亡者が56人というのは真っ赤な嘘だということがわかります。

しかも、
 「1932年9月3日、現場復帰109人、解雇191人をもってこの争議は終結した。
 (芝竹夫、ムグンファの会)」
かなり昔にあった労働争議の事のようで、解雇ですって。

辞められるお仕事は強制労働とは言いません。


ただし、
炭鉱で外国人捕虜が働かされたのは事実のようです。

捕虜体験記(日本語)
http://www.us-japandialogueonpows.org/news-J.htm
http://www.us-japandialogueonpows.org/index-J.htm

スターリンは日本人50万人を強制連行して戦後も拘束し続け強制労働に従事させました。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/CombineDorei1.html

胸が痛みます。。

借金のカタにヤクザにタコ部屋に売り飛ばされるという都市伝説は
昔聞いたことがあります。
強制労働については資料を探して証拠とともに明らかにしなければ
ならないと思います。


母の日2015

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今年はえーと、花の名前が?

プレートが無いので。。

凄くキレイです。ありがとう。

それに大きい。

私も母の日あげなくちゃ。

焦る~(; ̄ー ̄A

陰謀論と軍事技術

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浜田和幸国会議員による各国の地震兵器などの開発の状況と
我が国の防災対策への考え方動画です。


隠された軍事技術~地震兵器・HARRP・ケムトレイル~ 浜田和幸参議院議員 #1_2  ARTV_INTERVIEW



飛行機をハッキングする技術さえ開発されているそうです

未来予測~超管理社会・ロスチャイルド&ロックフェラー・インターネット~ 浜田和幸参議院議員 #1_3 ARTV_INTERVIEW


TPP反対に動き出した米市民団体

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以下動画の文字起こしです。
市民団体パブリック・シチズンのサイトはこちら

ー 密室で進む米国と環太平洋諸国の貿易協定草案がリークされました。
環太平洋経済連携協定(TPP)です。

リーク草案によると米国で営業する外国企業は
重要な規制について国際法廷に持ち込むことができます。

その裁定は国内法に優先され違反には罰則を課すこともできます。

交渉担当はオバマ大統領が任命した米国通商代表のカーク氏です。
しかしりーくされた草案はオバマ氏の選挙公約に反しています。
2008年の選挙公約には
「環境や食の安全や国民の健康が守れなかったり」
「外国の投資家を優先する貿易交渉はしない」

リークされたTPP草案には著作権の保護を強化したり
医薬品コストを押し上げる規定もあります。
通商代表部は出演を断り声明を送ってきました。
「TPPの投資関連の提案には」
「公益保護のための正当で非差別的な政府規制を妨げるものではない」

ー 市民団体パブリック・シチズンのロリ・ウォラックさんです。
リーク文書は同団体のウェブサイトで公開されました。


リーク草案でわかったTPPの正体とは

表向きは「貿易協定」ですが実質は企業による世界統治です。

加盟国には例外なく全ての規定が適用され
国内の法も規制も行政手続もTPPに合わせなければなりません。
全26章のうち 貿易関連は2章のみ。

他はみな企業に多大な特権を与え各国政府の権限を奪うものです。
私達のサイトに掲載したTPP投資条項によれば
外国の投資家がTPP条約を盾に米国政府に民事訴訟を起こし
国内規制が原因で生じた損害の賠償を請求できるのです。

米国の企業はみな同じ規制を守っているのにこれでは国庫の略奪です。

ー極秘に進行するTPP交渉には議会も不満を申し立てています。
約600人の企業顧問はTPP情報にアクセスできるのに米国の議員はできないのですね?

こんなひどい内容をそれもリークで知るとは驚きです。
内容がひどいだけでなく
これは「1%」が私たちの生存権を奪うツールです。交渉は極秘で行われました。
暴露されるまで2年半も水面下で交渉していた。
600人の企業顧問には草案へのアクセス権を与えながら
上院貿易委員会のワイデン委員長はカヤの外です。

TPPを監督する立場なのに草案にアクセスできない。

たまりかねた委員長が

監督責任のある協定の内容を知る権利があるとする法案を提出したありさまです。

ワイデン氏は情報委員ですよ。核関連の機密も知る立場なのに。

貿易協定という名の「企業の権利章典」は見られない。

じつに見事な「トロイの木馬」です。


通りのいい看板の裏に表に出せない内容を仕込む。
製薬大手の特許権を拡大する条項も入手しました。

医薬品価格を急騰させます。
TPP情報の分析や行動への誘いが私たちのサイトにあります。
TPPはいわばドラキュラです。日に当てれば退治できる。

米国や全ての交渉国で市民の反対運動が起きます。
企業の権利の世界的な強制なんて私たちは許さない。
民主主義と説明責任に反します。

ー 米国通商代表部から届いたコメントを読みます。
「TPPの交渉経過には高い透明性を確保してきた」
「議員たちと協力し関係者を毎回の交渉に招き」
「説明会や個別交渉によって透明性と市民参加を高めてきた」
ー これについては?

