北京の55日から日露戦争への道 明治31年~
国内では自由民権運動から労働争議へ、ストライキ始まる
豪奢な上海・北京の租界地と義和団の乱、ロシアの台頭、崩れゆく帝国清

朝鮮併合から日露戦争へ至った真の理由
1900年(明治33年)、中国で義和団が列強の利権奪取に反対してたちあがると、列強は共同で出兵、鎮圧したが、満州を占領したロシア軍だけは、そのまま満州にいすわってしまった。
このロシアの満州占領をどうしてもやめさせようとするところから、日露戦争が始まるのである。
1901年(明治34年)3月12日、ときの外相加藤高明は、伊藤博文首相に対して、閣議での討議を求めるため一つの意見書を提出した。加藤はロシアの満州政策に対して日本はどう出たらよいか、この点を早く決定しておきたいと考えたのであった。
彼は、まず、ロシア軍が満州から撤退しないばかりでなく、ロシアは清国に秘密の条約(露清密約)を押しつけて満州を実質的に領土にしようとしている状況を指摘する。そして、このロシアの満州侵略への反対を列国に呼びかけてみたが、南阿戦争で疲れているイギリスをはじめ各国 とも抗議はするけれども、積極的に効果ある行動をとろうとしない、そこで日本政府としては、列国をたのみとしないで、ひとりでこの問題にあたるほかはないが、そのさいの大方針を決めておく必要にせまられている、というのが加藤の閣議請求の趣旨であった。
さらに彼は、その方針はつぎの三つ以外にはあり得ないと強調した(『外交文書』34)。
第一は、ロシアの満州侵略に抗議し、ロシアがそれに応じないときには
「直接ニ勝敗ヲ干戈ノ上ニ決スル事」、つまり日露戦争を開始することだとした。
ではなぜ、ロシアの満州支配を戦争に訴えてまで阻止しなくてはならないのか。
この疑問に彼はつぎのように答える。
「抑モ露ノ満州占領ハ其モノ自身二於テ直接二我利益ト大衝突ヲ来サズ、然レドモ其結果露ノ勢カハ朝鮮半島ヲ支配シ延テ帝国ノ自衛上二危険ヲ及ボスノ恐レアリ」―
ロシアの満州支配はさらに、朝鮮に拡大し、日本の「自衛」まで危うくなるというのである。
当時まだ朝鮮を支配下におくのに手こずっており、満州まで手をのばすことを考えていなかった日本としては、ロシアの満州占領によって、直接に利益がおかされたとはいえない、しかし、ロシアの満州支配が確立されると、日本がその隣りの朝鮮を支配することが非常に困難になる―加藤の言わんとするのはこういうことであった。
だから第二策として朝鮮占領論がとび出してくることになる。
その第二策は、
「露国ニ向ッテ平衡上且自衛上帝国ニ於テ適宜ノ手段ヲ執ルベキ事ヲ宣言シ韓国ニ関スル日露協商ヲ無視スルノ行為二出ヅル事」だと加藤はいう。
日露協商というのは、1898年(明治31年)調印された、西・ローゼン協定を指しており、日露両国はこのなかで、韓国の独立を確認し、直接の内政干渉をしないと約束していた。
そこで、この協定を無視することにはなるけれども、韓国は遅かれ早かれ独立を失う運命にあるのだから、
「此際ニ於テ同国ヲ占領スルカ又ハ保護国トナスカ、其他適宜ノ方法ヲ以テ同国ヲ我勢カノ下ニ置」
こうというのであった。しかしこれは協定違反でもあるし、場合によっては日露戟争になることも覚悟しなくてはならないことは加藤もみとめていた。
ロシアが満州を占領するなら、こちらは朝鮮を占領して「平衡」を保つことが自衛上の措置だということになると、「自衛」といっても身にせまっている「急迫した」危険をはらいのけるというのとはだいぶ意味がちがっている。
それだからこそ、第三策として
「露国ノ行為ニ対シテハ一応ノ抗議カ、権利ノ留保二止メ後日ヲ俟チテ臨機ノ処置ヲ講ズルコト」
が可能なのである。つまり、ロシアの満州占領が日本の自衛上危険だとしても、
「其危害ノ迫リ来ルハ数年ノ後ナルカ数十年ノ後ナルカ予言シ難」
いのだから、いますぐ、行動を起こさないというやり方もあり得るということになる。
しかし加藤はこの第三策でゆくと、いざ行動を起こそうというときにはロシアの勢力が強固になっていてどうにもならないかもしれないし、また、戦争を覚悟して強硬な態度に出れば、列強の同情をうけていないロシアがひきさがることも考えられないではない。したがって国内から軟弱外交との非難をうけることはまぬがれないと付記している。加藤としては第三策は気乗りうすだったようである。
中国への利権争い