透明性といっって市民には「映らない鏡」です。
説明会で意見を言うことはできる。でも公益団体の意見はなにも
草案には反映されていない。

環境から消費者 労働者まで 公益はなに1つ反映されない。

国民をまったく無視した過激なまでの強攻策です。

金融制度の安定のため各国が施行する金融規制にすら
米国は反対しています。

そこには米国民の意見がない。でも間に合います。
歴史的な観点で見てみましょう。
1990年代のFTAA(米州自由貿易協定)は2年かけて34カ国が協議し、
全草案が各国で公開されました。
TPP交渉は3年目ですが一行たりとも後悔しない。

おまけに締結後4年間は非公開という密約もあった

秘密をさらに隠すのです。

カーク通商代表に聞きました。なぜ公開しないのか?
お世辞にも透明と言えないWTOさえ草案を公開したのに
彼の答えは「FTAA交渉は公開したら暗礁に乗り上げた」

それってどういう意味ですか?
密室でこそこそやる理由は 国民や議会に知られるだけで
危うくなるような内容だから?

しっかり押さえてください。TPPの狙いは貿易ではなく
セメントのような作用です。
一度固まったらおしまい。全員が同意しないと変更できない。
リーク草案が示唆するのは司法の二重構造です。

国民は国内法や司法を使って権利を護り要求を推し進めますが
企業は別立ての司法制度を持ち
利益相反お構いなしのお抱え弁護士たちが
いんちき国際法廷に加盟国の政府を引きずり出し
勝手に集めた3人の弁護士が政府に無制限の賠償を命じるのです。

規制のおかげで生じた費用を弁済しろとか不当な扱いを受けたとか言って
国内の企業には同じ規制が一律に適用されているというのに。

NAFTAにも似た制度があり有害物質規制や
都市区画法の補償として3億5千万ドルが企業に支払われた。

こうした悪だくみは明るみに出せば阻止できます。

ー交渉に関わっている8カ国の国名は?
交渉方法の問題や参加国が急増する可能性は?

リークが重要な意味を持つのはこれが最後の交渉になる恐れがあるからです。
NATFA以来大企業は貿易協定を姑息に使って規制を押さえ込み
底辺への競争を煽りました。
交渉のたびに規制が緩和され企業の権限は拡大した。

今回がとどめです。いったん固まれば門戸を開き広く参加国を募ります。
企業の特権化を保証する世界的な協定になりかねません。
為替と貿易制裁が強制手段です。
TPPは強制力のある世界統治体制に発展する恐れがあります。
世界的なオキュパイ運動に対する企業側の反撃です。

旧来の悪弊が一層ひどくなる、さらに交渉のゆくえによっては
既存の国内法が改変され進歩的な良法が無くなるばかりか
新法の制定さえもできなくなる

交渉国は米国、豪州、ブルネイ、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ペルー、ベトナムで
マレーシアも加わります。
NAFTAと同じく企業の海外移転をうながす特権があり
新たな特権も付与されます。

医薬品や種子の独占権が強化され、医薬品価格をつり上げのため
後発医薬品を阻止する案まである

オバマ政権が医療制度改革法案に入れた医薬品についても
他国が使用する権利を奪おうと密談がされています。

各国の金融規制も緩和させられ高リスク金融商品も禁止できない。
米国政府が金融制度改革で規制強化を進めいている時にです。

TPPは地方財政にまで干渉します。
全国で搾取労働の撤廃や生活賃金を求める運動が広がる中で
TPPは地域産業の優先を禁じます。

地産地消や国産品愛好は許されないのです。
環境や人権に配慮する商品も提訴されかねません。

TPPは企業に凄まじい権力を与えます。
密室だから過激になった。

どこの国の人々もこんなものは御免です。
過激な条項を推進するのは米国政府です。
だから陽の目にさらして分析することが重要です。

何が起きているか人々に知ってほしい。

ダラスで説明家が行われた際 カーク通商代表が演説しましたが
「イエスマン」が元市長になりすましニセの授賞式を行いました。

ご参集ありがとうございます。テキサス企業協会からのお知らせです。
2012年企業パワーツール賞の受賞者は米国通商代表部です!
通商代表部のたゆまぬ努力に感謝します。
とくに力を入れているTPP交渉は市民の意見にはおかまいなく
企業利益を最大にするためです。
次回のTPP交渉は7月4日の週末です。

いかがですか?オバマ大統領はどう対処するのでしょう?
サラ・ジェシカ・パーカー邸で資金集めパーティをするようですが
金融業界の献金額は
ロムニー広報に4千万ドル
オバマ陣営へは480万ドルで
ウォール街もオバマ離れしています。

金融業界にはロムニー氏以上に良くしているつもりでしょうけど

オバマ大統領については2通り考えられます。
ひとつはTPPが密室交渉だったので把握していなかったケース
だからリークが重要でした。国民や議会に警告した。

大統領は通商代表部の監督が甘かった。
クリントン時代にNAFTAを通過させた連中が好きにやった。

もう一つは結局お金です。
「1%」を喜ばせる協定なのです。「1%」の夢なのです。
ありったけの金とロビイング力をつぎ込んで
未来永劫に力を振るうのです。

- 「パブリック・シチズン」のウォラックさんでした

参加国説明に日本の名前がない。。あけっこう古いんだ。。
今年も7月4日は土曜日なんですよね。。古いネタで失礼しました。




























HAARPと人工地震のしくみと観測結果

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HAARPは電子レンジと同じく電磁波。そこでまず電磁波とは?

【電磁波】プロローグ・・・電磁波が引き起こす物体との相互作用から、その本質を探る


☆☆☆電磁波とはなにか?

電子すら発見できてない1865年の段階で、マックスウェルは電磁波の存在を数式から予言しました。そして、1888年ヘルツがその実在を確認しました。

電磁波はスコットランドのジェームズ・クラーク・マクスウェルによって、1865年、「電磁場の力学的理論」として発表されました。そして、その中の電磁方程式の帰結として電磁波の存在を予言し、電磁波と光の速度は等しいことを証明して、光は電磁波であることを明らかにしました。これ以来、その存在に注目が集まるようになりました。

彼の電磁波に関する理論は、当時分かっている現象をほぼ完璧に数式で表していたので、それ以上の追求は必要ないという高い評価を得ていました。そのため、このマクスウェルの方程式により、古典電磁気学理論はいったん区切りをつけ、時代は電磁気の応用、実用化の時代へと移行しました。

電磁波理論の黎明期のこの頃、電磁波が真空中を伝わるという事実から、地球上の波は海や空気などの物質という媒体を介して伝達されていくのに、なぜ電磁波は何も無いとことでも伝わるのか?という疑問が出てきました。そして、当時の真空は(今でも素粒子物理学を知っている人以外は)物質が何も無い空間という認識でした。
その解決の為にマックスウェルは『場』という概念を創出し、この不思議な遠隔操作のような現象を論理化したのです。つまり、電気や磁気がその法則を発現できる空間を『電磁場』という実態のほとんど解らない『観念』を挿入することによって理解しようとしたのです。
このような論理構築は、今解っている事実を前提に、整合する論理を構築するという至極真っ当な思考法です。しかし、これから約150年間、電磁波に関する論理はほとんど変わっていません。ところが時代は変わり、現在では素粒子物理学の進展の結果、150年前に比べ真空という概念も大きく変貌を遂げようとしています。


http://www.ccs-inc.co.jp/s2_ps/s1/s_04/column/light_color/vol02.html
注意:波長の絵はイメージであり、各種電磁波間の実際の波長の差はもっと大きく異なります。































                    
転載元

例えば、X線は高周波の電磁波の一つで、放射線の一つ。

一般的に周波数100Hz以下の音を低周波数と言い、
20Hz以下を超低周波とよぶ。

人間の脳波は10Hz前後なので超低周波です。


そして、地震用のHAARPも超低周波だそうです。

近々 第2次東日本大震災が起こる兆候か!皆さん、備えて下さい!スミルノフ物理学派ドクター佐野千遥

(前略)
何故最近の大地震の時には地磁気に異常が起こるのかというと、米軍HAARPが重水をプラズマ化して超低周波で目的地点の地下にほぼ光速度で(高周波の台風用HAARPは高周波である為に速度は遅いが、人工地震用HAARPは超低周波であるために速度は(この間までのCERNの加速器すら実現していなかったような)ほぼ完全な光速度であり、その為に質量が巨大となり、その衝撃波は地震となる)送る為に、その地下の地点まで地表を貫き、重水素原子核2つが熱核融合しヘリウム原子核となる際に、水素爆弾として目的地点の地下で炸裂するからである。重水の原子核は陽子1つと中性子1つとから成り、陽子とはN-S-Nの磁気単極子から、中性子はS-N-Sの磁気単極子から成る。つまりこれ等のS極やN極の磁気単極子が巨大な質量のみならず、巨大な磁気を持つ為に、人工地震の際には地磁気にすら、擾乱が起こる。
(後略)

上記をまとめてみると

HAARPの種類

1)台風用HAARPは高周波である為に速度は遅い。

2)人工地震用HAARPは超低周波であるために速度は
ほぼ完全な光速度であり、その為に質量が巨大となり、
その衝撃波は地震となる

発射から地震発生地点到達まで
※発射地点から空に向けて送信アンテナで送出し、
電離層に反射させて目的地に到達させます。

HAARPが重水をプラズマ化して超低周波で目的地点の地下に
ほぼ光速度で送る(
CERNの加速器クラスかそれ以上の速度で)