日清戦争の敗北で、清国がいっそう弱体になったこ とと、ロシア・ドイツ・フランスの日本に対する三国干渉が成功し、これらの国の清国に対する発言権が強まったことが、このような情勢を生み出すきっかけとなっていた。三国干渉は極東への進出を望むロシアが、日本に先に満州に進出されては不利とみて、ドイツ、フランスをさそったものであった。三国干渉の3年後の1898年(明治31年)には租借という形で中国沿岸に根拠地を獲得することが始められた。この3月6日、ドイツが清国に山東半島の膠州湾租借条約をみとめさせると、同じ月の27日には、ロシアが旅順、大連湾を租借した。三国干渉で日本からとりあげた場所をこんどはロシアが自分のものにしてしまった。これに対抗してイギリスも、6月9日に九竜半島、7月1日に威海衛の租借条約を成立させた。翌年11月16日には、フランスが広州湾を租借した。
しかもこの派手な租借競争は、利権を奪い合う大きな抗争の一角をあらわしたにすぎなかった。 借款の貸付けによる金融的、政治的支配と、鉄道、鉱山などの利権獲得とを軸にした清国における列強の活動も、日清戦争ののち激化するばかりであった。そして列強相互の対立抗争が深まっていった。その対立の中心は、すでに中国経済に支配的な地位を得ていたイギリスに対して、ロシアが急迫な進出ぶりをみせ始めたところにあった。
。三国干渉に成功したロシアは、ついで、清国に対する金融的援助を申し入れた。その背後には フラソスの資本家がいた。三国干渉の翌々月、1895年(明治28年)6月には、ロシア政府保証のもとに、露仏共同の4億フランの対清借款(期限36ヵ年4分利付)が成立した。そしてま たこれ以後、清国に対する借款押しつけ競争が激化することにもなった。さらにこの対清借款での露仏共同は、3ヵ月後の9月には恒常的な共同―露清銀行の設立へと発展した。資本金600万ルーブル、その8分の5がフランス、8分の3がロシアの出資というこの銀行は、清国国庫業務へのくい込みをはじめ、鉄道を中心にあらゆる利権獲得活動を目的とした。
翌96年(明治29年)ロシアは、東清鉄道敷設権を得て、中国人陸に対する第一歩を踏み出 した。すでに1891年(明治24年)からシベリア鉄道建設が進められていたが、東清鉄道はシベリア鉄道が黒竜江を迂回して大きな弧を描くのに対して、満州北部を貫いてチタとウラジオストックを直線でつなぐものであった。さらに、さきの旅順、大運租借にともなって、東清鉄道のハルビンから旅順にいたる鉄道利権を獲得した。そしてロシアはその完成に力を入れた。満州がロシアの勢力範囲に繰り込まれつつあることは確実であった。
こうしたロシアの精力的な活動が、満州から中国全休に拡大することは明らかだと考えられた。 シベリア鉄道を推進したウィッテは、ヨーロッパと中国市場をつなぐ海上航路を支配するイギリスに対して、シベリア鉄道による陸のルートで競争をいどもうという遠大な夢を描いていた。イギリスは99年(明治32年)ロシアと鉄道協定を結び、ロシアの鉄道が南下するのを防ごうとし、その前年には、清国に揚子江沿岸の不割譲を約束させて、その勢力範囲を固めようとした。
このような英露の対立を中心にしながら、中国全土は各国の勢力範囲に分割され始めていた。 租借は同時にその周辺の欽道や鉱山利権獲得の要求と結びついており、租借地を中心とする勢力範囲が形成され拡大されることでもあった。
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/15_nitirosenso/1/01.html
1898年(明治31年) | 1898年(明治31年)月日 出来事・事物起源・話題
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1899年(明治32年) | 1899年(明治32年)月日 出来事・事物起源・話題
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1900年(明治33年) | 1900年(明治33年)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89#.E9.81.A0.E5.9B.A0.E3.83.BB.E8.83.8C.E6.99.AF 柴五郎は義和団の乱の功績で欧米各国から叙勲された。 日本は北京と天津に三個中隊清国駐屯軍(支那駐屯軍)を設置した[25]。これはのちの日中戦争初期の主力部隊となる[24]。またロシアは満州を事実上占領する。
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