地下の地点まで地表を貫き地磁気に異常が起こる

地震発生のしくみ

重水素原子核2つが熱核融合しヘリウム原子核となる際に、
水素爆弾として目的地点の地下で炸裂する



地磁気に異常が起きるしくみ

重水の原子核は陽子1つと中性子1つとから成り、
陽子とはN-S-Nの磁気単極子から、

中性子はS-N-Sの磁気単極子から成る。

これ等のS極やN極の磁気単極子が巨大な質量のみならず、
巨大な磁気を持つ為に、人工地震の際には地磁気にすら、
擾乱が起こる。


予想される福島原発への被害

”第2次東日本大地震”が近々起こり得る状況に有り、若しそうなった場合、既にメルトダウン核燃料の地下水接触によるトリチウム爆発を起こしている福島原発が大きな核爆発を起こす危険が現実に御座います。

転載元はこちら


実際の観測結果は以下のとおりです。
やはり超低周波地震が観測されています。

陸域機動的地震観測による付加体・プレート境界付近の構造調査

南海トラフ沿いの海溝型巨大地震の発生には、西南日本下へのフィリピン海プレートの沈み込みが強く関与している。阪神・淡路大震災以降に整備された陸域の高密度地震観測網データの解析により、沈み込むフィリピン海プレート陸側プレートの境界部付近で深部低周波微動と呼ばれる微弱な振動が発生していることが発見された(右図)。これまでの研究により、深部低周波微動はセグメント(領域)に分かれて活動が繰り返されること、セグメント間で連動して活動する場合があることが確認されている。一方、沖合のトラフ軸周辺の付加体内においても低周波成分に富んだ地震(浅部超低周波地震:右図)が発生していることが明らかになった。これらの現象に短期的/長期的スロースリップイベント等を含めた「スロー地震群」はプレート境界の活動状況を把握する上で重要な情報となる。
防災科学研究所(防災科研)では、陸域に設置された定常地震観測網のデータに加え、臨時的な機動観測を行うことにより、陸域深部延長部におけるプレート境界面の形状や構造の特徴を明らかにするととともに、超低周波地震のメカニズム解決定、深部低周波微動源決定の高精度化を進めてきた。
浅部低周波微動と浅部超低周波地震の分布浅部低周波微動と浅部超低周波地震の分布

浅部超低周波地震活動モニタリング

海溝型巨大地震は、沈み込む海洋プレートと上盤とのプレート境界で繰り返し発生してきた。巨大地震と巨大地震の間となる時期では、プレート境界付近に海水を多く含む堆積物が介在し、定常的に滑っていると考えられている。近年、陸域の稠密な地震観測網のデータ解析により、地震性のゆっくりすべり(超低周波地震)がこの領域で発生していることが明らかになった。
2004年紀伊半島の地震の後にかんそくされた地震波の例 2004年紀伊半島の地震の後にかんそくされた地震波の例 新しく開発した方法を日向灘沖で発生したイベントに適用した結果新しく開発した方法を日向灘沖で発生したイベントに適用した結果

深部低周波微動活動の解明

深部低周波微動現象は、プレートが固着している領域よりも陸域の深部側で発生している。このことから、プレート境界型地震の震源域の下限を規定するための重要な情報になると考えられている。これまでの観測から、微動活動は複数のセグメントを形成していること、複数のセグメントが連動して活動しうることが明らかになっている。また、微動活動と動機するようにスロースリップが発生することも観測されている。そのため、微動現象の解明が、プレート境界のひずみ蓄積から解放(地震発生)における一連のサイクル全体像の把握につながると期待される。
右に四国西部の機動観測点で収録された深部低周波微動の観測波形例(2~6Hzの帯域通過フィルタ適用済)を示す。微弱な振動だが、数10km離れた全ての機動観測点で明瞭に観測されており、地下深部に原因があることを示している。
四国西武の機動観測点で収録された深部低周波微動の観測波形例四国西武の機動観測点で収録された深部低周波微動の観測波形例
http://www.jamstec.go.jp/donet/rendou/report/search04.html

超低周波の人間の体への影響 増川いづみ博士講演



プラズマ英語:plasma、英語発音:[ˈplæzmə])は固体液体気体につづく物質の第四の状態の名称であって、通常は「電離した気体」をイメージに持つ。
Wikiより

イオンとプラズマの違い

イオンというのは、原子あるいは分子が、電子を授受することによって電荷を持ったもののこと。
電荷というのは、原子あるいは分子などが、電気を帯びることです。

対して、プラズマというのは気体が電離したものとされるのが一般的です

引用元

CERNの加速器
加速器って、あの、「ダビンチコード」続編の映画「天使と悪魔」に出てきたコワイやつです。
http://gigazine.net/news/20150406-cern-return/

映画のほう
http://www.art-it.asia/u/ab_suzukit/1V5rjsBAShnW9dHGPwqU
内容
http://kaciydiscovery.hatenablog.com/entry/2014/11/05/210535

日本での重水素プラズマ研究
http://www.nifs.ac.jp/j_plan/leaflet.pdf


がんばれシャープ

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シャープのつぶやき。

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
5,303件のリツイート2,972件のお気に入り

またイチから出直しなら、アタマの硬い重役さんには退陣してもらって、
アジアが熱望してる新しい技術にチャレンジしてみては?

それは。。プラズマ兵器のプラズマを消滅させる技術。

ベースの技術ありそうだから、キットできます。

日本も各地の灯台に設置すれば少しは人工地震避けになります。たぶん(=^・^=;)

がんばれ、シャープ。

TPPと米韓FTAとオバマケアの失敗

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beikanFTA.gif
(以下http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2013/07/ftatpp.htmlより転載)

日本の議員が訪米でいわれたことは、
TPPを知りたいなら韓米FTAを見ろ。
 TPPはそれをハイレベルにしたものだ

と、国務省やUSTRにおいて異口同音に告げられた。

つぎのビデオは56分56秒と長いです。
が、とても、とても、重要な内容です。
背筋が凍る話です。

ただ、聞き取りにくいので、
ホントなら文字を起こして万全を期したいところですが、
如何せんマンパワーが足りません・・・。


米韓FTAは完全に不平等条約 郭洋春(立教大学教授)

米韓FTAは完全に不平等条約 郭洋春(立教大学教授).mp4

こちらは短いので、時間のない人向けです。内容はほんの一部です。
2013/07/24 JAM THE WORLD 堤未果 - 郭洋春 [BREAK THROUG
クリック ↓ でYoutubeを開く  2013/07/24 JAM THE WORLD 堤未果 - 郭洋春 [BREAK THROUG

TPPKaku_tutumiMika.jpg

【気象予報士・斎藤恭紀BLOG】
 ◇米韓FTAの驚くべき内容-->こちらから一部転載させていただきます。

酪農学園大学・柳京熙(ユウキョンヒ)准教授の講演より


情報がない中で、ひとつの目安というか、モデルになるのが、米韓FTAの二国間交渉。間もなく、国会で採決されて、批准されるFTAです。国内の報道でも「米韓のFTAで日本の産業界は遅れを取ることになる。だから、日本はTPPの加盟を急げ」というようなニュアンスの報道が盛んにされていますが、昨日、きょうと米韓FTAの実態を知り、私は恐怖感すら覚えたのです。なぜ、恐怖感を覚えたのか。

きょう、私が事務局を担当している「TPPを考える国民会議」が米韓FTAの研究をしている北海道の酪農学園大学のユウキョンヒ准教授を招き、講演をして頂いたり、政府側からレクチャーを受けたりした中で米韓FTAの恐るべき中身が見えてきたのです。その中身を箇条書きすると。


○韓国の国家予算は日本の10分の1であり、人口も少ない。2大財閥の現代とサムソンの2社がGDPの40%を占めている。韓国はGDPの7割が輸出入を占めている典型的な外需国で対外貿易の依存度が極めて高い(日本は2割程度)。だから、韓国と日本を同じポジションで比較してはいけない。


○ 米国が締結した直近のFTAは米韓FTAであり、米国は米韓FTAをTPP交渉で目指すハイレベルな先進事例として活用するだろう。

○ 韓国政府はFTA交渉の過程で、この協定はメディアを通じ「農業VS工業」であるかのように矮小化しえきた。それは今、TPPの交渉参加を念頭にしている日本でも行われている。韓国でも事前に医療、福祉、教育には影響がないと盛んにプロパガンダされていた。ところが、蓋を開けてみると、医療、福祉、教育の規制が次々、緩和され、「話が違うよ」ということになっている。以下、その事例。

○ 医薬品分野において米国の要求が丸呑み。FTAにおいて「医薬品・医療機器委員会」を設置することが合意され、米国の医療機器輸出に対して規制を加えることが非常に困難になっているし、高額医療の負担が国民に帰結すると懸念されている。また政府による医薬品の許可の遅延で発生した損害は米国企業に補償を行わねばいけないし、米国のメーカーは自社の薬価が低く決定された場合、これを不満として政府に決定の見直しを求めることが可能。つまり、国が主体的に薬価を決めることが困難に


○ 農協、漁協、労金の保険販売や韓国郵政の保険業務を韓国政府の金融監督委員会の規制下に置き、同種の民間保険と同一のルールを適用せねばならない。また韓国郵政は保険に関する新商品の販売を禁止する。

○ 自動車は排出量基準、安全基準について米国産に対して適用を一部免除。米国が韓国製トラックに課している25%の関税は8年間存続させる一方で、韓国の米国製トラックに対する関税は直ちに廃止。小中型車の韓国国内の税率は据え置きで大型車は減税(国内制度を変更させられる)


実は韓国内の中でFTAの情報が極めて少ない。以下の文章はユウ准教授の著書から抜粋したもので、ネットでも流れている。ユン准教授が条文をはじめ、様々な文献や議員、政党から調べて整理をしたもの。私はこれを読んで愕然としたのである。

(1)サービス市場開放のNegative list:
   サービス市場を全面的に開放する。例外的に禁止する品目だけを明記する。


(2)Ratchet条項:
   一度規制を緩和するとどんなことがあっても元に戻せない、狂牛病が発生しても牛肉の輸入を中断できない。


(3)Future most-favored-nation treatment:
未来最恵国待遇:今後、韓国が他の国とFTAを締結した場合、その条件が米国に対する条件よりも有利な場合は、米にも同じ条件を適用する。


(4)Snap-back:
自動車分野で韓国が協定に違反した場合、または米国製自動車の販売・流通に深刻な影響を及ぼすと米企業が判断した場合、米の自動車輸入関税2.5%撤廃を無効にする。


(5)ISD:Investor-State Dispute Settlement。
韓国に投資した企業が、韓国の政策によって損害を被った場合、世界銀行傘下の国際投資紛争仲裁センターに提訴できる。韓国で裁判は行わない。
韓国にだけ適用。


(6)Non-Violation Complaint:
米国企業が期待した利益を得られなかった場合、韓国がFTAに違反していなくても、米国政府が米国企業の代わりに、国際機関に対して韓国を提訴できる。例えば米の民間医療保険会社が「韓国の公共制度である国民医療保険のせいで営業がうまくいかない」として、米国政府に対し韓国を提訴するよう求める可能性がある。韓米FTAに反対する人たちはこれが乱用されるのではないかと恐れている。

(7)韓国政府が規制の必要性を立証できない場合は、市場開放のための追加措置を取る必要が生じる。

(8)米企業・米国人に対しては、韓国の法律より韓米FTAを優先適用
  例えば牛肉の場合、韓国では食用にできない部位を、米国法は加工用食肉として認めている。FTAが優先されると、そういった部位も輸入しなければならなくなる。また韓国法は、公共企業や放送局といった基幹となる企業において、外国人の持分を制限している。FTAが優先されると、韓国の全企業が外国人持分制限を撤廃する必要がある。外国人または外国企業の持分制限率は事業分野ごとに異なる。


(9)知的財産権を米が直接規制
  例えば米国企業が、韓国のWEBサイトを閉鎖することができるようになる。
韓国では現在、非営利目的で映画のレビューを書くためであれば、映画シーンのキャプチャー画像を1~2枚載せても、誰も文句を言わない。しかし、米国から見るとこれは著作権違反。このため、その掲示物い対して訴訟が始まれば、サイト閉鎖に追い込まれることが十分ありえる。非営利目的のBlogやSNSであっても、転載などで訴訟が多発する可能性あり。


(10)公企業の民営化

http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2013/07/ftatpp.html
より転載

TPPは米国にとっても自らを滅ぼす刃となる?
さて、北米自由貿易協定 (NAFTA)では、多くのアメリカ企業がメキシコへ行き米国の失業率が増えたとか。
TPPではTPPに加盟している米国企業がTPP条約発効後にもし本社を法人税率の低いTPP加盟国の
シンガポールに移したら米国にとって外国企業となるのだろうか?
それが出来るとなると、元米国企業が外国企業となってアメリカの市民社会を守る国内法規制に襲い掛かって
くる可能性も。。
さらに税収も大幅ダウンするでしょうし、そうなるとアメリカの国力が衰える。。
市民団体パブリック・シチズンの女性が言っていた「トロイの木馬」の意味がさらに重く聞こえます。
企業を動かすのは国際金融資本だからTPPは米国にとって自らを滅ぼす刃となる可能性もあるのかも?

法人税率の高税率国

順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
税率(%)国名
55アラブ首長国連邦 *
40アメリカ合衆国
35.64日本
35アンゴラ、アルゼンチン、マルタ、スーダン、ザンビア
34.5セント・マーチン島
34ブラジル、パキスタン、ベネズエラ
33.99ベルギー、インド
33.33フランス
33ナミビア
32モザンビーク

法人税率の低税率国

順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
税率(%)国名
9モンテネグロ
10ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、英領ジブラルタル、マケドニア、パラグアイ、カタール
12マカオ、オマーン
12.5キプロス、アイルランド、リヒテンシュタイン
14ヨルダン
15アルバニア、グルジア、イラク、クウェート、ラトビア、レバノン、リトアニア、モーリシャス、セルビア
16ルーマニア
16.5香港
17シンガポール、スロベニア、台湾
17.92スイス
転載元http://www.kpmg.com/jp/ja/knowledge/pages/tax-survey-2014.aspx

悲惨なオバマケアとTPP
http://matome.naver.jp/odai/2141917748231088101?page=2


アメリカの国民皆保険制度「オバマケア」の施行から約1年…
オバマ大統領が就任選挙戦以来、政権公約の目玉として打ち出してきた医療保険制度改革法が本年1月から施行され、アメリカで初めて国民皆保険制度が導入される運びとなった。
米国の大統領の名前を冠した何やら大仰なこの名前。そう、アメリカの医療保険制度のことです。
今まで、アメリカは先進国の中で唯一、国民皆保険制度のない国でした。
オバマケアの目標は、より多くのアメリカ人が入手可能な価格で質の高い健康保険へ加入できるようにすること、そして国の医療費を削減することです。
背景には、医療の高度化による医療費と保険料の高額化によって、国民の6人に1人が医療保険に入れない状態となり、自己破産の原因が医療費の支払いに起因するなど問題が深刻化したため
しかし…「オバマケア」は問題だらけで悲惨な状況になっている
やはり「オバマケア」は失敗だったのか?
オバマケアの問題点が表面化しており、医療保険の政策破綻が社会問題となっています。
『オバマケア』は、(アメリカの医療を)画期的に変える制度改革という触れ込みでしたが、実態は問題だらけだった
どうやら、このままでは、オバマケアはアメリカの医療を完全に崩壊させる引き金になりかねない。医者と患者を今よりずっと悲惨な状況に追い込むようなとんでもない制度になっているようなのだ。

オバマケアの影響で保険料が値上がりしているのだ。現在、多くの保険会社が、保険内容の見直しを理由に、加入者に対して値上げを伴う再契約を通知している。なかには、保険料が3倍になるケースもあるという。

オバマ政権は、保険会社が既往歴などを理由に加入を拒否することを違法化した上に、HIVなど10項目の医療の提供を保険商品に含めないと違法としたために、保険商品としてのパッケージが大きくなってしまいました。すなわち、多くの人にとって毎月支払う保険料は高くなってしまったわけです。

あるC型肝炎の患者は、医師から新薬をすすめられた。保険に入っているにもかかわらず、自己負担額は、3か月で840万円だったという。日本では考えられない数字だ。
国民皆保険となるオバマケアにおいては、無保険者に対してはペナルティがかかることとなっている

これにより、アメリカ国民は高い保険料を払うか、ペナルティで罰金を払うかの2択を迫られることになるこれまでアメリカでは、国民の3人に1人が雇用主を通した医療保険に加入していました。保険料は会社側と従業員の双方で負担するわけですが、その高くなった保険料に対応しきれない企業が増えている

50人以上の社員を持つ企業へ、社員の医療保険提供が義務づけられたことに対して、多くの企業は、「(政府に)罰金を払って企業保険を廃止する」か「今いるフルタイム社員の勤務時間を減らし、大半をパートタイムに降格する」という「防衛策」をとりました。
1週間の労働時間として30時間(1日8時間、週5日)働く正社員には保険を提供する義務が生じるため
その結果、「労働時間は減り、企業保険にも加入できない」というパートタイム労働者が増加し、状況は、かえって悪化しているのです。

出典【読書感想】沈みゆく大国アメリカ患者側だけではなく、医療従事者の側も、どんどん状況が悪化してきている

オバマケアで保険加入者は大幅に増える一方、医師の66%は条件の悪いオバマケア保険のネットワークには参加していないため、患者はオバマケアを使える医者を見つけることが難しい。
オバマケアの患者を診療しても、国から出るお金は、他の患者よりも安く抑えられている。アメリカでは、多くの開業医が「オバマケアの患者お断り」を掲げているそうです。

“オバマケア”が作られたことによって医師たちが保険会社にコントロールされ、保険会社のための書類を作成することに忙殺される。患者のために的確な治療をしても、保険会社から保険が下りず、患者からは責められっぱなし。精神的に追い詰められた医師たちが多く自殺しているという。

出典オバマケア C型肝炎で自己負担額840万、日本への影響を懸念アメリカの自己破産で一番多いのは医療破産というのは聞いていたけれど、オバマケアでトドメを刺された人は少なくない。支払いの悪いオバマケアに入っていない病院が増えてきて、民間医療保険にも入らざるを得ない。で、結局借金漬けでアウト。そして、手遅れになってERで最期を迎える。日本の医療制度は、社会保障制度に裏打ちされた国民皆保険制度ですが、オバマケアの最大の問題は、民間の皆保険制度になっている点です。つまり、医療を「商品」にしてしまっている民間の保険会社が提供する保険に入ることを「義務」づけてしまったということです。

だれが得をしているかというと、高額の献金と大量のロビイストを雇う、保険会社と製薬会社及び、ウォール街ということになる。
ヘルスケア業界というのは、米国の様々な業界の中でも最も政治力を持つことで知られています。献金する額が最も多い。しかも、彼らは豊富に資金を抱えているだけに、民主党と共和党のいずれが勝ってもいいように、両方に莫大な金額を献金する。
政治家たちも、資金を提供してくれる彼らに、逆らうことができないのです。

出典【読書感想】沈みゆく大国アメリカ米国市場をある意味、制覇した米ヘルスケア業界は、アジアにおける最も裕福な国である日本の市場を次のターゲットとして狙いを定めている

「日本の現在の医療費は39.3兆円でGDP(国内総生産)比では米国の半分だが、医療の経済特区などができて米国並みになれば、80兆円、いや100兆円の市場が見込める」などと日本市場を有望視している
日本の宝ともいえる国民皆保険制度を崩壊させようと、米の民間保険会社が虎視眈眈と狙っているのだ。“自由競争”という錦の御旗の下、TPP妥結の際に日本の医療崩壊も、その序章が始まる。
日本の「国民皆保険」は、まちがいなく、世界に誇れるシステム。「規制緩和」なんていう威勢の良い言葉にごまかされて、大事なものを失ってはならない。

TPP締結後は日本の国民健康保険制度自体が企業の利益を阻害するものとしてアメリカの保険会社や製薬会社から提訴されるかも?(・・;)


TPPに参加する米国企業連合

http://www.hatatomoko.org/tpp-americakigyorengo.html
外国市場での障壁撤廃のため、
TPP交渉を通して米国企業に対する強い保護と最大限の市場アクセスを求めるよう
米国政府に要求した「TPPのための米国企業連合」一覧(原文)。

Abbott Laboratories アボット・ラボラトリーズ(製薬)

ACE Group ACEグループ(保険)

Advanced Medical Technology Association (AdvaMed) 先進医療技術協会

American Apparel & Footwear Association (AAFA) アメリカ衣類・はきもの協会

American Automotive Policy Council (AAPC) アメリカ自動車政策会議

American Business Conference (ABC) アメリカビジネス会議

American Chamber of Commerce in New Zealand アメリカ商工会議所(inNZ)

American Chamber of Commerce in Singapore アメリカ商工会議所(inシンガポール)

American Chamber of Commerce in Vietnam (Hanoi) アメリカ商工会議所(inハノイ)

American Chamber of Commerce in Vietnam (Ho Chi Minh City) アメリカ商工会議所(inホーチミン)

American Council of Life Insurers (ACLI) アメリカ生保会議

American Forest & Paper Association (AF&PA) アメリカ森林・紙協会

American Import Shippers Association (AISA) アメリカ輸入運送協会

American Soybean Association (ASA) アメリカ大豆協会

ANSAC アッシュ(天然ソーダ)

Applied Materials, Inc. アプライド・マテリアルズ(半導体)

Association of American Publishers (AAP) 米国出版社協会

Association of Equipment Manufacturers (AEM) 製造業協会

AT&T AT&T(電話・通信)

Bechtel Corporation ベクテル(建設メジャー)

Boeing Company ボーイング(航空宇宙)

Biotechnology Industry Organization (BIO) ベイオテクノロジー産業機構

C.V. Starr & Co., Inc. CVスター(保険)

Cargill, Incorporated カーギル(穀物メジャー)

Caterpillar, Inc. キャタピラー(機械)

Chevron Corporation シェブロン(石油メジャー)

Citigroup, Inc. シティグループ(金融)

Coalition of Service Industries (CSI) サービス産業連合

The Coca-Cola Company コカ・コーラ

Corn Refiners Association (CRA) トウモロコシ精製業協会

Council of the Americas (COA) 米州議会

CropLife America クロップライフ(農薬製造業団体)

DHL DHL(国際貨物)

Diageo ディアジオ(酒造)

Distilled Spirits Council of the United States (DISCUS) 合衆国蒸留酒会議

The Dow Chemical Company ダウ・ケミカル(化学)

Eli Lilly and Company イーライリリー(製薬)

Emergency Committee for American Trade (ECAT) 米国貿易緊急委員会

Emerson エマソン(電気電子機器)

Express Association of America (EAA) 米国エクスプレス協会

Fashion Accessories Shippers Association (FASA) ファッション・アクセサリー運送協会

FedEx Express フェデックス(航空貨物)

Fluor フルーア(プラント・エンジニア)

Footwear Distributors & Retailers of America (FDRA) アメリカはきもの卸売・小売業

Freeport-McMoRan Copper & Gold Inc. フリーポート・マクモラン(資源メジャー)

Gap, Inc. ギャップ(衣料)

General Electric Company GE(コングロマリット)

GlaxoSmithKline グラクソスミスクライン(製薬メジャー)

Grocery Manufacturers Association (GMA) 食料雑貨製造業協会

Hanesbrands, Inc. ヘインズブランズ(アパレル)

Herbalife Ltd. ハーバライフ(健康食品・スキンケア)

Hewlett-Packard Company ヒューレット・パッカード(パソコン電子機器)

IBM Corporation IBM

Information Technology Industry Council (ITI) 情報科学技術産業評議会

International Intellectual Property Alliance (IIPA) 国際知的所有権同盟

Independent Film & Television Alliance (IFTA) 独立映画・TV同盟

Intel Corporation インテル

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